おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2018年5月11日(金曜日)米沢の天気:晴れ 福島県浜通りの天気:晴れで僅かに浮かぶ

【飯舘村・浪江町・南相馬市小高訪問記】
 福島県浪江町と南相馬市は今年3回目の訪問です。飯舘村は今年1回目の訪問です。
 自宅を出発したのは午前8時すぎです。いつもより遅い出発です。天気は、米沢も、福島県も、そして夕方立ち寄ろうと思っている宮城県仙台市も、晴れ予報です。今回は家族も同行です。

 栗子峠は従来の国道13号を通ります。福島市飯坂町中野で国道13号から外れ、飯坂温泉を通り、伊達市に入り、保原から霊山に向かいます。
 霊山インターチェンジから東北中央自動車道に入ります。東北中央自動車道開通後はこのまま相馬市へ向かいましたので、飯舘村を通過する機会は少なくなりました。でも、きょうは飯舘村を通りますので、霊山飯舘インターチェンジで東北中央自動車道から外れます。国道115号に入って、約1.5kmほど西に逆戻りです。そして、県道31号線との交差点で南へ向かいます。

 まもなく飯舘村です。飯舘村に入って早々、人が住んでいる気配を感じます。農業用ハウスも建っています。畑も耕しています。
 しかし、少し進むと、下の写真左となります。ここは飯舘村草野地区大後です。午前9時55分撮影です。線量も高ければ、放射線廃棄物が放置されたままです。放射線廃棄物が見える風景は、現在も、飯舘村のいたるところにあります。

  

 飯舘村に立ち寄ったのは、道の駅飯舘“までい館”(上の写真右:午前10時05分撮影)を確認するためです。“までい館”と道の駅「米沢」には、ある共通点があります。それは施設内にコンビニが入っていることです。ただ、入り方はかなり違いますので、共通点と言えるかな?・・・とも思います。
 “までい館”は、オープン当初と比べ、かなり落ち着いた感じで、来場者も少ないです。駐車場誘導員もいませんでした。オープンについては、福島県内でも様々な意見があった“までい館”。これからが正念場です。

 飯舘村から県道12号線で南相馬市へ向かいます。石ポロ坂トンネルを通って、八木沢峠に向かいます。峠手前で、これまでの道路から外れます。そして、トンネルに入ります。八木沢トンネルです。初めて通ります。
 これまでの道路は、八木沢峠で南相馬市側に入ると急カーブに急勾配が続く大変な道路でした。それを回避するために整備されたのは、八木沢トンネルを含む新たな道路です。八木沢トンネルは全長2,345メートルです。カーブが続くトンネルですが、急カーブとは大違いです。とても楽ですが、カーブしているトンネルのため、なかなか出口が見えてきません。人によってはストレスになるかもしれません。この八木沢トンネルを含む全長2.8kmの新しい道路は今年の3月18日に開通したばかりです。
 トンネルを出ますと、従来の道路に戻ります。カーブしたり、橋を渡ったりしますが、急カーブではありません。やがて、山間部を抜けて、平野部に入ります。

 南相馬インターチェンジから常磐自動車道に入り、浪江インターチェンジで降り、浪江町営大平山霊園に向かいます。霊園近くで見たのが、下の写真です。
 場所は 浪江町請戸天神渕です。請戸川と合流する寸前の高瀬川の堤防脇です。
 きょうは5月11日。あれから7年2ヶ月目の月命日です。警察による行方不明者の捜索が行われていたのです。午前11時34分撮影です。

  

 このことについて、昼のNHKニュースで報じられました。それによりますと、捜索活動を行ったのは、この春採用されて警察学校で学ぶ新人の警察官60人あまりと消防団員などあわせておよそ100人とのことです。
 昼近くになって、捜索活動は終了。警察官たちは霊園前公園に戻ってきました。そして、私たちに対して大きな声で「こんにちは!」と挨拶します。突然の挨拶にビックリしましたが、すぐに清々しい気分になり、私も「こんにちは!」と挨拶しました。女性の方もいました。皆さんが「こんにちは!」と挨拶します。そして一端バスに乗り、点呼です。そのあと、飲料水が配られていました。炎天下の活動でしたので、水分補給です。

  

 ところで、ここを訪れたのは“宇宙桜”の確認です。“宇宙桜”については、写真の説明をご覧いただきたいと思います。
 ここに植えられたのは、ちょうど1ヶ月前の4月11日。なみえ創成小・中学校の児童・生徒10人と地域の住民らです。まだ苗木の状態ですが、山高神代桜は成長が速く、来年の春にも花を咲かせるそうです。苗木の周囲に柵が設置されているのは、イノシシなどの動物による被害を防止するためです。
 場所は公園の北側です。“コミュニティ広場”と報じているものもあります。下の写真左の奥には請戸小学校が見えます。

  

 警察官の人たちが休んでいる間、請戸地区を見ますと、空におもしろい形の雲が浮かんでいるのを見つけました。それが下の写真です。写真左は午前11時42分撮影、写真右は午前11時48分撮影です。きょうの請戸地区は、そんなに工事車両が走っていない感じです。

  

 公園では、捜索活動の警察官たちのほかに、それを取材したマスコミ(NHK)関係者、さらには10人ほどの団体さんがいました。団体の人たちは、請戸地区を見ながら、案内人と思われる人の説明に耳を傾けていました。

   

 霊園前公園から請戸川沿いに移動です。ここもお馴染みの場所です。事故を起こした福島第一原発(上の写真右)は、ここから見る限り変わりありません。請戸川の護岸工事は進んでいるのがわかります。

 浪江町から南相馬市小高へ移動します。今回は小高の市街地に入る前、大悲山大蛇物語公園に立ち寄りました。最近、地元の人に紹介されたからです。場所は小高の市街地中心から南へ2.5kmあまりです。 

  

 大悲山大蛇物語公園と物語のあらすじは写真をご覧いただきたいと思います。
 上の写真右が公園です。ただ、案内の8〜12は立ち入り禁止で入ることができませんでした。案内の「南相馬市小高区」は上書きされているのがわかります。合併によるものです。一方、下の写真左は「相馬郡小高町」のままです。下の写真右は物語の絵図です。

  

 公園向かい側の大悲山慈徳寺に入ります。下の写真左のとおり、参道の石段がねじれています。地震のためか・・・いや、杉の根っこによるものと思われます。

  

 この杉は“大悲山の大スギ”と言います。福島県指定天然記念物です。幹周り8.6メートル、高さ約45メートルです。ただ、この数字は変わっているかもしれません。案内板の表記が「所在地:相馬郡小高町泉沢」となっているからです。

  

 大悲山慈徳寺では薬師堂にお詣りしました。ここでは石仏も有名です。

 小高の市街地に入ります。双葉食堂でお昼を食べ、向かったのは“フルハウス”です。“フルハウス”とは、芥川賞作家の柳美里(ゆうみり)さんが今年の4月9日、小高区東町にオープンした本屋さん(書店)です。
 下の写真左では左側の建物です。右奥は小高駅です。小高駅から西へ200メートルほどです。下の写真右は正面から撮影したものです。

  

 “フルハウス”は柳美里さんが1996年に発表した小説ですが、この本屋さんが人でいっぱいになることを願って名付けたそうです。
 東日本大震災発生後は、頻繁に被災地へ足を運んだ柳美里さん。2012年3月からは、南相馬市の臨時災害放送局“南相馬ひばりエフエム”で“柳美里のふたりとひとり”という番組でパーソナリティを務めます。2015年4月には、それまで住んでいた神奈川県鎌倉市から南相馬市原町区へ移住します。2017年には福島県立小高産業技術高等学校の校歌で作詞を担います(作曲は長渕剛)。こうしたことから小高への思いが強まり、2017年7月には原町区から小高区へ移住します。
 小高への移住は、本屋さんを開業するためです。移住後は、新たな自宅となった建物を改装し、仕事場とカフェを兼ねた本屋さんにしました。そして、この4月9日、本屋さんとしてオープンしたのです。

 ドアを開けて中に入ります。私が「こんにちは」と言って入りますと、男性スタッフの方が「そのまま(靴を履き替えず)上がってください」と言います。中は木の香りがします。この建物、元々はポンプ屋さん(水道業者)でした。その内、事務所だったところと、和室だったところを改装し、本を陳列しました。改装は自分たちで床に木材を敷き詰めたそうです。確かに壁を見ますと、和室だったことがわかります。
 そんなに広いスペースではありませんが、書籍が整然と陳列されていることがわかります。作家ごとにわかりやすく陳列されています。スタッフの方は「1冊1冊、吟味して陳列しています」と言います。井上ひさし氏の本もありました。中には鉄道マニアが喜びそうな本があったり、コミックもありました。本好きな人には「たまらない」と思われます。
 写真撮影OKでしたので、内部の様子をご紹介します。下の写真左では、椅子も備えられ、いわゆる立ち読みも可になっています。「本を通じて、人と人とがつながる場にしたい」という思いを感じます。

  

 カフェは、この夏にはオープンさせたいそうです。さらに秋には劇場“LaMaMa OKADA”の開業を目指しています。スタッフの方も「その計画で進めています」と言いました。

  

 このあとは“小高浮舟ふれあい広場”でCさんとお会いして立ち話、そして“おだかぷらっとほーむ”で休憩し、小高をあとにしました。
 原町区に立ち寄ったあと、家族の買い物などの目的で仙台市へ向かったのであります。

 

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