おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2018年3月24日のおらほアート展

2019年3月1日・2日のおらほアート展

 

2019年7月23日(火曜日)陸前高田市&気仙沼の天気:のち午後3時頃から曇り 夜遅く

【気仙沼・陸前高田訪問記】
 今年(2019年)3月に続き、再び岩手県陸前高田市を訪問しました。今回で4回目の“おらほアート展”を主催する Home of Wisdom のNさんから案内をいただいたからです。
 “おらほアート展”はこれまで3月頃に開かれていましたので、7月の開催案内に少々ビックリしました。Nさんからの案内は7月に入ってからで、日程的に少々きついこともあり、訪問するか迷いましたが、ここで陸前高田との交流を断ち切ってはいけません。訪問することにしました。ただし、これまでの2回の訪問と異なり、日帰りです。

 この時期の開催になったのは“三陸防災復興プロジェクト 2019”の関連イベントとして開催したからです。

 さて、米沢を発ったのは午前2時すぎです。道中は睡魔に襲われることもなく、順調に移動できました。ただ、心配だったのが天気です。米沢を発つ時は曇りでしたが、宮城県に入る頃には雨です。それでも、三陸道もスムーズに移動できました。
 午前5時30分頃、気仙沼市に着きました。気仙沼も雨です。

  

 一端、中心市街地に入ります。上の写真左は気仙沼市田中前2丁目付近で西南西向きでの撮影です。どこにでも見られる郊外型の店舗が並んでいます。上の写真右は国道45号に戻り、少し休憩を取ってからの撮影です。午前6時44分ですが、中心市街地への交差点では早くも渋滞が発生していました。この交差点は常に渋滞が発生している感じです。
 その交差点を右折します。下の写真左は気仙沼市田中前2丁目付近を今度は東北東向きに撮影したものです。奥が海側です。

  

 このまま進み、上の写真右は気仙沼市幸町4丁目での撮影です。気仙沼大橋を渡りますと、津波に見舞われた地域であることがわかります。更地の中に新たな建物が建ち並んでいます。
 さらに進んで、港町に入ります。

  

 上の写真は港の南側、水揚げする場所でしょうか。数多くのカモメが飛んでいます。
 そして、港にはたくさんの漁船が繋留されています(下の写真)。サンマ漁船と思われます。今朝は静かな港です。

  

 下の写真左では大型のサンマ漁船が見られます。下の写真右は、入り江の最も奥に向けての撮影です。港周囲では津波の痕跡が見られません。地形によるものと思われます。大島があって、深い入り江が関係しているのでしょう。このあたりの周辺には数多くの飲食店があるなど、ここが昔からの中心商店街です。有名な八日町商店街もこの一角です。

  

 気仙沼漁港を通り過ぎ、陸前高田市に向かいます。気仙沼・陸前高田間ですが、前回訪問の3月以降、三陸道の一部が新たに開通していました。
 下の写真左は気仙大橋です。陸前高田も雨です。奇跡の一本松駐車場前交差点で左折しますと、下の写真右のとおり、この先は通行止めです。奇跡の一本松駐車場に入ります。

  

 徒歩で気仙大橋に戻ります。下の写真は気仙大橋からの奇跡の一本松です。カメラのレンズにはすぐに雨粒が付着です。

  

 下の写真左は気仙大橋から陸前高田中心部方向の撮影です。手前の広大な敷地が緑色です。近づいて撮影したのが下の写真右です。稲です。整地したばかりで、水田になっていました。

  

 奇跡の一本松駐車場から東へ向かいます。
 下の写真左は陸前高田市高田町古川地内です。かなり道路が整備されています。左奥には大きな照明灯が見えます。スポーツ施設が整備されるのでしょうか。

  

 上の写真右は陸前高田市高田町曲松地内です。ここも道路が整備されました。
 下の写真左は陸前高田市高田町地内です。左側の建物はその後も手付かずです。震災遺構にするのでしょうか。
 このあと陸前高田市米崎町沼田地内の交差点で中心部方向(西)へ向かいます。

  

 上の写真右は陸前高田市高田町下宿地内です。3月に比べ、カーブは緩くなり、かさ上げ地域への勾配も緩くなりました。
 カーブを過ぎますと、下の写真左のとおり、直線道路です。右側の赤い車はバスです。

  

 上の写真右はさらに西へ進んで、アパッセたかた(南側)前です。今回の“おらほアート展”の会場です。
 まだ時間がありますので、周辺を移動しました。
 下の写真左は、アパッセたかたから北へ向かっての撮影です。右側の建物は災害公営住宅(市営住宅)の下和野団地です。ここにお住まいの方も“おらほアート展”に出展しています。正面奥は高田小学校です。

  

 上の写真右は高田小学校北側の住宅地です。団地や小学校周辺では工事が行われていました。
 アパッセたかた周囲では飲食店が目立ちます。下の写真左は開店したばかりのようです。下の写真右のように、開業年を示している店もあります。 

  

 昼食は“おらほアート展”の関係者とアパッセたかた近くのお店で食べましたが、平日にもかかわらずチョー満席でした。ほかのお店にも行列ができていました。

 “おらほアート展”は午前10時からですが、午前9時30分すぎ、会場入りしました。主催者のNさんとIさんがいます。それに神戸市からの4人もいます。3月以来の再会です。

  

 その神戸市の方々は、何か物づくり(ワークショップ)に取り組んでいます。ワークショップをコーディネートしているのが、上の写真右の右側に写っているおじさんです。会場入りしたばかりの私に、そのおじさんに「一緒にやろうよ」と声をかけられます。ひと息つく間もないです。なにがなんだかよくわからないまま、私もワークショップに取り組みます。万華鏡つくりです。万華鏡と言えば、Nさんも取り組んでいたものです。少しは理解できました。

  

 万華鏡を作りながら、会場の様子を取材しました。
 会場にはたくさんの作品が展示されています。それは、地元や神戸の人たちだけでなく、岩手県内外の手芸を愛する人たちの作品です。

  

 展示品は、小物だけでなく、人形・カバン・ネックレス・ペンダント・傘・木工品など実に多彩です。一部ですが、展示品を写真でご紹介します。

  

 “おらほアート展”は、こうした場を通して、人と人とのつながりづくりや交流を図ることを目的にしています。会場では、展示・ワークショップのほかに、作品の販売も行われていました。 

  

 上の写真右は、神戸の方に手伝ってもらいながら万華鏡づくりに取り組む筆者です。おかげさまで、なんとか完成することができました。
 ところで、万華鏡のおじさんとは・・・。福岡市から来られたTakaaki Sonoda氏です。UAP(Universal Art Project)Owl Association UAP ふくろうの会の代表です。わたし的には、いきなりの態度に少々むかつきました。なぜなら「すべての人が『物づくりは楽しい』と思うとは限らない」からです。それから、Nさんの言うとおり、口数の多い人です。教え方も、人によっては、むかつくかもしれません。まさに紙一重です。
 それが逆に私の興味をそそりました。この人は自分の信念を通す人だからです。それも遠慮せずに・・・。そして、こういう人に共感する人が最近は多くなっているような気がします。
 Sonoda氏は、万華鏡に関する話をしてくれました。それはワールドワイドな活動です。名刺が英語なのは、そのためでしょう。仙台市の秋保温泉近くに仙台万華鏡美術館(仙台市太白区茂庭松場1-2)があることも教えてくださいました。

  

 上の写真左は“三陸防災復興プロジェクト 2019”を紹介する展示です。
 午後には地元の人たちが会場に集結し、にぎやかになります。

  

 さらに海外からの人たちが加わります。アメリカ合衆国・カリフォルニア州クレセント・シティ(Crescent City)からの訪問団の人たちです。クレセント・シティは陸前高田市と姉妹都市です。クレセント・シティはカリフォルニア州北部の太平洋沿岸の都市です。人口は数千人程度です。港が美しく、市街地では道路が碁盤の目のように整備されています。クレセント・シティは津波の多いところで、東日本大震災では2.5メートルほどの津波が到達しました。

  

 胸に付けてもらっているのが上の写真右のバッチです。私もいただきました。

  

 というわけで、きょう(7月23日)の“おらほアート展”は大盛り上がりでした。
 今回の“おらほアート展”は7月21日からの3日間開催で、きょうが最終日でした。3日間ともにぎわったようで、今回も盛会でした。
 なお、“おらほアートまちなかギャラリー”は8月末まで続きます。

 下の写真は夕方6時近くの撮影です。この時間、雨はやみました。
 写真左は陸前高田市高田町砂畑地内での撮影です。中心部から南へ向かう道路も、この4ヶ月で整備されました。下の写真右は、奇跡の一本松駐車場前交差点を東側から西向きに撮影したものです。

  

 4ヶ月半ぶりの陸前高田市は、復興が進んでいる感じに見えました。これまでの2回は3月、今回は7月という訪問時期の違いはありますが、緑が見られたこと、道路の整備が進んだこと、地域全体のホコリっぽさが無くなったことにより、印象の違いにつながりました。中心街のアパッセたかた周辺で飲食店が増えたこともあります。近くでは大型商業施設の建設が行われていました。
 ただし、中心部と言っても、住宅街からは離れており、お酒を飲みますと、帰りは苦労しそうです。現在の市役所から中心部が遠いのも難点です。そして、何より中心部の周辺は、まだまだほとんどが更地です。大規模かさ上げした土地が埋まるのか、厳しい状況は続きます。
 こういう厳しい状況でも、地域に貢献しようとしている人たちがいます。私はNさんやIさんのような人たちを応援したい気持ちでいっぱいです。

 

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