おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2019年9月7日(土曜日)東京の天気:晴れ

【コミカレだがしや楽校 in ジョイフル三の輪縁日大会@荒川区】
  東京都荒川区南千住1丁目にあるジョイフル三の輪商店街にて“コミカレだがしや楽校 in ジョイフル三の輪縁日大会”が開かれました。これは、タイトルからわかりますが、ジョイフル三の輪商店街の“縁日大会”にて、“だがしや楽校”が開かれたのであります。
 では、“コミカレ”とは何でしょうか。また、どうして私は荒川区へ行くことにしたのでしょうか。それは、こちらでご紹介しています。7月20日、鶴岡市で開かれた“だがしや楽校@山王子どもバザール”で荒川区の皆さんとお会いしたことがきっかけです。

 私にとっては久々の首都圏での“だがしや楽校”視察・取材です。
 午前中は渋谷区や丸の内に立ち寄った私、上野駅でひと休みです。
 これまでも荒川区に立ち寄ったことはありますが、時間をかけて歩き回ったのは、今日が初めてです。はたして、どんな感じの地域なのでしょう。
 商店街沿いに都電荒川線が通っています。でも上野駅からは遠回りです。そこで、地下鉄・東京メトロ・日比谷線に乗り換えます。そこから2つ目の駅、三ノ輪駅で降ります。ジョイフル三の輪商店街は駅から北へ約300メートルです。時刻は午後1時30分頃です。都心の気温は32℃を超えています。暑いです。日差しも強いです。熱中症に気を付けることになります。商店街には屋根が付いていますので、商店街に入りますと、直射日光は避けられます。少しホッとしますが、それでも暑いです。このあと写真でご紹介しますが、物凄い人出で、商店街は熱気ムンムンです。

 コミカレ受講生の方々や地元の人たちの話からお聴きした荒川区は・・・。
 はじめのひと言は「23区でスタバがないのは荒川区だけです」。私は「ハ〜・・・」というしかありませんでした。都心からの微妙な距離の荒川区。ドーナツ現象で、逆に昔ながらが残っているのが荒川区。最近は活気が戻っているそうです。
 ジョイフル三の輪商店街の全長400メートルほど。実際に見てみますと、八百屋さん・惣菜屋さんなどが建ち並び、総合スーパーでは味わえない風景です。
 それでは、写真でご紹介しましょう。

 はじめに商店街の様子をご紹介します。午後2時に始まった“ジョイフル三の輪縁日大会”。一気に物凄い人出です。ところどころで、人混みにより前へ進むのが難しい状況です。

  

 商店街を歩いていますと、映画『万引き家族』のポスターが貼られています。ジョイフル三の輪商店街は映画のロケ地になったのです。映画に出てくるのは商店街の一角にあるお肉屋さんです。映画では、そのお店でコロッケを買うシーンが撮影されました。でも、そのお肉屋さんではコロッケは売っていないそうです。コロッケは近くのお総菜屋さんで買いましょう。

  

 商店街を歩いていますと、なんと玉こんちゃくを売っている店(上の写真左の右側)を見つけました。私が「玉こんってなんですか」と聞きますと、お店の人(上の写真右の手前の人)は「山形から取り寄せたものです」と答えました。私が「山形から来た者です」と言うと、「やっぱり、漫才ができますね」という反応でした。この人は「よく高畠町へ行きます。米沢のお蕎麦屋さん(店名まで出ました)は美味しいです」とも話されました。

  

 商店街を歩いていますと、八百屋さんでは、山形の桃(川中島)を見つけました。
 上の写真右が都電荒川線の電車(チンチン電車)です。三ノ輪橋駅で行き止まりです。電車は折り返します。マニアの方でしょうか。電車が駅に到着する様子を写真に撮っていました。

 続いて、縁日大会のお店をご紹介します。どんなお店が出ているのかはこちらをご覧ください。

  

 上の写真は、輪投げとサイコロです。

  

 上の写真は、コマと射的です。射的には長蛇の列ができていました。大人気です。

  

 上の写真は、スーパーボールとサッカーです。縁日らしい風景が続きます。

  

 金魚すくいのお店も大勢の人でごった返しています。熱気でさらに暑くなります。

  

 上の写真は、ガラポンとラムネのお店です。こちらも人・人・人です。

  

 上の写真は、的当てと水ヨーヨーです。
 ほかにもたくさんの縁日のお店がありました。どのお店も大にぎわいです。
 また、カットスイカを販売し、スイカが無くなるほどの人気だった八百屋さんがありました。かき氷のお店にも長蛇の列ができていました。小さなテーブルを出して、つまみとビールで談義している風景も見ました。なかなか良い感じです。地域の人同士のコミュニケーションの場です。
 とても素晴らしいイベントです。
 一方で、よく見ますと、シャッターの商店が見られます。あるお店には「閉店します」という表示がありました。なんでも「縁日大会のために今日だけ開けた」とのことだそうです。商店街の厳しい現実を見ました。
 そう考えた時、せっかくの縁日大会です。それぞれの商店の売り上げにつながる工夫がもっと必要ではないか、と感じました。スイカが売れた八百屋さんやかき氷が売れたことはお伝えしたとおりですが、シャッター前の縁日って、これだけの人出でも、寂しさを感じます。
 それから、縁日のお店の位置関係も気になりました。両側にお店があることで通路が狭くなり、人の動きが滞っている箇所がいくつかありました。これを互い違いに設置すれば、改善できるでしょう。万が一のことを考えますと、これって大切です。 

 それでは、コミカレによる“だがしや楽校”のおみせをご紹介します。4つです。

  

 1つ目は、ボードゲーム(上の写真)です。世界中の面白ゲームを集めたそうです。
 となれば、私が真っ先に言いたいのは、山形県長井市のOさんです。山形県はもちろん、全国にも知られつつあるボードゲーム・マニアです。寺院の僧侶ですが、お部屋には数え切れないほどのボードゲームです。地域活動やボランティア活動にも力を注いでいるOさん。話は脱線しましたが、コミカレの皆さんにも知っていただければ・・・と思いました。
 話を戻して、私はミニ将棋(上の写真右)にトライしました。駒の置き方はほぼ自由。でも、そこに落とし穴があります。私はアッサリ敗れました。この様子を松田道雄さん(だがしや楽校発案者)に写真で撮られてしまいました。そうです。今日は松田さんも視察に来られました。
 また、中央区の方を紹介されました。中央区でも“だがしや楽校”が開かれているそうです。“だがしや楽校”の輪は、今も広がりつつあります。

  

 順番は逆になりますが、次はコミカレ(荒川コミュニティカレッジ)を紹介するおみせです。ここでは、豆つかみとあら坊・あらみぃの塗り絵を楽しむことができます。

  

 豆つかみは脳トレになるとか。「あら坊・あらみぃ」は荒川区のシンボルキャラクターです。

  

 3つ目は、くるみボタン作りです。見た感じは缶バッチ作りに近いですが、いろんなものにアレンジできるそうです。くるみボタン作りも大人気で、途中で材料が無くなってしまったほどです。それで、こちらでも塗り絵のおみせとなりました。

  

 4つ目のおみせは“ちょっと「あらかわの昔話」をしませんか”です。荒川区の昔の写真と現在の写真を見比べて、同じ場所での写真を組み合わせるクイズです。

  

 上の写真右がその内容です。
 昔の写真を提供したのは、コミカレ受講生です。受講生と言っても私より人生経験が豊かな人、とお見受けしました。その方は、小さい頃から写真が趣味で、当時から写真を撮っては保管しました。「その写真が今こうやって生かされていることが嬉しいです」と言います。これこそが“だがしや楽校”の根幹である「自分みせ」です。
 その方は山形・特に庄内地方に縁があることも話されました。鳥海山にも行ったことがあるそうです。首都圏では今日もまた、山形に縁がある複数の人と出会いました。

  

 クイズに私も挑戦しました。とは言え、わかるわけがありません。でも。上の写真左の左側の方が、ひとつひとつ丁寧にヒントを出してくださいましたので、すべて答えることができ、最優秀の認定証をもらいました。

  

 写真の中で気になったのは、狩野川台風(上の写真右)です。私自身、気象に関心があり、最近は気象災害が多く発生しているからです。荒川区(南千住など)、昔は(昭和40年代までは)水害に悩まされました。例えば、1958年(昭和33年)9月の狩野川台風では、南千住6丁目は床上浸水しました。繰り返された水害。でも、子どもたちは、たくましく遊びました。通りでは手作りイカダで遊んだり、マンホールの穴から勢いよく噴き出す水の上に浮かぶものを集めてはそれに乗ったり、水が引くと取り残された魚を捕ったり・・・。
 もうひとつ気になったのは、上の写真左の東京スタジアムです。プロ野球のオールスター戦まで開催された東京スタジアム。ところが「いつの間にか消えていた」という印象です。東京スタジアムがオープンしたのは1962年。6月2日にはパ・リーグの6球団が集結し、盛大に開場式が行われました。当初は毎日大映(大毎)オリオンズの本拠地でしたが、チームは1969年に「ロッテオリオンズ」に改称。1970年、ロッテオリオンズはパ・リーグ優勝です。10月7日、東京スタジアムでの試合で優勝を決めた瞬間、コミカレのある受講生は「一斉にグラウンドへなだれ込む子どもたちの姿をおぼえている」と記しています。とにかく、この瞬間、観客やファンがスタンドからグラウンドへ乱入し、選手そっちのけで永田雅一氏(東京スタジアム開設の立役者)を胴上げ。そして、「東京音頭」の歌声が夜空にこだましたそうです。これは、のちの逸話になっているようです。
 しかし、1972年10月15日のヤクルトアトムズ対阪神タイガース戦が最後のプロ野球公式戦となり、閉鎖。1977年に解体され、姿を消しました。複雑な背景があったようですが、ごく簡単に言えば、当時のロッテが球場経営を拒否したからです。
 冬期はスケート場にもなっていた東京スタジアム。子どもたちの遊び場だった東京スタジアム。下町にワクワク感をもたらした東京スタジアム。遥か昔のことです。
 (この部分は、いただいた資料、受講生の皆さんからの話、米沢に戻ってから調べた結果などを総合して書きました)

 先程は「昔ながらが残っている荒川区」と申し上げましたが、こうしてみますと、大きく変貌していたこともわかります。勉強になりました。

 水害は少なくなり、住み良いまちづくりが進んでいるのでしょう。荒川コミュニティカレッジから、生涯教育・社会教育にも力を入れていることがわかりました。
 一方で、さまざまな地域課題があることも実感しました。ジョイフル三の輪商店街も、このままではシャッターの商店が増えていくことも考えられます。
 こうして考えた時、コミカレ受講生・修了生への期待は大きいです。“だがしや楽校”を学んだからには、学んだことをこれからどのように生かすか、これが最も大切になります。
 この意味で、コミカレだがしや楽校の4つのおみせは、いずれも素晴らしかったです。
 なにより、皆さんが楽しく・生き生きとしていたことが印象的でした。

 私も久々の首都圏での“だがしや楽校”を楽しむことができました。荒川区の皆さまに感謝を申し上げて、おしまいにします。

 

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