おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

 

2017年9月15日(金曜日)午前4時台〜5時台一時強く降る 朝方から晴れで昼前曇り

【One Coin 地域力 カフェ】
 平成29年度第2回“One Coin 地域力 カフェ”(主催:地域力共創推進コンソーシアム)が山形市内(山形市総合福祉センター3F 会議・研修室1)にて開かれました。
 今回の概要を主催者発表のものでご紹介します。

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《テーマ》
 いま、改めて「バリアフリー」を考えてみる

《内容》
 山形(市)のバリアフリーへの取り組みの草創期はいつ頃と思いますか?
 山形市の委嘱で「バリアフリー推進チーム」が結成され約1年間の検討(アクションプラン作成 ⇒ 先進事例調査 ⇒ 研修 ⇒ 市内現場調査 ⇒ ワークショップ)を経て、提言書が提出されたのは2003年1月末(14年前)です。
 推進チームのリーダーとして提言に関わった鈴木幸子さんを迎えてトークインし、 その後の活動、社会環境の変化、「バリアフリー」のこれからなどについて一緒に考えてみませんか!!

《話題提供者》
 鈴木幸子氏(山形市福祉のまちづくり活動委員会 顧問)
       http://yamagatashi-fukushinomachi.org/

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 ここでは、私(山口)が感じたことを、ランダムにご紹介します。

 鈴木幸子さんとは久々にお会いしました。何年ぶりでしょうか。
 鈴木幸子さんと時々お会いしていたのは、鈴木幸子さんが特定非営利活動法人(NPO法人)山形移動サポートセンターの理事長として活躍されていた時期です。当時の山形移動サポートセンターの事務所は山形県NPO支援センター(城西1丁目)内にありました。
 そこは、ほかにも中間支援NPOをはじめ、いくつかのNPO団体などが入居した関係で、私もしばしば訪問していた場所です。鈴木幸子さんは健常者ですが、メンバーには車椅子の方もいました。でも、皆さん元気に活動していたことを、今でもおぼえています。

 さて、久々にお会いした鈴木幸子さんですが、相変わらずお元気そうで、「安心した」というより、嬉しくなりました。そして、笑顔で、自分ができることを、楽しそうに活動している姿に、あらためて共感したのであります。
 本人は「おせっかい、おばちゃん」と言いますが、押しつけがましさなどは一切感じませんでした。それは人柄によるものなのでしょうが、私も鈴木幸子さんのような人間でありたい、と思いました。
 また、それが活動の長続きにつながっているとも感じました。70代半ばの鈴木幸子さん。でも、現役としての活動は、まだまだ続きます。

 同じところに留まっていない鈴木幸子さん。常に新たなもの・ことに挑戦する鈴木幸子さん。
 でも、それは無理してやっているのではなく、自然にそうさせているのです。それは、常に地域や社会に目を向け、意識を持って行動しているからです。そうした気持ちが、今でも若々しさを保ち、行動力につなげていると感じました。

 鈴木幸子さんは苦労も経験しました。
 車椅子の方と東京へ行った時の苦労。日本一の大都会・東京なのに、車椅子での移動は山形と同じ大変さです。
 NPO法人山形移動サポートセンターを立ち上げたのに、僅か3日後には運輸局から呼び出されます。そして、逮捕されるかもしれないという状況に陥ったのです。いわゆる白タク行為で。実際に、宮城県では逮捕者が出たそうです。鈴木幸子さんは「障がい者のため、良いことやっているのに、どうして」と思います。それでもへこたれなかった鈴木幸子さん。
 逆に、多くの人、いろんな立場の人と「連携する」ことの重要さを感じた鈴木幸子さんは、このことを今でも訴え続けています。

 それは障がい者に対して「地域・社会に(外に)出ましょう」と呼びかけていることにもつながっています。それは、地域の人たちに障がい者のことを理解してもらうためにも大切なことです。
 一方で、「わがままな障がい者」がいることも話していた鈴木幸子さん。そういう意味では、障がい者の人たちも地域の人たちに理解してもらう行動が必要です。

 「心のバリアフリー」の話がありました。それは、後半のフリートークで、ある参加者から「心のバリアフリーと言われても、なかなか理解できないです」という発言があったからです。
 私(山口)の考えですが、障がい者の立場になることができ、しかも健常者(地域の人たち)の立場にもなることができる本当に意味でのコーディネーターを養成することが先決だと思います。要は鈴木さんのような人です。

 “One Coin 地域力 カフェ”は午後6時30分スタートですが、実際には午後6時から始めています。午後6時からの30分間は、出入り自由を演出するため、私(山口)による音楽に関するコーナーとしています。
 いつもはその30分間で参加者が集います。しかし、きょう(9月15日)は集まり方が遅いです。それで、私のコーナーを延長するか、主宰のKさんと協議しました。すると、鈴木幸子さんが笑顔で「もっと聞かせてください」と言います。
 鈴木幸子さんの人を思いやる気持ち・・・言葉では表現できない感動でした。

 鈴木幸子さんはその後、山形移動サポートセンターの理事長を退きます。鈴木幸子さんは「後継者を育てました」とキッパリ言います。
 世の中には、高く評価されているNPO法人はたくさんあります。しかし、ある一人の人間がいなくなったら・・・ というNPO法人が多いのであります。

 障がい者を隔離する政策に疑問を投げかける鈴木さん。
 例えば学校については、特別支援学校に隔離する政策のことです。
 隔離と言えば、知的障がいの程度でも、通う学校が決まってしまいます。米沢では、程度が軽いと、米沢にある学校には通えず、上山市にある学校へ進学することになります。
 このように、障がいの程度で分けることは、障がい者の交流関係を狭めてしまいます。

 後半のフリートークでは、制度先行での問題の話もありました。
 企業には障がい者雇用が義務付けられていますが、仕事内容・業務内容・分野によっては難しい企業もあります。それを一律に数字で制度化しているから実効性に問題が生じます。会社の中には「障がい者は雇用できなくても、お金を払えば良い」と開き直り、義務を果たさない企業もあるほどです。

 障がい者のための施設をつくろうとしても地元の反対で・・・ という話もありました。
 これは、ある参加者が言うように、保育園・幼稚園への反対と同じです。これは、経済最優先・無駄の排除・便利さだけの追求・・・などなどの様々な要因によって生じた「自分だけ良ければ」によるものからきたものと思います。

 ある参加者が、鈴木幸子さんと同じ地域に住んでいることがわかりました。その地域では共助に意識が根付いているようです。「すごいなあ」と思いました。
 その地域では、困っている人がいれば、自然に手を差し伸べる人がいるわけです。
 同じような光景は仙台でも見られた、という話がある参加者からありました。
 私(山口)が思うに、「共助の意識が根付いている」は都会も田舎も関係なしです。果たして米沢では・・・考え込みます。
 鈴木幸子さんの話は、そういう意味で「本当のまちづくり・地域づくりとは・・・」を考える貴重なものです。そして、私たち一人・ひとりがどのように行動すれば良いか、についても考えることにつながる大切な話でした。

 鈴木さんは、もう一人の参加者とも近い関係だったことがわかりました。だから、初対面なのに話は弾みます。世の中狭いとはこういうことです。
 というわけで、少人数だったのに、とても盛り上がったカフェでした。  

 

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