おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2020年11月1日(日曜日)福島県相双地方の天気:午前中から昼すぎは晴れ薄雲浮かぶ 午後曇り

【双葉・浪江・南相馬訪問記】
 福島県の双葉町・浪江町・南相馬市を訪ねました。
 私が福島県浜通り地方(相双地方)を訪ねるのは、2019年10月21日以来です。1年以上も訪ねていなかったことになります。自分でもビックリです。2019年12月14日と2020年3月1日には宮城県の亘理町を訪ねていましたし、2020年10月3日には宮城県山元町と亘理町を訪ねていましたので、なおさらビックリしたわけです。
 例年なら3月や4月には訪ねている相双地方でしたが、2020年3月には県をまたぐ移動は考えられなくなりました。そして、つい最近まで、2020年の相双地方訪問は「できないだろう」と思っていました。それが、この1週間の福島県は、比較的落ち着いた状況になってきました。相双地方では一時期、環境省委託の事業に携わる福島県外からの作業員の感染確認が続きましたが、それも最近は収まっています。
 実は私も相双地方で行ってみたいところがありました。そうした中、私どものスタッフからの後押しもあって、思い切って相双地方を訪ねることにしました。

 まず訪ねたのは、2020年9月20日にオープンした東日本大震災・原子力災害伝承館(福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39)です。
 双葉町は震災後、何度か通ったことはありますが、双葉町内に留まるのは、きょう(11月1日)が初めてです。

  

 上の写真左が正面側(南側)からの撮影です。上の写真右は東側からの撮影です。下の写真左は建物2階から東側を撮影したものです。奥には海が見えます。広大な敷地の中を1台数十万という芝刈り機2台が動いていました。周辺は復興祈念公園の整備が進められています。下の写真右は、南東側に建設された双葉町産業交流センターです。広々とした場所に2つの建物が並んでいます。

  

 ここは、福島第一原子力発電所の中心から北に約4kmです。原発敷地の北端からですと、約2.5kmです。原発は目の前です。こんな場所に復興祈念公園を整備しています。

 中に入ります。検温をします。そして受付へ。入場料(大人600円)を払います。有料は理解できますが、600円は高いです。観光施設・遊戯施設とは違います。その名のとおり、ここで起こったことを風化させないために、多くの人に観てもらいたい施設なはずです。
 まず、プロローグ(導入シアター)です。ここで約5分間の動画映像が映し出されます。映像上映は20分ごとのようです。それに係員の説明があります。見学するには必ず導入シアターに入り、動画映像を観なければなりません。ということは、うがった言い方をすれば、見学は強制されている、ということです。動画は180度の多面映像。床にまで動画映像が映し出されます。この動画映像で洗脳しているのかもしれません。
 一人の見学者が「金かかっているな〜」とつぶやきます。それは動画映像であり、建物自体もであります。確かに、万一のことを考えれば、頑丈に造る必要はありますが、わざわざこんなところに造らなくても・・・という思いも過ぎります。
 スロープを上がって、2階の展示室に入ります。振り返って、特に印象に残ったものはありません。記憶を蘇らせようとしていますが、なかなか思い出せません。数多くの展示はありましたが、リアルでないからです。数多く設置されている動画モニターの中でのコメントや説明。それがあちこちから流れていたからです。それは一方的な説明です。生の人間が、見学者の様子をみながら説明するのとは、わけが違います。それは見方を変えれば、エンターテイメントにもみえます。
 確かに「避難を強いられた」とか「長期化する原子力災害の影響」という文言はありましたが、最後の「復興への挑戦」では、いかにも復興が進んでいるような表現で、やむなく避難された人たちのことを思うと、あるいはいまだに避難生活を続けている人たちのことを思うと、違和感です。とても避難生活を続けている人たちに伝えることはできません。
 結局はきれいにまとめているという印象です。「復興への挑戦」という表現も、考えてしまいます。復興って「挑戦」するものなのでしょうか。

 ここまで、厳しいコメントをご紹介しましたが、展示や語り部の口演では、それができません。すなわち、展示や語り部による口演では、原発事故に対する問題点の洗い出しや原因究明などの内容は、すべて省かれています。だから、私のコメントもタブーであります。
 すでに、ニュースでは、地元の人(原発事故で被害を被った人)の「原発事故の責任に関する展示が一切ない」「教訓になることが展示されていない」と憤っている様子が伝えられていました。でも、ここではそれができないのでしょう。なぜなら、Wikipedia によりますと、運営管理者の公益財団法人(公益ですか・・・???)には国の職員が出向しているからです。オープンまでの費用約53億円は国が負担しています。
 
 駐車場には50台以上の車がありました。大型バス1台も停まっていました。大半は国道6号から入ってきたと思われます。でも私は、浪江町請戸に向かうこともあって、裏側から出ます。
 まもなく、下の写真のような風景です。東日本大震災・原子力災害伝承館をバックにしたリアルな風景です。こちらの方がインパクトありです。ここで何があったのか。

  

 下の写真左では、中央奥に原発のタワーが見えます。ここで原発がトラブルを起こしたら、私は生きて帰れないかもしれません。ここでは下の写真右の風景もみられます。近くには民家もありました。2011年3月11日から時間が進んでいない風景です。

  

 ネット上での東日本大震災・原子力災害伝承館は、意外に評価が高いです。これも「日本人の鵜呑みにしてしまう特性」によるものでしょうか。
 確かに、ここで何が起こったのかを知るひとつのものではあります。ただ、東日本大震災・原子力災害伝承館で展示しているものは、現実のごく一部です。つまり、東日本大震災・原子力災害伝承館を見学したことで、原発事故について「理解できた」とは思わないでいただきたい、ということです。大切なのは見学後の行動です。

 下の写真は、浪江町の請戸川です。写真左奥が河口で太平洋が見えます。写真右が上流側です。このあたりの風景も変化しています。

  

 下の写真は請戸漁港です。数多くの漁船が停泊しています。漁協の建物(請戸漁港市場)も出来ました。逆に見晴らし台は撤去されていました。

  

 請戸漁港も様変わりです。請戸漁港周囲には新たなものが造られています(下の写真左)し、請戸の集落があった場所(下の写真右)も、まだまだ工事中です。ここで多くの作業員が働いているのでしょう。きょう(11月1日)は日曜日なので静かですが。

  

 上の写真は少し高い位置からの撮影ですが、新たな道路のようです。ここから見える福島第一原発が下の写真右です。原発までの距離は約6.8km(原発敷地の北端から約5.3km)です。そして、先程の請戸川沿いから撮影した福島第一原発は下の写真左です。原発までの距離は約7.4km(原発敷地の北端から約5.9km)です。

  

 浪江町営大平山霊園を訪ねます。ここは何度も訪れている場所です。ここから請戸地区が見渡せます(下の写真左)。ここからの風景も様変わりしています。新たな道路が造られています。

  

 上の写真右は敷地の一角にある宇宙桜です。大きくなってきました。
 上の2つの写真の右奥が請戸小学校です。下の写真右は大平山霊園からの撮影です。東南東方向です。海がよく見えるようになった印象です。1月1日の初日は、請戸小学校から昇ります。

  

 上の写真左は両竹地内からみた請戸小学校です。北東向きの撮影です。請戸小学校は、福島県で唯一、震災遺構に決まりました。

 道の駅なみえを訪ねました。
 道の駅なみえ・・・運営は一般社団法人まちづくりなみえです。事務所は浪江駅前です。そこでは、カフェ“かふぇ もんぺるん”を営業していますが、情報では臨時休業となっています。

  

 道の駅なみえ、オープンは2020年8月1日でした。しかし、一般社団法人の従業員の感染が確認されたことで8月20日より臨時休業。臨時休業前に米沢から訪れた人もいたとのこと。感染確認のニュースにビックリしたそうです。
 その後、感染拡大にいたらなかったことで、8月28日に再オープンです。この日が本当の意味でのオープンです。
 場所は浪江町役場の北側。道の駅の東側は国道6号、南側は国道114号です。国道114号は常磐自動車道・浪江インターに通じますが、工事中でちょっと道の駅に入りにくいです。国道6号も北側からでは直接右折で入ることはできず、国道114号から入ります。
 かなりの車が駐車しており、にぎわっています。それでも満車ではなく、程良いにぎわいに見えました。
 上の写真右に写っているのは“うけどん”です。浪江町のゆるキャラです。福島県では最も人気があるゆるキャラなんだとか? でも、現在ふわふわで遊ぶことはできません。
 外では、大道芸や音楽ライブが行われ、来場者を楽しませていました。
 とにかく徹底した感染対策です。施設内の入口は1ヵ所のみ。入口には係員が常駐。サーモグラフィーで体温チェック。食事ができるフードコートのテーブル席は、1席ごとに仕切り板で完全に仕切られています。これだけ徹底していれば安心です。「教訓」を生かしているのでしょう。
 程良い大きさの道の駅で、買い物できるスペースもコンパクトにまとまっています。ここで土産を買いました。
 フードコートのメニューも多彩で、気軽に食べられるものから、少しお高いものまであります。私はシラス丼を食べました。タップリのシラスで美味しかったですが、お米は正直、山形の米の方が美味しいです。
 そこそこ楽しむことができた道の駅でしたが、ここで浪江町のこれまでや現状を知ることはできません。道の駅とはそういう施設ではないでしょうし、目的を考えれば「これで良い」という考え方はあります。でも、やっぱり複雑な思いです。地元の人との交流もできません。
 であれば、近くの“まち・なみ・まるしぇ”が良いかもしれません。そう言えば、道の駅がオープンしたことによる“まち・なみ・まるしぇ”の影響はどうなのでしょうか。
 それをうかがわせる風景がありました。イオン浪江店が道の駅で販売会を開いていました。イオン浪江店も道の駅から近いです。

 なお、浪江アメダスでの最高気温は21.0℃(11時11分:+3.4℃)です。福島県のアメダス32地点の中で最も高いです。

 南相馬市小高にも立ち寄りました。午後2時すぎです。この時間になって、上空は薄雲や雲に覆われてきました。下の写真は駅前通りです。 

  

 言いにくいですが、ガッカリするほどの寂しさです。
 交流施設やお店の多くが閉まっていました。上の写真右では営業中の幟は見えますが、食堂であり、この時間、お客さんはほとんどいないと思われます。
 小高交流センターでは、子どもたちの遊び声が聞こえたり、カフェはオープンしていましたが、マルシェは午後2時で閉まりました。食堂はお休みでした。小高交流センターでは、小高名物のイルミネーションの設置作業が行われていました。しかし、小高交流センターも全体に閑散としていました。
 よく見ますと、小高の市街地では、新築の住宅はありましたが、こんなに活気のない小高は、避難指示解除後では初めてです。日曜日は高校生が歩かないからでしょうか。道の駅なみえを見た後ということで、より一層寂しく見えたのかもしれません。新型コロナウィルスの影響もあるかもしれません。

 小高から原町へ向かう途中、相馬太田神社に立ち寄りました。立ち寄るのは初めてです。

  

 神社に詳しくない私ですので、説明はできませんが、相馬太田神社は相馬三妙見社の1つです。相馬三妙見社は、相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社の3つです。3つの神社の祭礼が“相馬野馬追”です。

  

 相馬中村神社と相馬小高神社は市街地を見下ろす位置にありますが、相馬太田神社は周囲に小さな集落があるだけです。平地の中にある小さな丘です。城跡です。歴史的背景があるのでしょうけど、不思議な感じです。

 原町で買い物をしたあと、宮城県亘理町に立ち寄りました。
 午後3時をすぎて、雲が分厚くなり、薄暗くなってきました。
 亘理町ではMさんにお会いして、米沢に戻りました。

 まだまだ自由に行動できる状態ではありません。慎重派の私に変わりありません。一方で、自分の目で見ることが大切であることも変わりません。これからも状況を慎重に見極めながらの行動になります。

 

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