おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2018年7月19日(木曜日)晴れ 午前中少しに浮かぶ

【米沢に小高神社】
 「米沢市内にも小高神社がある」という話を聞き、現地を訪ねました。

 小高神社(正式には“相馬小高神社”)は福島県南相馬市小高区にあります。
 元々小高神社がある場所は、中世の奥州相馬氏の居城であった小高城があったところです。奥州相馬氏は鎌倉時代の終わりころから江戸時代の初めまでの約280年間、ここを居城にしました。小高市街地の北側に位置します。市街地からの風景で、ここは“紅梅山浮舟城”とも言われました。“浮舟”という言葉は、ここから由来します。
 江戸時代になり、相馬氏は中村城(福島県相馬市)に移りますが、その後も妙見が祭られています。そして、明治時代に小高神社、戦後に相馬小高神社と改称しました。
 7月の“相馬野馬追”と言いますと、2日目の甲冑競馬や神旗争奪戦が有名です。しかし、地元の人(特に小高区の人)から言わせますと、“相馬野馬追”の元祖は、3日目に小高神社で行われる“野馬懸”と言います。
 あくまで私(山口)の印象ですが、小高では「小高神社あってのまつりごと」という感じです。

 その小高神社が「米沢にも存在する」という話を聞いたからには、即刻現地を訪ねるしかありません。スタッフも同行します。

 米沢市の南東側、関根地区を通ります。山上コミュニティセンターに立ち寄り、資料をもらいます。山上コミュニティセンター管内の地図はこちらです。 

 関根から水窪ダム方向に向かいますが、途中で右折し、通称“板谷街道”に入ります。この道を通るのは初めてです。ただ、山形新幹線の車窓からは何度も見ている道です。
 右折後は深い森の中ですが、まもなく山形新幹線の脇を通ります。山形新幹線の踏切やカード下を潜りますと、羽黒川上流にあたる渓谷が見えます。

 やがて、大小屋という集落(新幹線車窓から見えます)の手前に着きます。下の写真です。石碑がたくさん並んでいます。立派な看板があります。その看板に小高神社(南相馬市)の文字が書かれています。

  

 下の写真左は石碑のひとつです。“小高神”の文字がハッキリ見えます。下の写真右は石碑群の脇にかかる橋から撮影した羽黒川上流です。

  

 さらに上ります。しばらくして着いたのが“六地蔵”です。大沢の集落手前(人形坂)に位置します。病魔などから大沢を守ったと言われているそうです。

  

 “六地蔵”を過ぎますと、すぐに大沢の集落ですが、通り過ぎます。
 集落を通り過ぎますと、深い森です。その中にあったのが、雪舟大明神(下の写真左)と住吉神社(下の写真右)です。雪舟大明神は冬の交通安全を、住吉神社は地域の人たちが様々祈祷した、とのことです。養蚕振興なども祈願したそうです。 

  

 きょう(7月19日)は、小高神社を訪ねることが目的ですので、ここで引き返します。
 大沢の集落に戻ります。下の写真が集落のメインストリートです。茅葺屋根の家も見られますが、更地になってしまった住宅跡も見られます。

  

 下の写真左の看板(メインストリートの一角に設置されています)を見ますと、昔は大沢石佛(大沢石仏)と言っていたことがわかります。このあたりには、たくさんの石碑があるからです。先程の大小屋入口の石碑群もそのひとつです。
 その後、ここが米沢と福島をつなぐ街道の重要な宿場町であることから“大沢宿(大澤宿)”と言われるようになりました。“大沢宿”には著名な旅籠などが軒を連ねたそうです。福島・米沢間に鉄道が開通した時、大沢駅が設置されたのは、こうした歴史的背景があったからでしょう。
 さて、看板をよく見たら、集落の東端に何かがありそう、となりました。即行きます。
 ところが、それらしきものが見当たりません。あるのは、事業所の跡地と思われる場所です。あきらめかけました。次の瞬間、スタッフが「あそこは・・・!」と叫びます。それは、木立の中でした。

  

 これが馬頭観音・小高神社の石碑(上の写真右と下の写真)であります。ついに見つけた、という感じです。上の写真右の左側の石碑(下の写真右も)には「小高」の文字がハッキリ見えます。

  

 これらの石碑から、大沢の人たちは馬を大切にしていたことがわかります。
 明治時代になって、小高神社の関係者がここに来て祈祷していった、という話もあるそうです。

 大沢地区(米沢)と小高神社(南相馬市)とのつながりは、長い歴史があったのです。

 

HOME