おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2020年10月3日(土曜日)宮城県山元町亘理町の天気:曇りまたは薄曇り

【山元町訪問記】
 慎重派の私です。それは今も変わっておりません。なぜなら、これまでは、宮城県入りすれば、必ずと言って良いほど、そして短時間でも仙台市に立ち寄っていました。しかし、現状では残念ながら、仙台市に行くことは考えられません。
 きょう(10月3日)の宮城県訪問も一大決心のような感じです。
 宮城県入りは3月1日以来です。亘理町のコミュニティFM“FMあおぞら”に出演するために亘理町を訪れて以来です。まさか7ヶ月間もこんなことになるとは思いませんでした。でも正直、私の中には、3月1日時点で、すでに「県をまたいで良いのか」という思いが出始めていました。それだけ当時から状況を注視していました。

 それから7ヶ月。これまで私が訪問してきた被災地では、いろんな動きがありました。
 福島県です。双葉町には9月20日、東日本大震災・原子力災害伝承館がオープンしました。ここは浪江町請戸地区から行った方が行きやすいようです。浪江町には8月1日、道の駅がオープンしました。ただ、関係者の感染が確認されたことで一時休館。8月31日にあらためてオープンしましたが、福島県相双地域では、その後も感染確認が相次ぎました。その大半は、環境省発注の工事関係者で、寄宿舎で生活している人たちです。最近は落ち着きつつあるようですが、まだまだ訪問する気にはなりません。

 一方、宮城県の亘理町や山元町では落ち着いた状況が続いています。山元町では春に1名の感染確認はありましたが、その後まったく出ておりません。亘理町は0人です。
 山元町では9月26日、震災遺構・中浜小学校がオープンしました。また、亘理町のMさんから、先日ですが、山元町での気になる話をお聞きしました。
 そんなこんなで、一大決心により、宮城県入りを決断しました。なんだか大げさですが、少なくても私はそういう考えです。県をまたぐ移動はOKなのでしょうが、とにかく感染防止対策を徹底することが大前提です。

 それでは、7ヶ月ぶりの宮城県訪問をご紹介します。今回は山元町を中心に巡りました。 

 早速、震災遺構・中浜小学校をご紹介しましょう。
 まずは注意事項です。私は花釜避難丘公園(山元町山寺浜)から南下したのですが、新たな県道建設により、結局は国道6号近くまで大きく迂回することになりました。中浜小学校周辺は道路建設が進んでいますので、要注意です。それでも、中浜小学校周囲は何もないため、遠くからでもすぐわかりましたので、移動の目標にできました。

 上の写真が校舎全景です。南(校庭だったところで、現在はメモリアル広場)から撮影です。校舎入口(昇降口)は左側です。

  

 上の写真左は、敷地に入ったところにある倒れたままの石碑です。
 上の写真右は、校舎に入ってすぐにある多目的ホールです。2階から撮影です。

  

 上の写真左は、手前が図工室、奥が家庭科室です。
 上の写真右は、左側が廊下、右側の奥が2年1組の教室、手前が1年1組の教室です。

  

 上の写真左は、屋上から東側を撮影したものです。ここは海岸から約400メートルです。海岸と校舎の間には集落がありました。ここを津波が押し寄せました。屋上に避難した子どもたちは、自分の家が津波で流される様子を見ました。先生たちは「見せてはいけない」と判断、子どもたちを見えない場所に移動させました。
 上の写真右は、屋根裏倉庫です。津波は屋上に迫りましたが、奇跡的に屋上には達しませんでした。地域の住民を含めて、屋上に避難した90人は、ここで一夜を過ごしました。水も食べ物もありません。もちろん寒いです。それでも、これも奇跡的に体育館に保管されていた毛布があり、それで寒さをなんとか凌ぐことができました。ただ、トイレは我慢できませんので、屋根裏の一角に簡易トイレを作ったそうです。子どもたちも静かに一夜を過ごしました。
 翌日、自衛隊によって、全員救出されました。

 ご紹介した写真は、見学できたところのごく一部です。
 見学は1時間30分近くを要しました。ここで何が起こったかが、すべてとは言いませんが、ほぼわかりました。ご紹介したとおり、ここでは1人の犠牲者も出ませんでした。そのことを伝えるため、またなぜ1人の犠牲者が出なかったのかを伝えるため、山元町は中浜小学校を震災遺構とし、1人でも多くの人に見学してもらい、防災について考えてもらうため、一般公開を始めました。

 それは偶然の重なりです。その偶然には人間の英知もありました。小学校の敷地をかさ上げしたこと、3月9日の地震で学校として備えをしたこと、垂直避難を決断したことです。これらは、おおいに参考になるでしょう。
 しかし、私は複雑な思いでもありました。
 校舎の周囲は、体育館が取り壊され、駐車場が整備され、見学者のための管理棟が設置されました。それは(適切な表現ではありませんが)まるで観光地のようにも感じました。全国ニュースになったこともあり、多くの人が見学に訪れていました。名古屋から来られた人もいました。
 校舎内の音楽室では10分あまりの動画も放映していました。一般公開となれば、見せるためのものは必要でしょうが、考えてしまいます。
 屋上と屋根裏倉庫を案内された方は、当時の学校職員(先生)なのでしょう。生々しい説明は想像を絶します。屋根裏倉庫での一夜を考えますと、言葉もありません。だから、複雑な思いなのです。

 人口比に対する犠牲者数、山元町は亘理町の約4倍です。
 中浜小学校では犠牲者無しでしたが・・・。展示室(図書室)では、山下第二小学校の例も示されていました。山下第二小学校では水平避難を選択しました。その結果がどうなったかは、示されたものでは、よくわかりませんでした。
 中浜小学校だけでなく、山元町全体として、あの日なにが起こったのか、概略でも良いので、伝えてほしかったです。これも防災意識につながります。
 山元町や亘理町は、東日本大震災では情報の空白地域となってしまいました。そういう意味で考えますと、中浜小学校の存在は大きいです。

 これを維持するのも大変かな、とも思いました。それを考えますと、「入場料」徴収は仕方ないですが、「入場料」という表現に、若干引っ掛かるものを感じました。

 中浜小学校から約2kmの山元町農水産物直売所“やまもと夢いちごの郷”で休憩です。
 施設内の写真撮影がOKなので、中の様子をご紹介します。農水産物をはじめ、いろいろな商品を販売しています。山元町内のお店を紹介しているコーナーもありました。

  

 休憩ということで、いちごのジェラートをいただきました。いちごの果肉がたっぷりで美味しかったです。生き返った気分です。

  

 “やまもと夢いちごの郷”は2019年2月オープンです。JR常磐線・坂元駅の脇です。上の写真右の中央が坂元駅です。このあたりの常磐線は高架です。元の坂元駅は、ここから東(海側)へ約1.1kmでした。

 続いて、普門寺(山元町寺浜)を訪ねました。花釜避難丘公園の近くです。
 ここは昨年(2019年12月)以来の訪問です。“てらマルシェ”が開催されていた時です。住職のSさんとしばらく話しました。

  

 2月8日の“てらマルシェ”に笑福亭鶴瓶さんといきものがかりの吉岡聖恵さんが訪れました。その様子は3月に、NHKテレビの“鶴瓶の家族に乾杯”で放送されました。しかし、それがコロナ禍前の最後の“てらマルシェ”でした。Sさんは「放送は多くの人に知ってもらうきっかけでしたが、3月以降は中止が続いています」と残念そうに話されました。それでもSさんは「震災10年目に向けて、できることを考えたい」とも話されました。
 一方で、お疲れの様子もありました。なんと!、そしてまさかです。ここに風力発電の話が持ち上がっているのです。
 計画では、花釜避難丘公園付近から亘理町近くまでの海岸沿いに風車が建ち並ぶのです。自然エネルギーとして注目されている風力発電。しかし、リスクがあることは意外に知られていません。リスクには人間の健康に関係するものもあります。そのことを懸念するSさんは、地域の人たち立ち上げていた会を中心に、活動を行っています。
 山形県でも、つい最近、白紙撤回に追い込まれた風力発電計画がありました。それは行政の形式的な許可や、地域の現状を理解せずに一方的に計画を推し進めたからです。計画は羽黒山の近くに風車を建てるものでした。当然のことながら、大反対に遭ったのでした。
 震災と津波に加えて、降って湧いた風力発電問題。それはSさんたちにとっては、まさに「突如わき起こった」問題です。計画は、地域の人の思いを無視し、一方的に進めようとしています。すでに住民説明会は行ったようですが、「住民説明会開催=計画を推進して良い」とされたら、Sさんたちは、たまったものではありません。
 そんなこんなで、Sさんはお疲れの様子だったのです。
 地域活動のキーマンであるSさん。私もできることで応援したいです。

 このあとの4枚の写真はふじ幼稚園です。普門寺から西へ約800メートルです。
 訪問再開を機に、初めて訪れました。私自身の心境の変化かもしれません。

  

 当時、園児は51人です。大きな揺れで「園舎は危険だ」ということで、園児は職員の誘導で2台の送迎バスに乗り込みました。そこに津波が来ました。園児8人と職員1人が亡くなりました。これがふじ幼稚園の悲劇です。

  

 上の写真左は玄関です。千羽鶴が見えます。お供え物も見えます。カレンダーは現在(2020年10月)です。今でもここに息づいているものがあるのかもしれません。園庭にはコスモスの花が咲いていました。
 現在のふじ幼稚園は、海から離れた国道6号線沿いです。

 きょう1日、山元町を巡って思ったのは、中浜小学校を見学することはとても意義あることですが、それだけで終わらないでいただきたい、ということです。
 ここにご紹介したことは、山元町での、ごくごく一部のことです。

 帰りは亘理町に立ち寄り、Mさんのお店で食事をしました。ゆっくりノンビリしましたので、亘理町を発ったのは夜8時を過ぎました。

  

 写真は亘理町で夜8時20分撮影です。お月様と火星の位置関係が反対になりました。今夜は霞みが強く、ボンヤリとしたお月様です。

 感染状況を見ながらですが、きょう(10月3日)の行動をきっかけに、県をまたぐ動きも行っていきたいと思っています。ただし、繰り返しですが、慎重派であることに変わりはありません。行動範囲は、限定的と言わざるを得ないのが現状です。

 

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