おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2019年12月30日(月曜日)朝曇り 午前中から夕方は小雨 日中一時差す 夜曇り

【ひとりごとダイアリー・この1年】
 今年(2019年)を振り返って、最も印象に残ったことは、宮城県南部の亘理町・山元町・角田市の人たちと交流することができたことです。
 亘理町や山元町は東日本大震災の時には甚大なる被害がありました。しかし、宮城県では石巻市や南三陸町などの被害や状況はこちらにも伝わってきましたが、亘理町や山元町についてはほとんど伝わりませんでした。情報における空白地域になったのでした。このことは現地の皆さんも感じていたことです。もどかしさがありました。
 きっかけは、今年の5月26日に山形市で開催された“災害被災地応援 うたうべねット山形!チャリティーLIVE”に亘理町のシンガー・ソングライター:森加奈恵さんが出演したことです。森さんのステージからは、素晴らしい歌声とともに亘理町のもどかしい思いが伝わりました。私自身も同様の思いは以前から感じていたことで、できることなら、宮城県南部を自分の目で確かめたいと思っていました。
 7月8日、森さんを訪ねて、震災後初めて亘理町に入りました。そこで知ったことがあります。亘理町では全人口の0.8%の方が犠牲になりました。山元町では4.2%の方が犠牲になりました。この違いはなぜ・・・。これを分析しただけでも防災に大いに役立つはずです。
 8月24日には、山元町で開催された“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”を訪問しました。大規模なイベントでしたが、地域の人たちの思いを感じるものでした。事実上の主宰者である普門寺の住職さんの話も聞きました。海岸から1kmもないところにある普門寺。周囲には集落がありました。しかし、その面影はまったく無しです。イベントは「お帰りなさい」という意味を込めて開催していました。住職さんの思いを曲にして歌っているのが森さんです。
 イベントでは2011年3月11日、山元町で起こった悲劇を知ることになりました。それは幼稚園で起こったことで、園児8人と職員1人が犠牲になりました。森さんによりますと、亘理町ではこのような悲劇は起きなかったそうです。
 8月24日は年に一度の大規模開催ですが、毎月“てらマルシェ”を普門寺で開催しています。通常版と言えます。12月14日、その様子を拝見するため、再び普門寺を訪問しました。マルシェというくらいで、たくさんのおみせが出ていました。そして、震災前この地域に住んでいた人たちが大勢集い、話に花を咲かせていました。お寺の建物(本堂)内とは思えない風景でした。
 同じ12月14日には、森さんからの紹介で気になっていた亘理町のコミュニティ放送局“FMあおぞら”を訪ねました。そして、初めの訪問から僅か20分ほどでスタジオ入りしていました。平日は9時間、土日は7時間だけの放送です。エリアは小さいです。しかし、地域の情報にこだわった編成です。これこそがコミュニティ放送局の原点です。スタッフの方々の温かさ、優しさ、臨機応変な対応ぶりには、感激するばかりでした。

 7月20日、鶴岡市で開催された“だがしや楽校@山王子どもバザール”を、鶴岡の“だがしや楽校”仲間・阿部さんからの招きにより、訪問しました。これは“山王ナイトバザール”で開かれたものです。この日は、東京都荒川区と宮城県角田市の人たちが“だがしや楽校”を開きました。だがしや楽校発案者の松田道雄さんからの紹介によるもので、実践につなげるため、実際の“だがしや楽校”を体験することが目的です。2つのおみせとも、初めてとは思えないほどで、多くの子どもたちが遊んでいきました。また、それぞれの地域を紹介する工夫もされていて、逆に私の方が学んだ感じです。
 角田市では、11月に“だがしや楽校”を開く予定でした。しかし、中止になりました。10月12日に上陸した台風19号による大雨のためです。10月21日、見舞いの意味を兼ねて角田市を訪問しました。訪問した角田自治センター(公民館)も床上浸水です。角田市でも大量の災害ゴミが発生していました。隣りの丸森町は全国ニュースでも大きく報じられるほどの甚大な被害です。しかし、角田市も大きな被害です。でも、ほとんど伝えられません。
 台風19号も、東日本大震災も、あまりにも多くの場所で甚大な被害が発生しましたので、情報の空白が生じるのは仕方ないのかもしれません。でも、こうした情報格差によって、大きな影響が起こる危険性があることは認識しなければなりません。角田市の場合、幸いなことに、山形県からの支援がありました。災害ゴミを山形県で受け入れました。
 それにしても、こんな形で角田市の人たちとの交流が深まるとは・・・、複雑な思いです。

 なお、10月21日は南相馬市(小高区)と亘理町(森さんのお店)も訪問しました。同じように被害状況の確認と見舞いのためでした。10月25日には南相馬市で記録的な大雨が降ったことから電話にて状況を確認しました。

 ここまでの振り返りでは、震災後続けている被災地への訪問・視察・取材・交流活動、関連して避難者支援、だがしや楽校、気象に関連していました。
 このあとは、項目毎に振り返ります。

**********

 避難者支援ですが、あらためて申し上げたいのは、私の意識に「支援」が無いことです。あくまで便宜上「避難者支援」という言葉を使っているだけです。
 今年も毎週水曜日は“きっさ万世・お茶会”(主催:生活クラブやまがた、協力:避難者支援センター“おいで”)に参加することを最優先にしました。“きっさ万世”では何をするわけでもありません。ただ、そこに居るだけです。でも、こうしたことが最も大切と考えています。押しつけがましい支援こそ問題です。
 避難者を取り巻く状況はますます厳しいです。声をあげることもままならない状況はさらに深刻です。でも、避難者こそが故郷を愛し、故郷を最も心配しているのです。福島を「風評被害」と言いますが、「風評」の本当の意味はなんでしょうか。「風評被害」と称して、本当の問題にフタをしてしまうことこそが問題です。
 12月には山形地方裁判所が、原発避難者からの訴えについて、ほとんどを退ける判決を言い渡しました。それは門前払いと言えるものです。言い換えますと、判決の根拠を示さないものでした。これでは、避難者たちが納得しないのは当然です。
 3月11日には“東日本大震災復興祈念事業・米沢会場・追悼式・復興のつどい”の実行委員として、記録を担当したほか、これまでの“追悼式・復興のつどい”の映像を編集・放映する事業も行いました。
 6月29日・30日、避難者のための“今後の暮らし相談会”が行われました。私も実行委員の一人です。これについて開催後に「今後の開催のあり方」を検討することになったのですが、検討の進め方自体に疑問を感じることになりました。簡単に言えば「結論ありき」だったからです。
 やまがた避難者支援協働ネットワークは、県内外から高く評価されてきました。「広域避難」に対する支援のあり方のモデルとなりました。しかし、「形骸化している」という声が聞かれるようになったのも事実です。復興ボランティア支援センターが開催している“支援者のつどい”もそうですが、支援者が本当に得たいという意味でのミーティングになっているのか、冷静に考える時期と思われます。
 
 今年も福島県浜通り地方を何度か訪ねました。
 南相馬市小高区では「落ち着いてきた」という話を聞きました。現在小高区に住む人は震災前の3割程度です。工事関係者の多くは、南隣りの浪江町に移動したとのことです。これで小高という地域は成り立つのでしょうか。これも無理して復興しようとしたからではないか、と感じることがあります。
 浪江町はさらに厳しいです。町役場周辺は、イオンがオープンしたこともあって、活気があるようにも見えますが、浪江町に住む人は震災前の1割未満です。工事関係者もいつかは浪江を去ります。浪江インターチェンジ付近は今も高い放射線量です。

 台風19号と10月25日の大雨では、阿武隈山地にも大量の雨が降りました。阿武隈山地の大半は除染されておりません。汚染物質が入ったフレコンバッグが流されたという情報も入りました。これで本当に安全なの、と思ってしまいます。

 今年は3月と7月の2回、岩手県陸前高田市を訪問しました。また、初めて宮城県南三陸町にも立ち寄りました。2つに共通する課題は、大規模かさ上げ地域での復興です。南三陸町ではかなり埋まった感じですが、まだまだ空き地が多いです。陸前高田市は大半が空き地と言って良いほどです。そもそも、かさ上げなど復興工事が遅れている、という事情があります。これも「オリンピックの影響」と地元の人は言います。国立競技場はアッという間に完成しました。
 避難者や被災地ではオリンピックに対する疑問は根深いです。自分たちは「どこかに追いやられている」「忘れ去られている」という思いがあるからです。「スポーツで元気になる」ことはあるでしょう。しかし、時には日本人の特徴である「美談」にしようという思惑にも感じます。
 こうした厳しい現実でも、被災地の人たちは懸命に生きています。その人たちの招きで陸前高田市を訪問しました。阪神・淡路大震災を体験した神戸の人たちとも交流しました。これはとても素晴らしいことでした。
 山元町・普門寺の住職からは、丸森町筆甫地区のある集落での明るく前向きに生きる住民の話を聞きました。住職は「これだけの大規模災害では、外からのボランティアに頼るわけにもいきません。だから、彼らは明るい表情をしていたのです」と言います。「なるほど」と思いました。
 ただし、私たちはそれに甘えてはなりません。美談にしてはなりません。

 7月の陸前高田は復興の兆しを感じました。その後、秋には中心部にジャズカフェがオープン、奇跡の一本松近くには“高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設”や道の駅がオープンしました。

 それでは、これまで何度も出ている今年の天気(気象)を振り返ります。今や、天気(気象)は“ひとりごとダイアリー”のメインカテゴリーとなってしまいました。
 言うまでもなく、今年は気象災害の年でした。9月の台風15号、10月の台風19号と21号による災害だけでなく、その前から大雨災害はありました。

 1月は一部で大雪だったものの、冬型は長続きせず、米沢は雪が少なめでした。
 2月は暖冬です。とにかく暖かかったです。一方、北海道では観測史上最強の寒波が襲来、2月8日には札幌で40年ぶりに最高気温が氷点下10℃以下となりました。
 3月も暖かで、春の訪れは早かったです。
 4月は寒暖の差が大きくなりました。
 5月は、大雨に記録的な暑さなど、いろいろありました。5月18日、屋久島で長時間にわたり猛烈な雨が降り、多くの観光客が取り残される事態となりました。5月27日、高畠は35.2℃です。山形県で5月の猛暑日は気象庁の観測史上初めてです。5月26日、北海道(網走・北見・紋別地方)佐呂間で39.5℃です。これは気象庁の5月観測史上、高い方から歴代1位です。
 6月はあちこちで局地的な雨に見舞われました。特に沖縄では大雨が続きました。月末は九州地方を中心に大雨です。
 7月は東北地方の太平洋側から関東地方を中心に、日照不足と低温が続きました。東京(都心)では、日照時間3時間未満が20日連続でした。これまでの記録を更新しました。20日には五島列島と対馬に大雨特別警報が発表されるなど各地で大雨です。
 8月は、上旬から中旬が猛暑です。最高気温が40℃を超えた地点がありました。8月15日、新潟県糸魚川市で観測した最低気温31.3℃は、気象庁の観測史上高い方から歴代1位です。8月28日、佐賀県を中心に九州地方北部で記録的な大雨です。佐賀県では広い範囲で浸水・冠水しました。油の流出も相まって深刻な状態となりました。
 9月9日の未明、台風15号は千葉市付近に上陸です。猛烈な風は、千葉県に長期間にわたる大停電をもたらしたほか、深刻かつ甚大な被害や影響を引き起こしました。9月は、5日に台風13号、21日には台風17号、30日には台風18号がそれぞれ接近し、被害をもたらしました。梅雨前線以上に秋雨前線が活発でした。
 10月12日、台風19号が伊豆諸島に上陸しました。台風19号は関東甲信越地方から東北地方の各地に甚大なる被害をもたらしました。死者は90人を超えました。死者数は報道機関によって異なりました。10月25日は、日本の東海上を北上した台風21号と、太平洋沿岸を進んだ低気圧の影響で再び大雨です。千葉県は3度目の災害に見舞われました。千葉県だけで死者は10人を超えました。南相馬市では福島県が設置した雨量計で300ミリを超えました。ほかにも、10月3日は高知県や宮崎県など西日本各地で大雨で、高知県では多くの車が水没しました。
 11月は低気圧に伴う寒冷前線が何度か通過し、そのたびに通過前は暖かく、通過後は寒くなりました。東京では木枯らし1号が吹きませんでした。
 12月は暖冬傾向です。冬型が長続きしません。米沢では雪が少ないです。12月5日〜6日は、秋田県内陸南部や山形県の最上地方から北村山地方で大雪です。

**********

 気象庁は12月23日、“2019年の天候と台風のまとめ(速報)”を発表しました。以下はその内容です。

《概要》
 日本では、年平均気温が1898年の統計開始以降で最も高くなる見込みです。また、台風第15号、台風第19号の接近・通過に伴い、北・東日本で記録的な暴風、大雨となりました。
 今年の台風の発生数は平年より多い29個でした。日本への接近数は平年より多い15個で、そのうち5個が上陸しました。
 世界では、年平均気温が1891年の統計開始以降で2番目に高くなる見込みです。また、世界各地で異常高温や大雨などによる災害が発生しました。

《本文》
(1)日本の天候について
●年を通して気温の高い状態が続き、年平均気温は全国的にかなり高くなりました。日本の年平均気温(基準値との差:+0.92℃)は、1898年の統計開始以降で、最も高い値となる見込みです。その要因としては、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の影響と自然変動の影響が考えられます。
●台風第15号、台風第19号の接近・通過に伴い、千葉(千葉県)で57.5m/sの最大瞬間風速を観測したほか、箱根(神奈川県)で日降水量が歴代の全国1位となる922.5mmを観測するなど、北・東日本で記録的な暴風、大雨となりました。このほか、8月下旬の九州北部地方や10月下旬の関東甲信地方と東北地方など、夏から秋にかけて、各地で記録的な大雨となりました。

(2)台風について
●2019年春まで続いたエルニーニョ現象の影響で3~3月中旬は台風の発生がなかった一方、11月の発生数は過去最多と並び、年間の発生数は平年より多くなりました。
●日本への年間の接近数は平年よりも多く、日本への年間の上陸数は昨年と同じ5個となりました。
●台風進路予報の平均誤差は1日先で81km、2日先で199km、5日先で377kmとなり、台風強度予報(最大風速)の平均誤差は1日先で4.8m/s、3日先で8.0m/s、5日先で9.0m/sとなりました。

(3)世界の天候について
●世界の年平均気温(基準値との差:+0.42℃)は、1891年の統計開始以降で、2番目に高い値となる見込みです。その要因としては、二酸化炭素などの温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の影響と2018年秋から2019年春まで続いたエルニーニョ現象等の自然変動の影響が考えられます。
●世界各地で異常高温が発生しました。ヨーロッパ北部から中部では、熱波(6~7月)により、各国の最高気温の記録を更新した所もありました。
●南アジア及びその周辺の大雨(7~10月)や、東アフリカ南部のサイクロン(3~3月)により、多数の死者を伴う災害が発生しました。

**********

 地震では、6月18日の22時22分頃、山形県沖を震源(深さ14km)とするマグニチュード6.7の地震が発生しました。この地震で、新潟県村上市府屋で震度6強、山形県鶴岡市温海川で震度6弱の揺れを観測しました。この地震による犠牲者はいませんでしたが、鶴岡市の沿岸地域では屋根瓦が落ちるなどの被害が相次ぎました。あつみ温泉でも大きな被害があり、旅館は一時休業となりました。
 この地震では、同じ山形県ということで私にも心配する声が寄せられました。「ありがたい」と思う一方で、複雑な思いにもなりました。同じ福島県でも、浜通りと会津地方では、地理的・気象的条件がまったく異なるのと同じです。

**********

 “だがしや楽校”では、9月7日、東京都荒川区で開かれた“コミカレだがしや楽校 in ジョイフル三ノ輪縁日大会”を訪問しました。首都圏の“だがしや楽校”訪問・取材は久々です。
 今年の印象は、新たな“だがしや楽校”仲間が増えたこと、一方で長年にわたり継続している“だがしや楽校”も拝見でき、“だがしや楽校”の存在の大きさをあらためて実感した年でした。

 NPOです。
 今年のNPO界は、節目の年になったというか、大変な1年でした。
 昨年末に発覚した山形市のNPO法人(特定非営利活動法人)山形の公益活動を応援する会・アミルでの代表理事によるパワハラ問題。その真意はわかりませんが、問題発覚後の動きには疑問を持たざるを得ませんでした。例えば、総会を非公開にしたことです。NPO法人は公開性が大原則です。また、理事は現場(職場)に滞在できなくなりました。中間支援とは、ほかのNPOの模範となるべき存在なはずです。
 長年にわたり山形県のNPO界の中核的存在だったNPO法人山形創造NPO支援ネットワークが解散しました。山形創造NPO支援ネットワークの代表理事を務めた大川健嗣さんが今年亡くなりました。これも時代の流れでしょうか。
 ただ、山形県に於けるNPO界の今後は、かなり心配です。中間支援が上記のような状況だけではありません。例年なら秋に発表される“やまがた公益大賞”ですが、今年度は年明け(来年)にずれてしまいました。先にご紹介した“今後の暮らし相談会”の今後のあり方検討と同様、今年は取り組みに対する熱意の薄さを感じた1年でした。

 長井市は赤ちゃんが生まれた家庭に「ベビーボックス」を贈る事業を行っていましたが、中身がすり替えられる事件が発生しました。すり替えたのは長井市のNPO法人でした。そもそも「ベビーボックス」事業を提唱したのはNPO法人の代表である佐藤亜紀氏でしたが、その本人がすり替えました。漆塗りのスプーンが安価なスプーンにすり替えたのでした。漆塗りのスプーンは私もお世話になっているEさん制作のものです。だから他人事ではありません。佐藤氏はその後行方不明です。Eさんによりますと、佐藤氏は「有名人と交流があるのよ!」というようなことばかり言っている人だった、とのことです。NPOへの思いも無い人だったようですが、事件はNPOへのイメージを悪くしました。
 また、台風19号の被災地からのNPOの名を借りた不審情報が入りました。これもNPOへのイメージを悪くすることになりました。

 真面目にNPO活動を行っている人たちにとっては迷惑な話です。
 こんなことが続きますと、「NPO法人は市民が監視するもの」という日本におけるNPOの仕組みの根幹を揺るがすことになります。信頼できないNPOを市民が監視するわけもありません。ただ、そもそも、この仕組みについて、大半の国民が理解していない・知らないことこそが大問題です。私も含めて、NPOに関わる者は、この大問題をしっかり認識することです。それが第一歩です。

 子どもたちを取り巻く状況は、今年も厳しい1年でした。
 学校は大人の都合を教える場となり、子どもたちを守るのではなく、自分たち(大人・学校という組織)を守ることを優先している事例が次々に伝わりました。災害で休校になった学校が再開したというニュースがありました。その時に伝えられるのは「友だちを会えて嬉しい」という子どもたちのインタビューです。でも、それって本当でしょうか。

 それは障がい者支援でも、不登校やひきこもりの人たちへの支援でも同じです。
 一人ひとりに寄り添うと言いますが、本当の意味の「寄り添う」ってなんでしょうか。このことを自問自答する1年でした。現在は多くの支援施設、福祉施設があります。もちろん、本当の意味の「寄り添う」を行っているところはあります。一方で、「寄り添う」を「自由」という言葉に置き換え、支援を怠っている施設がある、という例があるそうです。「自立」という言葉を誤って理解している支援者もいます。
 発達障がいの息子を父親が殺害するという痛ましい事件が起きました。事件の背景は複雑で、安易に考えることは控えますが、殺害された息子の親に対する「殺すぞ」という態度に至った背景はなんだったのか・・・を考えてしまいます。

 いつもお世話になっているOさんの「車椅子は(健常者での)立っているのと同じです」という言葉は今でも頭から離れません。そのOさんが所属するサークル「ひびき」が“愛の鳩賞”を受賞しました。長年の努力が報われました。とても喜ばしいことです。

**********

 今年は、ラグビーワールドカップで盛り上がり、京都アニメーションの放火事件などショッキングな事件が起こりました。消費税が10%になりました。
 今年は、その国のトップに対する信頼を揺るがすことが起こったにもかかわらず、支持率は低下しない、という不思議な現象が複数の国でみられました。
 もう1つは、理想を言っても、共感につながらない、という風潮が強くなりつつある、とも感じています。地球温暖化に対する警鐘に、共感しない人がいることも、その例のひとつです。イギリスでは「EU離脱反対」という国民が多いはずにもかかわらず、国民投票や先ごろ行われた選挙の結果は違いました。不思議で仕方ありません。
 再び人類は過ちを繰り返すのでしょうか。
 これって、あまりにも便利さを求めすぎたからでしょうか。

 今年開催された“山形国際ドキュメンタリー映画祭”では4本の映画を鑑賞しました。その中で学んだことです。日本が軍国主義に走った時、その目的は「世界の平和と我が国の発展」でした。
 映画祭を主催する認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)山形国際ドキュメンタリー映画祭の理事長・大久保義彦さんが12月6日に亡くなりました。

 今年の音楽界を振り返ります。
 まず、Billboard の年間チャートです。 

 Billboard Hot 100 です。
1位:Old Town Road / Lil Nas X Featuring Billy Ray Cyrus
2位:Sunflower (Spider-Man: Into The Spider-Verse) / Post Malone & Swae Lee
3位:Without Me / Halsey
4位:Bad Guy / Billie Eilish
5位:Wow. / Post Malone
6位:Happier / Marshmello & Bastille
7位:7 Rings / Ariana Grande
8位:Talk / Khalid
9位:Sicko Mode / Travis Scott
10位:Sucker / Jonas Brothers

 Billboard 200 です。
1位:When We All Fall Asleep, Where Do We Go? / Billie Eilish
2位:Thank U, Next / Ariana Grande
3位:A Star Is Born (Soundtrack) / Lady Gaga & Bradley Cooper
4位:Lover / Taylor Swift
5位:beerbongs & bentleys / Post Malone
6位:Scorpion / Drake
7位:Championships / Meek Mill
8位:ASTROWORLD / Travis Scott
9位:Hollywood's Bleeding / Post Malone
10位:Hoodie SZN / A Boogie Wit da Hoodie

 今年最大の出来事はビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)の登場と大ヒットしたことです。この12月に18歳になったばかりの女の子ですが、創り出された曲と音楽は、これまでの常識を覆すような衝撃を感じました。兄のサポートも見逃すことができません。
 “Old Town Road / Lil Nas X Featuring Billy Ray Cyrus”は Billboard Hot 100 で4月〜8月の19週間にわたり第1位です。カントリーとヒップホップの融合で話題になりましたが、Billboard がカントリーのシングルチャートの対象にしなかったことで物議を醸しました。
 Billboard Hot 100 では2月23日付けで、アリアナ・グランデ(Ariana Grande)が第1位〜第3位を独占したことが話題になりました。これは1964年4月4日付けで、The Beatles が1位から5位までを独占して以来のことです。
 イギリスでは、ルウィス・カパルディ(Lewis Capaldi)が注目されました。スコットランドの男性シンガー・ソングライターですが、特徴ある歌い方と楽曲の良さで大人気です。アメリカでもそこそこの人気です。
 秋になって“Dance Monkey / Tones & I”が、突如世界中で大ヒットです。トーンズ&アイはオーストラリアの女性シンガー・ソングライターです。オーストラリアでは20週にわたり第1位。UKシングルチャートでは11週にわたり第1位です。今年最も第1位が多い曲です。
 ヒップホップ全盛ですが、個性的アーティスト、優れた楽曲やアルバムがチャートをにぎわした年でもありました。
 レイ・ソーヤー(Dr.フック)、ダリル・ドラゴン、ミシェル・ルグラン、ジェームス・イングラム、ピーター・トーク、スコット・ウォーカー、ドリス・デイ、ドクター・ジョン、ジョアン・ジルベルト、エディ・マネー、リック・オケイセック、ジンジャー・ベイカー、ジュース・ワールド、マリー・フレデリクソンが亡くなりました。
 また、児山紀芳さんが2月3日に亡くなりました。児山さんは日本のジャズ評論家・DJの第一人者でした。また、埋もれた名演奏の発掘や作品の監修など、活動は多岐にわたり、国内外のアーティストから絶大なる信頼を得ました。多くのアーティストが「児山先生」と呼ぶほどです。DJとしての児山さんはおしゃべりは控え目で、作品をしっかり紹介しました。また、往年の名盤から最新の作品まで幅広く取り上げては放送しました。訃報は、とても悲しく、非常に残念でした。
 アンドレ・プレヴィン(André Previn)の訃報が漏れていました。アンドレ・プレヴィン(André George Previn KBE)が2月に亡くなりました。アンドレ・プレヴィンは1929年4月6日、ドイツ・ベルリン(Berlin, Germany)生まれです。ピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、コンダクターです。ユダヤ系ドイツ人です。ナチスを逃れ、フランス経由で、1938年からアメリカで暮らし、1943年にはアメリカの市民権を取得します。クラシック、ジャズ、映画音楽など幅広く活躍します。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との関係も深く、NHK交響楽団の首席客演指揮者に就任したこともあります。映画音楽では“マイ・フェア・レディ:My Fair Lady”(1964年)をはじめ、数々の名作があります。2019年2月28日、ニューヨーク、マンハッタンの自宅で亡くなりました。89歳でした。

 音楽では、今年もフルート奏者の勝俣敬二さんと仲間たちによるコンサートを何度か鑑賞することができました。今年は初めて教会でのクリスマス・コンサートを体験しました。そこでは、ラジオパーソナリティという人との出会いがありました。千葉県八千代市のコミュニティ放送局で番組を持っている人でした。
 6月には東根市で開催された琵琶奏者、川嶋信子さんの演奏を体験しました。滅多に聴くことができない琵琶の世界。初心者であり、理解しているとは言えません私ですが、なぜか親しみを持って聴くことができました。

 山形県南陽市出身で山形市在住のシンガー・ソングライター、丹波恵子さんの活躍ぶりは素晴らしいです。
 最初に紹介した亘理町や山元町との交流は、丹波さんによるものです。一方で、今年で“災害被災地応援 うたうべねット山形!チャリティーLIVE”をファイナルにしました。ここは難しい判断がありました。
 丹波さんは今年の春、新曲“結のさくら”を発表し、CDとしてリリースしました。これは、山形市野草園にて生育している世界にたった1つだけの桜“ミヤマカスミザクラ”をテーマにしたものです。今年は私も何度か山形市野草園を訪問、丹波さんのライヴを取材(ビデオ撮影及び動画配信)したり、5月には満開の“ミヤマカスミザクラ”を取材しました。

 山形市野草園と言えば、今年は野草園の近くにある“歴史と文化の美術館 わらべの里”を何度か訪れました。蔵王温泉の手前にある“わらべの里”では、地域資源を後世に残すための活動に協力しました。

 今年はお寺との関わりが多かった年でした。宮城県山元町の“てらマルシェ”のほかに、11月3日には山形県朝日町で開催された“寺展”を訪問・取材しました。
 もちろん、毎週水曜日は“きっさ万世・お茶会”では“Teamおきたま”の方々とお会いしています。“Teamおきたま”は、山形県置賜地方の曹洞宗僧侶によるボランティア会で、東日本大震災の発災を受け、僧侶個々人がそれぞれの『縁』を頼りに被災地での活動を始めました。“きっさ万世・お茶会”でのボランティアは2012年1月から続いています。

 今年の“One Coin 地域力 カフェ”は3回中2回が“出張カフェ”でした。“歴史と文化の美術館 わらべの里”と山形市内の寺院です。ここでも寺です。いずれも貴重な経験でしたが、記録(ビデオ撮影・編集等)を担当した私としては、大変さもありました。今年は、8月24日の“てらマルシェ夏フェス2019@避難丘公園”もそうでしたが、記録について考える1年でした。

**********

 いろんなことがあった2019年でした。世の中は心配なことだらけですが、来たる2020年も、私が信じる道を地道に歩み続けたいと思います。

 

HOME