おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2019年3月1日(金曜日):おらほアート展@陸前高田:1日目

2019年3月2日(土曜日):おらほアート展@陸前高田:2日目

1年前のおらほアート展

 

2019年3月1日(金曜日)南三陸町や陸前高田市の天気:晴れ薄雲浮かぶ

【おらほアート展@陸前高田:1日目】
 岩手県陸前高田市を訪問しました。今年で3回目の“おらほアート展”を主催する Home of Wisdom のNさんから案内をいただいたからです。昨年に引き続き、2回目の訪問です。

 今回は陸前高田市へ向かうにあたり、どのルートで行くか、少し悩みました。なぜなら、最近になって、三陸自動車道の一部が開通し、石巻市から気仙沼市へのアクセスがかなり良くなった、という情報が入っているからです。一方で、一関市から気仙沼市へ向かう国道284号も、一部でバイパスが開通しており、1年前よりアクセスが良くなっています。
 結局、三陸自動車道で向かうことにしました。

 午前5時40分頃、米沢を発ちます。東北中央自動車道から福島で東北自動車道に入り、菅生サービスエリアで朝食をとり、仙台南道路から三陸自動車道に入ります。宮城県登米市東和町にある道の駅三滝堂で休憩、家族のために道の駅カードを購入、そして、志津川インターチェンジで、三陸自動車道をおります。南三陸町を自分の目で確かめるためです。


《南三陸町》
 南三陸町に立ち寄るのは、意外にもきょう(3月1日)が初めてです。
 震災後、南三陸町へは“だがしや楽校”仲間が慰問のため何度も行っています。それは、私のコーディネートによって、“だがしや楽校”では日本玩具協会から数多くのおもちゃや絵本などの支援物資を預かることができたからです。“だがしや楽校”の仲間たちは、それを持って、南三陸町など各地の被災地を訪ねては、子どもたちへの慰問活動を行いました。その報告は当時から受けていました。こうした経緯も、三陸自動車道ルートにした理由です。
 でも、厳密に言いますと、きょう立ち寄ったのは南三陸町でも志津川地区のみです。南三陸町には歌津地区もあります。歌津地区の人たちからの「南三陸町というと志津川ばかり知られていますが、私たち歌津もがんばっています」というセリフは、今でも忘れません。

 それでは、南三陸町の志津川地区をご紹介します。撮影は午前10時10分頃から午前11時すぎです。

  

 ここが“南三陸さんさん商店街”です。“南三陸さんさん商店街”ですが、当初はここより内陸側にありましたが、かさ上げが終わり、2年前にここへ移転しました。移転により、仮設商店街から正式な商店街となりました。明日(3月2日)と明後日(3月3日)は2周年記念イベントが開催されます。おそらく大勢の人でにぎわうでしょう。
 しかし、この時間は閑散としています。平日の午前中は、こんな感じなのでしょう。それでも“南三陸さんさん商店街”では、客足は衰えていないそうです。

  

 上の写真右のお店に入りました。新鮮な海産物がいっぱいで圧倒されました。地方発送も承っているそうですが、とりあえず、お土産に乾物類を買いました。そうしたら「これ飲んでいってください」と言われました。カキ入りスープです。これがまた、美味しい!! まいりました。
 このお店も津波で流されましたが、立派に営業を続けています。お店の人は「“南三陸さんさん商店街”は地元の人が大半です。“南三陸さんさん商店街”の北側に道の駅をつくる計画があります。津波は志津川インターチェンジよりさらに奥まで達しました。陸前高田へのアクセスは良くなりました」と話されました。

 あらためて“南三陸さんさん商店街”を考えます。“南三陸さんさん商店街”には、魚屋さん、八百屋さん、お菓子屋さん、写真館、文具屋さん、お土産屋さん、理美容・整体のお店、仏具屋さん、衣料品のお店、電気屋さん、食堂、そしてコンビニまであります。
 そうです。それぞれが地元の専門店です。各お店を巡って買い物をする・・・これって昔ながらの買い物です。“南三陸さんさん商店街”には広い駐車場があります。
 米沢もそうですが、郊外型の大型商業施設により中心商店街は苦戦しています。“南三陸さんさん商店街”には、この問題を考えるためのヒントが隠されています。

  

 “南三陸さんさん商店街”の一角に、上の写真左のような看板がありました。その看板の脇から同じ方向に撮影したのが上の写真右です。ただし、かさ上げした分、高い位置からの撮影です。ほぼ西向きの撮影です。手前が八幡川、その奥が、あの南三陸町防災対策庁舎です。ここで起こった悲劇は、皆様ご存知かと思います。

  

 八幡川に架かる橋からほぼ北向きに撮影したのが上の写真左です。右側が“南三陸さんさん商店街”、左側に一角に南三陸町防災対策庁舎が見えます。さらに西側へ移動して撮影したのが上の写真右です。かさ上げで南三陸町防災対策庁舎は埋没しそうです。

  

 上の写真左は“南三陸さんさん商店街”の一角で見つけた掲示物です。上の写真右は見晴らし台に設置されていた看板です。位置関係、それに震災後と将来の志津川地区がわかります。
 このあとは見晴らし台からの撮影です。

  

 上の写真左はほぼ南向き、上の写真右はほぼ西向きの撮影です。

  

 上の写真左はほぼ北向きです。中央奥が“南三陸さんさん商店街”です。左に架かる橋で先程撮影しました。上の写真右はほぼ北東向きの撮影です。このあたり、将来は商業地域になるそうですが・・・

  

 上の写真左はほぼ東向き、上の写真右はほぼ南東向きの撮影です。ここも将来の商業地域だそうです。しかし、せっかくかさ上げしたこの土地のすべてが埋まるかは、わかりません。陸前高田と同じような課題を抱えていることが見えてきます。

 いよいよ陸前高田へ向かいます。なるほど、かなりアクセスは良いです。ただ、気仙沼市の国道45号では、中心部へ向かうための右折車両が数多くあり、渋滞が生じていました。


《ハプニング》
 その気仙沼市を抜けて、岩手県陸前高田市に入ります。
 ・・・すると、前方に黒い煙です。下の写真左(昼12時05分撮影)のとおりです。消防車のサイレンの音が聞こえます。なんと!火災です。渋滞です。

  

 道路をまたぐようにホースが敷かれました。そのホースの上を車が通過します。上の写真右のとおりです。私も消防隊と地元の方の誘導で、ホースを通過しました。車は上下に大きく振られました。火災現場は右手です。
 通過後、近くのコンビニに車を停めます。そして振り返って撮影したのが、下の写真です。昼12時12分と13分の撮影です。炎がハッキリ見えて、ビックリしました。あまりの炎の勢いに怖さを感じました。

  

 火事については、その後のニュースで「1人が行方不明」になっているそうです。心配です。火事は午前11時30分頃発生。午後1時前には延焼の恐れはなくなりました(防災無線で伝えられました)が、鎮火するに7時間以上かかりました。


《1年ぶりの陸前高田》
 火災現場をあとにして、陸前高田市の中心部へ向かいます。下の写真は、気仙川に架かる橋から中心部を写したものです。橋だけでなく、道路自体がかさ上げされています。

  

 奇跡の一本松駐車場脇の交差点を左折します。そして撮影したのが下の2枚の写真です。

  

 まだまだ工事地帯ですが、1年前に比べますと、なんとなく落ち着いた感じです。写真左では、土の高さは昨年より感じないです。しかし、写真右を見ますと、途方もないかさ上げであることがわかります。道路も褐色です。当初の計画では、かさ上げ工事は完了しているはずです。しかし、工事は少なくても2年は遅れています。
 右折して中心部に向かいます。しかし、中心部と言っても、周囲は下の写真左のとおりです。せっかくかさ上げしたのに、空き地になってしまう土地がかなりありそうです。これについては、あちこちで報道されていますし、“おらほアート展”を主催しているNさんは「埋まっている地域はあります。しかし、中心部は移転が進んでいません。埋まらない土地は市が一端買い取り、販売していますが、高いです」と言います。このセリフ、さまざまな問題が浮かび上がります。
 また、別の人からは「ある市では、国からの交付金のために、限られた期間で施設を建設するなどして、結局はその後の数年間借金返済に追われ、市長(陸前高田市ではありません)は『借金を完済したこれからが復興の始まり』と言いいました」という話も聞きました。

  

 昼は上の写真右の右側に写っているお店で食べました。カキフライ定食です。カキフライは5個でしたが、大きくて食べ応えありです。米沢では食べられません。これだけで大満足なのに、味噌汁が凄いです。大きなお椀に、カニが丸ごと一匹入っていました。まいりました。

  

 上の写真右はアパッセたかたです。1年前と変わらないです。スーパーはお客さんの姿はありましたが、全体には静かです。とにかく、ここへ来るには車を利用するしかありません。のちほど登場するOさんは「免許を返納したことで不便になってしまいました」と言います。


《おらほアート展》
 “おらほアート展”を開催している陸前高田市コミュニティホールに着きました。
 今回の“おらほアート展”のチラシはこちらです。また、“おらほアート展”の趣旨はこちらをご覧ください。神戸で始まった“おかんアート”の陸前高田バージョンと言えます。さらに、1年前の“おらほアート展”についてはこちらをご覧ください。

 入口を入ったエントランスにもたくさんの作品が展示されています。圧倒されます。また、ひとつひとつの作品のクオリティの高さにも舌を巻きます。 

  

 何より嬉しかったのは、皆さんが私のことをおぼえていてくださったことです。嬉しいです。
 和室では作品づくりの体験ワークショップ(下の写真左)が行われています。

  

 上の写真右の男性はOさんです。写真のような布ぞうりを作っています。
 Oさんとタップリ話します。Oさんはなんと!80歳代半ばです。小さな時から布ぞうりを作っていました。当時は生活用品です。でも、今は作ることができる人、ほとんどいません。木綿で作ります。着なくなった浴衣などが材料です。ひとつを作るに4時間かかります。デザイン図なんかありません。右左同じ大きさに、そして同じようなデザインに作ります。私などは神業に見えます。
 Oさんは私と話したことについて「いろんな人と出会えて、話ができて、とても楽しいです」と嬉しそうに語っていました。これこそが“おらほアート展”の意義です。
 Oさんの自宅は、市の中心部でした。津波で流されましたが、とっさの判断で、いつも過ごしている畑や小屋がある方向へ逃げ、無事でした。しばらく小屋で生活、その後仮設住宅で過ごしました。そして、畑だった土地を譲り受け、そこに自宅を建て、現在はそこで生活しています。その間も布ぞうり作りを続けました。

 午後5時、神戸から今年は4人が訪れました。地元新聞の記者による取材もまじて、交流が始まりました。下の写真左は神戸の人たちが展示作品をご覧になっている様子です。写真右が交流の様子です。右側の女性の方が、“あかんアート”の創始者・香坂さんです。記者の取材を受けています。

  

 4人は今朝、神戸を出発。飛行機で仙台空港に来ます。そのあとはバスで陸前高田まで移動し、この時間に到着しました。毎年陸前高田へ来ていることについては「作品を観るのが楽しいから」と言います。理屈ではありません。

 ワイワイと話している内、夕方6時になりました。
 きょう(3月1日)はここまでです。明日またお会いしましょう。外に出ますと、真っ暗になっていました。天気は良いですが、場所によって風が強いです。


2019年3月2日(土曜日)陸前高田市の天気:晴れ浮かぶ 米沢夜の天気:晴れ

【おらほアート展@陸前高田:2日目】

《ホテルで感じたこと》
 宿泊は宮城県気仙沼市内のビジネスホテルです。
 朝食は午前6時からです。午前6時30分頃行ってみますと、すでに多くの人が食べていました。ほとんどが工事関係者のようです。実際の復興工事はこうした人たちが担っているのです。早い人は午前7時前にチェックアウトしていました。そう言えば、昨夜も、ホテル内のコインランドリーは、ほぼフル稼働でした。


《道路もかさ上げ》
 午前8時30分すぎにホテルを発って、陸前高田市へ向かいました。昨日(3月1日)は火災で混乱した陸前高田市気仙町長部の国道45号もスムーズに走行できました。
 下の写真左は、陸前高田市気仙町小渕地内です。1年前は右側の道路を進みましたが、今は左側の道路で坂を上ります。道路自体がかさ上げされました。右奥が現在の気仙大橋です。北西向きの撮影です。

  

 上の写真右が気仙大橋です。北東向きの撮影です。1年前通った旧気仙大橋は右下にあります。
 下の写真左は奇跡の一本松駐車場前の交差点です。北東向きの撮影です。この交差点自体、少しかさ上げされました。

  

 上の写真右は、奇跡の一本松駐車場前の交差点を直進して、少し進んだところです。東向きの撮影です。ここもかさ上げされた道路です。多くの作業員が働いています。


《奇跡の一本松》
 ここで、奇跡の一本松駐車場から奇跡の一本松へ向かった様子をご紹介します。徒歩で10分以上はかかります。午前9時20分から45分までの撮影です。

  

 上と下の写真は気仙大橋からの撮影です。上の写真左は北向き(市の中心部向き)の撮影です。広大な土地をかさ上げ・整備しています。上の写真右は、同じ向きで望遠撮影したものです。あらためて工事の大規模さを感じます。
 下の写真は気仙川の上流側です。左側(南西側)の土地も大規模工事中ですが、将来ここへの移転を希望する人は多いそうです。一方の中心部周囲は、繰り返しますが、今のままですと、広大な空き地になりそうです。

  

 下の写真右は下流側です。下に見えるのが旧気仙大橋です。
 気仙大橋での撮影は風との闘いです。身体を踏ん張らないと、吹き飛ばされます。
 下の写真は、気仙大橋から撮影した奇跡の一本松です。

  

 上の写真右は近くで撮影した奇跡の一本松です。この時も強風にさらされました。近くの工事関係者の人から「風に気を付けてください」と声をかけられていました。ありがたいです。奇跡の一本松後方は巨大な防波堤です。

  

 上の2枚の写真は奇跡の一本松周囲の風景です。1年前とだいぶ違います。工事はいつ終わるのでしょう。

  

 上の2枚の写真は気仙大橋から奇跡の一本松駐車場へ戻る時の撮影です。奇跡の一本松駐車場前の道路(国道46号)も、こうして見ますと微妙に蛇行しています。

 再び車搭載のカメラでの撮影です。奇跡の一本松駐車場から東へさらに進みます。
 下の写真は陸前高田市高田町中宿地内です。左側の土が工事で崩されました。このあたりも工事地帯です。

  

 陸前高田市米崎町沼田の交差点で左折し、中心部へ向かいます。すぐにガソリンスタンド(上の写真右)がありました。1年前はありませんでした。ただ、道路左側は草ボウボウです。西北西向きの撮影です。

  

 まもなく、道路は上の写真のとおり、クネクネします。道路も上ったり下ったりです。

  

 そして、上の写真左のとおり、直線道路です。1年前は無かった道路です。やがて、中心部に近づきます。ここにもガソリンスタンドができていました。奥がアパッセたかた前になります。いずれも西北西向きの撮影です。
 上の写真左の周りはかなり整地されていますが、遠くまで見通せる状態です。すべてかさ上げされた土地です。


《おらほアート展》
 このあとは、コミュニティホールへ向かいました。それでは、おらほアート展・2日目の様子をご紹介します。
 はじめに、おらほアート展を伝える地元新聞の記事をご紹介します。昨日(3月1日)の取材によるものです。こちらです。

 午前10時をすぎて、早くも神戸の人たちによるワークショップ(下の写真左)が始まっていました。マスコットづくりです。左奥は羊毛フェストのワークショップです。

  

 羊毛フェストは、香港出身の女性の人たちによるワークショップです。東日本大震災をきっかけに、被災地・被災者を支援しようと家族ぐるみで日本へ移住しました。
 話している内、私もワークショップに挑戦することになりました。顔の形をしたマスコットを作ります。羊毛繊維を針のようなもので刺し続けますと、なんと!繊維はかたまり、形ができるのです。ただし、根気も必要です。上の写真右の右端が私です。

  

 土曜日です。多くの来場者がありました。上の写真は、ワークショップしながらの撮影です。

  

 ワークショップが終わったのは、お昼直前です。いつの間には、テーブルには美味しそうなものが並んでいました。展示品もみなさんの手作りなら、料理もみなさんの手作りです。
 上の写真左は、岩手県の郷土料理(お菓子)“かまやき”です。初めて知りました。食べてみますと、お菓子ですが、小麦粉をタップリ使っているようで、お腹にきます。素朴な味です。そのほか、生姜入りおにぎりや漬物・リンゴなどたくさんいただくことができました。
 これって、米沢では『弁当づかい』といいます。
 食べながら神戸の人たちには、米沢と神戸の関係について紹介しました。

  

 エントランスも見物する人たちでにぎわっています。ワークショップの様子を見学する人もいます。来場者のほとんどは、出展者とのつながりがあり、その都度会話が弾みました。

  

 地元新聞でも紹介されたOさんも大人気です。(上の写真右)

  

 その0さん、きょうは上の写真右に写っているワラジを作っています。
 作ったもの、欲しがる人まで現れましたが・・・。

  

 上と下の写真のとおり、和室はますます大にぎわいです。盛況です。

  

 モア恵利子さんという人から声をかけられました。ダンナさん(アメリカ出身)も一緒です。本人の話などによりますと、鳥取県出身ですが、1985年に渡米、東日本大震災後は毎年のように来日し、被災地で活動します。2017年にダンナさんと日本へ移住。ダンナさんは「気仙沼に住んでいます」と話されました。モア恵利子さんはこの3月、ゴスペル演歌のコンサートを、釜石市と陸前高田市で開催します。山形県では酒田市を訪れたことがあるそうです。

  

 そうこうしている内、夕方5時が近づいていました。最後はみんなで集合写真に収まりました。写真左では学生ボランティアのCさんが入っていなかったため、エントランスであらためて撮影しました。

 楽しい時間は「アッという間」といいますが、まさにそのとおりです。でも、この2日間で、さらに皆さんの中に溶け込むことができました。それにしても、おらほアート展による、人のつながりの凄さには、脱帽するばかりであります。
 その原点である“おかんアート”の持つ意味をあらためて考えました。
 要らなくなったものを生かす、それは上手でなくてもいい、人とのつながりが生まれれば、でもそんな思いだからこそ、素晴らしい作品は生まれているのです。


《静かな中心部》
 陸前高田市コミュニティホールを後にします。
 下の写真左は陸前高田市高田町栃ケ沢付近です。南南西向きの撮影です。道路は下って上っています。ただ、1年前よりは、かさ上げの程度がハッキリしなくなりました。

  

 上の写真右は、再び中心部です。信号だけが目立つ感じです。夕方5時台なのに、車はまばらです。右側に写っているコンビニ(1年前は無かったです)に立ち寄りましたが、お客さんは1人だけでした。

  

 右折して南へ向かいます。上の写真です。右折した直後が写真左です。そして、下ったり上ったりします。まだまだ途上です。奥には巨大防波堤が見えます。
 まもなく国道46号に出ます。こうして、2日間お世話になった陸前高田市をあとにしました。

 

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