おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

亘理町にて

てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園:山元町

 

2019年8月24日(土曜日)宮城県太平洋側南部の天気:晴れ薄雲浮かぶ 夕方から曇り

【亘理町にて】
 宮城県亘理町に立ち寄りました。目的地は山元町ですが、思ったより早く着きましたので、立ち寄ることにしたのです。
 7月8日は鳥の海公園(鳥の海の北側・阿武隈川河口南側)に行きましたが、きょうは荒浜漁港公園です。鳥の海と太平洋に挟まれた場所です。

  

 上と下の4枚の写真は、鳥の海の東側岸です。公園として整備されている場所です。上の写真左奥が荒浜漁港です。下の写真左のとおり、釣りを楽しんでいる人がいました。漁船が港に戻ってきました(下の写真右)。

  

 海岸側の堤防に移動しました。このあとの写真は、堤防からの撮影です。

  

 上の写真左は北東向き、上の写真右は東向きの撮影です。

  

 上の写真左は南向き(また1隻、漁船が戻っています)、上の写真右は南南西向きの撮影です。

  

 上の写真左は西向き、上の写真右は北西向き(中央の建物は“わたり温泉 鳥の海”、その奥が荒浜漁港)の撮影です。

  

 上の写真は南向きで海浜の望遠撮影です。西風が強く、白波が立っています。写真右の奥は福島県相馬市の施設です。
 とても気持ち良い場所で、ひと息つくことができました。ただ、あの日のことを思いますと、万が一のことが起こったら・・・と考えてしまい、心配にもなります。
 ここまで午前8時40分〜午前9時15分撮影です。

 相馬亘理線(ストロベリーライン)で山元町へ向かいます。
 道路沿いは、津波のためでしょうか、単調な風景が続きます。あの日のままの住宅も見つけました。やがて、目的地の普門寺、そして花釜避難丘公園に着きました。 

 

【てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園:山元町】
 “てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”(主催:てらマルシェ夏フェス)が宮城県山元町の花釜避難丘公園にて開かれました。

※チラシの表面はこちら、裏面はこちらです。また、私が山元町へ行くことになったきっかけである亘理町訪問については、こちらをご覧ください。

 普門寺(宮城県亘理郡山元町山寺浜)では、2017年8月26日“「願い」ふるさとまつり おかえり!! 2017”が開催されました。
 普門寺は海岸から約700メートルです。あの日は1階部分が津波にのみ込まれました。普門寺の周囲には数百軒の集落がありました。すべて津波にのみ込まれました。現在、この地に残っているのは、普門寺と浄正寺、それに青巣稲荷神社です。住めない地域となり、住民はちりぢりになりました。津波で犠牲になった人もいます。地元の人は「悔しい」と言います。そんな思いの人たちのために開いたのが“「願い」ふるさとまつり おかえり!! 2017”です。
 普門寺の住職は、その思いを詩に託していました。震災から2年後、知人の紹介で、亘理町のシンガー・ソングライター、森加奈恵さんと出会いました。その後、森さんが檀家の親戚であることもわかりました。森さんは住職の思いを歌にしました。そして、普門寺で毎月開かれている“てらカフェ”で、森さんはその曲を歌いました。森さんは“てらカフェ”の中心的存在となりました。
 その“てらカフェ”の拡大版として開かれたのが“「願い」ふるさとまつり おかえり!! 2017”です。そこには、住めなくなったふるさとに「お帰りなさい」の思いをこめました。また、「防災意識を持とう」という目的もありました。
 このイベントには、全国から約200人の学生がボランティアとして参加しました。特定非営利活動法人(NPO法人)国際ボランティア学生協会(IVUSA)に登録している学生たちです。
 イベントでは、お寺の一角、つまり墓地の脇で、ステージイベントやマルシェが行われました。大にぎわいだったようです。

 2018年8月25日、拡大版としては2回目の“てら茶房夏祭り 2018 みんなおいで”が開かれました。森さんのブログによりますと、この日も毎月開催のてら茶房(てらカフェ・てら茶房)のメンバーに加え、数々の出店、ワークショップ、展示が行われました。それは、ご本尊の前も、境内も、お墓前の広場も、普門寺のありとあらゆる場所に所狭しと並びました。
 災害危険区域となり居住を制限されてしまった山元町花釜地区。「この沿岸部に賑わいを」という住職の願いが、開催の原点です。この時は「西日本豪雨災害復興支援」もテーマになりました。

 森さんのブログでは、“てら茶房”は“お寺災害ボランティアセンター”という顔もある、と紹介しています。あの日は、あまりにも大規模かつ未曾有の大災害であり、社会福祉協議会などが設置するボランティアセンターだけでは対応は困難でした。そのため、さまざまな形でのボランティアセンターができました。私(山口)が実際に取材した福島県の南相馬市ボランティアセンターもそのひとつです。
 普門寺の“お寺災害ボランティアセンター”には震災直後からボランティアが集結しました。そのひとつが国際ボランティア学生協会(IVUSA)の学生たちでした。彼らの普門寺での活動は、それから今でも続いているのです。山形市の大谷哲範さん(のちほど登場します)も当初からボタンティアに来ていた・・・と今回、住職からお聞きしました。

 現在も“てら茶房”は毎月開かれています。
 そして、きょう(8月24日)は拡大版としては3回目の“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”が開かれることになりました。こうしてみますと、3回ともイベント名が異なります。
 でも今回は、過去2回とは大きく違います。会場が、普門寺から花釜避難丘公園になったからです。花釜避難丘公園は普門寺から東へ(海側へ)約350メートル、つまり海からも約350メートルです。震災後に整備された公園です。津波襲来時に沿岸部利用者の一時避難場所として築山(避難丘)を備えた防災公園です。避難丘の高さは9メートルです。海岸からは約320メートルです。

 ボランティア・スタッフの案内で、公園の東側(海側)に駐車します。車を降りて、真っ先に渡されたのは、避難に関する資料です。避難ルートなどが記されていました。繰り返します。目の前は海(太平洋)です。
 午前9時40分頃、設営されたステージで、住職さんが学生ボランティアに訓示しています。住職の呼びかけに、学生たちはその都度「ハイ!」。さながら、朝礼のようです。ちょっと、引いてしまいました。
 この学生たちも、先程からご紹介している国際ボランティア学生協会(IVUSA)の登録者です。今回は全国から150人が集結しました。昨日の会場設営から活動しています。学生さんへインタビューしました。その人は関西大学の学生です。国際ボランティア学生協会が関わる活動は山元町以外にもあります。学生は、自分が行きたいところを選びます。その人は「東北地方へ行ったことがないので山元町を選びました」と言いました。活動に関わったきっかけは「やりがいがあるから」と言い、「感謝されることに喜びを感じます」とも語りました。
 国際ボランティア学生協会(IVUSA)のホームページを見ますと、約4000人の学生が登録しているようです。学生たちは普門寺に泊まり込んで活動していました。
 住職さんは「震災直後から片付けなどで来てもらっています。学生たちは自らの意志で来ています。そして復興するまで、ここでの活動を続けてくれます」と感謝しながら話ました。というわけで、朝礼の時には引きましたが、住職さんは私のインタビューにも丁寧に話してくださいました。

 午前10時、いよいよスタートです。
 下の写真左は、開会を宣言する実行委員長(左側)と森さんです。森さんはステージをまかされており、MCをしながら、ステージを仕切っていました。まさに、中心的存在です。

  

 ステージの模様をご紹介します。トップバッターはスマイルフォージャパンによるダンスパフォーマンスです。

  

 大人から子どもまで様々な世代の人たちによるパフォーマンスです。ステージ側からの写真もありますので、会場の様子をご覧ください。

  

 続いて披露されたのは花釜音頭(下の写真左)です。盆踊りのように、地元の人たちが輪になって踊りました。

  

 次は森加奈恵さんのステージ(上の写真右)です。住職の思いを表現した曲など2曲を演奏しました。大谷哲範さんがキーボードでサポートしました。
 そう言えば大谷さん、いつの間にか、主催者のコア・メンバーのような感じです。調子がイマイチだった音響(PA)へのサポートなど、終日ステージでのサポート活動を行っていました。炎天下にさらされたステージを観る席にテントを張るように指示したのも大谷さんです。

 会場にゆるキャラが登場です。

   

 上の写真左は、山元町のゆるキャラ“ホッキーくん”です。大きくジャンプするなど身軽で軽快な動きをします。山元町の特産品「ホッキ貝」をモチーフにしたもので、頭は貝殻を、青い胴体が海を、黄色い肌が稲穂をイメージしています。
 上の写真右は、亘理町のゆるキャラ“わたりん”です。兜にはイチゴとさざんかがあしらわれています。前立の昆虫は、亘理伊達家の初代藩主、伊達成実が毛虫をかたどった前立をつけていたからです。これは「決して後ろに退かない」という毛虫の習性にあやかったもの・・・だそうです。
 そうです。この“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”は、「お帰りなさい」という思いを胸に、「みんなで楽しもう」ということも大切なコンセプトです。お楽しみの抽選会も行われていました。

 マルシェをご紹介します。マルシェの数は30店舗以上です。詳しいお店のリストはこちらをご覧ください。それにしても凄い数です。これだけでも驚きです。

  

 お店は、フードから手作り小物、アクセサリーから野菜、それに体験教室・ワークショップ・マッサージまで多種多様です。

  

 中央には飲食スペース(上の写真右)が設けられました。ここには日よけのテントが張られています。テントなどは、ペグを打つことができないため、土嚢で固定しました。
 それにしても、フードなどの値段の安さには感心しました。みんなのための、みんなで作ったイベントだからでしょう。手作り感いっぱいです。
 イチゴのかき氷をいただきました。ところが、中身はかき氷どころか、冷凍ながら丸ごとイチゴがいっぱいです。さすがはイチゴが本場の山元町です。美味しかったです。

  

 子どもが楽しめるおみせもありました。上の写真左は射的、写真中は鹿児島から来られた愛竹家の方が、きょう(8月24日)だけのために作った、4メートルの高さになる竹のブランコです。小さなブランコもあります。そのほか、竹馬で遊ぶこともできました。
 というわけで、あらゆる世代の人が楽しめました。ただ、「縁日ブースでお祭り満喫」とのことでしたが、もう少し縁日雰囲気がほしかった気もしました。

 ここで普門寺へ行ってみましょう。下の写真左は、道路沿いの住宅部分です。津波到達高さが示されています。1階は津波にのまれてしまったことがわかります。

  

 住宅の陰に本堂(上の写真右)がありました。下の写真は墓地です。一見しますと復旧されたように見えますが、下の写真右のように、よく見ますと、傷ついた墓石や欠けた墓石がありました。

  

 下の写真左は墓地の一角です。これについて住職さんは「自然にできたものです。ボランティアの人たちが集めたものです。津波でお骨も粉砕されました。ボランティアの人たちはそれが入っている砂を集め、ふるいにかけて、てっぺんに埋めました」と話されました。

  

 上の写真右の左側の方が住職さんです。イベントにおける事実上の責任者です。すべてのマルシェの人たちに1軒ずつ挨拶したり、不足したものを手配したり・・・などなど、常に会場全体に対して目配りしていました。
 住職さんへのインタビューについて、あらためてご紹介します。以下は、住職さんが語った内容です。一部重複します。

**********

 思ったより盛況です。飲み物が無くなったので手配しています。
 拡大版は今回で3回目。この場所(花釜避難丘公園)での開催は今回が初めて。防災意識を持とう、震災を伝えよう、(ここには住めませんが)ここに戻ってこよう、という思いで開催しています。ここには数百軒の集落がありました。しかし、残ったのは2つの寺院と1つの神社だけ。祖先からの地でしたが、今はあちこちに分かれて住んでいます。くやしい!!です。そういう思いも、このイベントにつながりました。この地に対するいろいろな思いが、これだけのイベントとなりました。
 学生たちは、震災直後からここにボランティアで来てくれました。それは自らの思いによるもので、復興するまで、ここでの活動を続けるそうです。

**********

 ここで会場の全景をご紹介します。
 下の写真左は、会場の西側(普門寺の近く)から東向きの撮影です。奥が海です。高さ9メートルの丘が見えます。会場の周囲は畑です。写真に見えるのはネギでしょうか。

  

 上の写真右、下の写真は、丘から見た会場です。下の写真左では左奥に普門寺が見えます。

  

 丘からの風景をもう少しご紹介します。

  

 上の写真左は東向きの撮影、上の写真右は南南東向きの撮影、下の写真左は南南東向きの望遠撮影です。亘理町でもご紹介した福島県相馬市の施設が見えます。下の写真右は北東向きの望遠撮影です。遥か沖合の船舶が見えます。

  

 丘の様子もご紹介します。学生さんたちが、山元町に関することを伝えるパネルを見ながら話し合っています。防災意識を高めることも目的のひとつです。

  

 再びステージをご紹介します。下の写真左は“ひー・ふー・みー”です。5月に山形市・霞城セントラルで開かれてきた“うたうべねット山形”のチャリティーコンサートに何度も出演され、お馴染みとなった母娘ユニットです。
 実は“ひー・ふー・みー”のコンサート中、地震が発生します。これは、13時53分頃発生した地震で、震源地は福島県沖、震源の深さはごく浅く、地震の規模を示すマグニチュードは5.5と推定されました。この地震で、震度3を宮城県石巻市と登米市で観測しています。宮城県山元町は浅生原で震度2です。私も揺れを感じました。ジッと座っていれば感じる程度の揺れでしたが、30秒以上続きました。森さんはすぐに気付かれ、曲が終わったところでアナウンスしました。

  

 上の写真右は“国境なきいぬねこ音楽隊”です。さきほどから登場している大谷さんと志村さんによる夫婦ユニットです。山形市から駆け付けました。写真(YMCAを歌っている場面です)のとおり大盛り上がりで、アンコールまでありました。

 前後しますが、下の写真は“笑顔広がれ合唱団”です。写真右のようなハプニングはありましたが・・・。“笑顔広がれ合唱団”とは・・・。

  

 1曲目は“君のうた”です。東日本大震災から8年半、今の自分たちの気持ちに一番近い曲だそうです。

 1曲目を歌い終わり、1人のおかあさんが次のようにスピーチしました。

 私たちはふじ幼稚園です。リーダーは私の娘です。天から見守っています。

 私立ふじ幼稚園は、普門寺から西へ約750メートルです。海岸からは1.5km近くです。
 あの日、揺れが収まりますと、建物(園舎)内は危険だ、ということで、職員と園児は園庭に停まっていた大小2台のバスに乗り込みます。そこへ・・・
 大きい方のバスには園児33人が乗っていました。そのバスは園内のブロック塀に引っ掛かりました。小さい方のバスには園児18人が乗っていました。そのバスは園から数百メートル離れた民家まで流されました。津波はバスの天井近くにまで達しました。職員たちはドアを開け、園児を屋根に引き上げましたが・・・。園児8人と職員1人が犠牲となりました。
 犠牲となった園児の保護者は、園に訴訟を起こしましたが、その後和解が成立しました。
 ここで森さんの言葉を思い出します。亘理町は住民の0.8%が犠牲になりました。山元町は住民の4%以上が犠牲になりました。山元町は地域として、津波に対する意識が低かったのであります。それは、ふじ幼稚園だけのことではなかったのでしょう。

 犠牲となった園児のひとり(Hちゃん)は笑顔がひまわりのようでした。震災直後、Hちゃんのおかあさんの友人がビッグスマイルというひまわりの種をHちゃんのために贈りました。これをきっかけに、Hちゃんが届けた笑顔のように、笑顔が広がってほしい、子どもたちの命を守る防災について考えてほしい、という思いで、Hちゃんのおかあさん(スピーチされた方です)が立ち上げたプロジェクト、それが“笑顔広がれプロジェクト”です。プロジェクトでは、国内外にヒマワリの種と防災メッセージを届けたほか、さまざまな活動を展開しています。
 “笑顔広がれ合唱団”は、プロジェクトの一環として、震災の記憶と教訓を未来につなげ、子どもたちの笑顔と命を守りたい気持ちで歌い続けています。現在の園児から卒園した子どもたち、保護者たちで構成しています。

 2曲目の“べアトリーチェ”は、過去に遡って、震災の年の6月、ふじ幼稚園の慰霊式の時に先生方が初めて歌った曲です。
 3曲目の“嵐のふるさと”は、2番の歌詞が歌う時と場所によって変わっていきます。それは合唱団の心に寄り添うもので、「勇気と元気をいっぱいもらいました」と言います。
 4曲目の“ひまわり”は、「友達が作ってくれた曲」とのことです。ここで写真のハプニングが起きます。これについての後日のコメントが胸を打ちます。「途中、天井が落ちて来るドリフのようなハプニングがあり、笑顔広がりました。リーダーの作戦でしょうか?」
 5曲目の“ひまわりおやくそく”は、Hちゃんのおとうさんとおかあさんが作詞して、園長先生が曲にしたものです。

**********

 あらためて、亘理町や山元町で起こったことについて、「あまりにも知らなすぎている」と痛感したのであります。
 たくさんの辛いことがあった一方で、震災直後から数多くの人たちがボランティアとして活動していたことも知りました。また、普門寺を中心にした動き、笑顔を広げるプロジェクトなど、前に進もうとする動きがあることも知りました。それは、大きな動き・力になっています。“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”がその証しです。
 一方で、このことが伝わっていないことのもどかしさも感じました。私たちは、限られた情報に接していることを肝に銘じなければなりません。そのためには、何をしなければならないか。これは民主主義の根幹にもかかわります。

 「素晴らしい・見事」と言うしかない“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”ですが、ひとつだけ気になったことがあります。それは「記録」をしていないことです。
 会場では、数多くの写真が撮られたでしょう。動画でも撮影もあったでしょう。しかし、主催者として、通して「記録」している様子はありませんでした。
 先にご紹介したとおり、“ひー・ふー・みー”の時に地震が発生しました。
 森さんは口が酸っぱくなるほど「これはリスクを抱えたイベントです」とアナウンスしました。ここは住めない場所です。海は目の前です。
 だからこそ「記録」は、のちの貴重な財産になります。

 あまりにも多くのことを学ぶことができた“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”。森さんや住職さんをはじめ、関係するすべての皆さまに、心から感謝です。ありがとうございました。
 次は月1回の“てらカフェ”を拝見したいです。

 

HOME