おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2020年12月30日(水曜日)未明から朝は曇り晴れ間あり 午前中一時小雨 午後曇りで時々差す 午後2時すぎ一時 午後3時すぎから差しあるも時々小雪 午後4時以降 晴れ間あるも時々

【ひとりごとダイアリー・この1年】
 2020年1月1日、米沢では穏やかな年明けです。
 米沢は未明からの雪降りで、雪景色になりました。この天気で、初日を拝むのは難しいかな・・と思っていたら、雲間から初日を拝むことができました。雪は僅かに積もった程度で、穏やかな元日です。一方、ニュースでは、ある逃亡劇を伝えていました。これが2020年の予兆だったのか。

 雪が少ない・・というより「雪が無い」まま、時間が過ぎました。今年(2020年)は3月11日開催予定だった令和元年度の日本大震災復興祈念事業(米沢会場)の準備が順調だったことで、私の準備も例年より早めに進みました。
 1月はNPO関係のミーティング(組織評価に関するミーティング)に出席するなどの活動がありました。1月17日には、初めて“笹野観音十七堂祭り”を取材するなど、地域での活動もありました。
 1月下旬頃になりますと、ニュースは新型コロナウィルス(COVID-19)を大きく伝えるようになり、私も心配になり始めました。中国が春節となり、日本を訪れる中国の人たちによって、日本でも感染者が出るのではないか、となったからです。
 1月16日には、日本で1人目の感染が確認されています。

 心配しながらも、2月はいつものとおり、活動を続けました。2月11日には南陽市のNPO法人が主催する1泊2日の行事に参加、地域の人たちとの親交を深めました。
 2月18日には、令和元年度の日本大震災復興祈念事業(米沢会場)を、米沢市のコミュニティFM“エフエムNCV おきたまGO”で広報。夕方の生番組で放送しました。この時点では、予定通り開催できるものと考えていたからです。
 一方で、私は2月17日、和歌山県湯浅町の社会福祉協議会へメールしました。済生会有田病院で5人の感染が確認され、ニュースで大きく報じられたからです。この時の私は「新型肺炎(新型コロナウィルス)」という言葉を使っていました。とにかく心配でメールしたわけです。

 米沢で雰囲気が一変したのは、2月23日(日曜日・天皇誕生日)を中心にした3連休が終わった頃です。
 2月26日(水曜日)には、いつものように“きっさ万世・お茶会”(主催:生活クラブやまがた 協力:避難者支援センター“おいで”)が開かれました。しかし、そこで発表されたのは「来週からしばらく中止」でした。その時の私の正直な気持ちは「いつかは再開できるだろう」と「そんなに簡単には再開できないかも」でした。結果は後者でした。今もって再開の目処は立ちません。
 2月28日、令和元年度の日本大震災復興祈念事業(米沢会場)の開催中止が決まりました。私はこのことをいち早く“エフエムNCV おきたまGO”に報告しました。なんとも複雑な思いです。

 政府は2月27日、「全国の小中高校について、3月2日より臨時休校にするよう要請する」と発表しました。米沢でも臨時休校となりました。この時私は「律儀にも・・・」と書きました。今思うと、「これって何だったんだろう」です。

 3月1日、宮城県亘理町に行きました。亘理町のコミュニティFM“FMあおぞら”に出演するためです。2019年12月に続いての出演です。生放送では、音楽のことや各地のコミュニティFMなどの話をしました。
 FMあおぞら社長のYさんは、NHKとフジテレビの共同制作番組に(コミュニティFMの代表として)出演するなど大活躍です。

 ところで、私はこの時すでに「県をまたく移動は良いものか」という思いがありました。亘理町ではマスク着用に人が目立つようになった時期でした。なぜなら、前日の2月29日、宮城県1人目(仙台市の70代男性)の感染が確認されたからです。
 それでも“FMあおぞら”とは「次回は4月にNPO関係の番組へ出演する」という話になりました。しかし、叶いませんでした。4月1日、キャンセルになりました。ここまでの急速な感染拡大は予想できませんでした。

 宮城県1人目は、クルーズ船“ダイヤモンド・プリンセス号”を利用。2月20日、下船。2月23日、仙台市で健康フォローアップを開始。2月28日、微熱・咽頭痛が確認されたため、感染症指定医療機関に検査入院。2月29日、陽性が判明です。

 3月17日、福島市でのNPO関係のミーティングに参加しました。この時は、まだマスク着用は求められませんでしたが、郡山市では、大学関係者が無断で海外旅行をした後、感染が確認され、大きなニュースになっていました。急遽、卒業式が中止になってしまいました。

 ちなみに、福島県1人目は、いわき市の70代男性です。こちらも、クルーズ船“ダイヤモンド・プリンセス号”の利用者です。2月21日に下船後、国が指定した施設で健康観察。2月27日にいわき市へ帰宅。その後、のどの違和感を発症しました。3月7日に陽性判明です。

 クルーズ船“ダイヤモンド・プリンセス号”は、大きな問題になりました。海外からも日本の対応に非難の声があがりました。「失敗」と断じる人は少なくないです。これによって、日本国内での感染が広まった、とみる人も多いです。
 私も、これによって「国民にツケが回された」と強く感じました。

 3月29日、フォーラム山形で開かれた映画『お百姓さんになりたい』の上映会と原村監督のトークに参加しました。この時期は、全国で感染が広がっていましたが、山形県は感染者0人でした。原村監督は私に「たいしたもんだ」と言っていましたが・・・。
 この時は、フォーラム山形からのマスク着用の要請はありませんでしたが、多くの人がマスクをしていました。トークでも新型コロナウィルスの話が中心でした。

 ひとりごとダイアリーでは、2月までは意識的にあまり取り上げないようにしましたが、3月に入って「避けては通れない」と思うようになり、感染状況を伝えるようになりました。
 この頃に感じたのは、重大な危機が迫っているにもかかわらず、報道機関の対応です。私は3月24日“メディア連携を強く望む”という提言を発表しました。

 3月29日、志村けんさんの訃報が伝えられました。日本国中に衝撃が走りました。
 同じ日には、アメリカの男性ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライターであるアラン・メリル(Allan Preston Sachs)の訃報も伝わりました。やはり新型コロナウィルス(COVID-19)感染のためです。

 3月31日、ついにその日が来ました。よりによって、山形県での1人目(1例目)は米沢です。がく然としました。いわゆる合宿免許で、米沢にある自動車教習所で教習を受けていた神奈川県在住の20代女性(大学生)だったのです。感染された方は「お気の毒に」と思いましたが、なんとも複雑な思いでした。この夜は寝付けなかったです。
 私などは、すでに「県をまたぐ移動は慎重に」と思っていましたので、自動車教習所での対応に疑問を持ったからです。結果、山形県は県内の自動車学校・教習所に対し、山形県外からの教習生の受け入れを自粛するよう通知しました。
 また、山形県や米沢市は、県民・市民に対し、4月1日〜14日の2週間、不要不急の外出を控えるよう要請しました。一方で冷静な対応も求めました。買い物など生活に必要な外出まで自粛を求めるものではありません。「密閉」「密集」「密接」が重ならないように注意することです。すでに「3密」という言葉が浸透しつつあった時期です。

 不思議なもので、このあと山形県では感染確認が相次ぎました。大蔵村では福祉施設で感染者の集団=クラスターが発生。米沢でも、食品加工工場でクラスターが発生するなど、感染確認が続きました。米沢市内のスーパーでは臨時休業となりました。
 “道の駅米沢”の従業員の感染が明らかになった時には、“道の駅米沢”の対応に疑問を感じました。従業員は発症後も出勤を続けました。その事を“道の駅米沢”ではいったんホームページで公表したのですが、数時間にわたりホームページで見られなくしました。
 従業員が発症後も出勤を続けた背景には、当時の“道の駅米沢”対応に問題があったのではないか、と私はみています。体調不良になったら休むことができる職場環境だったのか、従業員に対する健康管理は・・・などなど。

 4月から5月にかけては、避難者支援センター“おいで”をはじめ、米沢市内の公共施設が閉鎖です。それは、政府が緊急事態宣言を発表した時期でもありました。
 私も動けなくなりました。「松が岬公園での写真撮影を続けて良いものか」と思ったほどです。それは桜の時期と重なりました。こんなに悲しい桜の季節は初めてでした。“米沢上杉まつり”もありません。静かな連休です。
 私たちは、ゴールデンウィークにおいて、我慢を強いられました。それは今も続いています。この年末年始も我慢です。いつまで我慢すれば良いのか!!

 この時期、米沢では情報が混乱しました。公的機関から米沢市内のある店舗の従業員の感染が確認された、という情報が流れました。私の自宅から比較的近いので現地に行ってみました。遠目での確認ですが、通常通り営業していました。結局、その後もそのような情報は一切ありませんでした。繰り返します。噂ではありません。公的機関の情報です。
 置賜地方では、こんなこともありました。ある町内で「町内の○○さんが感染しました」という回覧板が回されたそうです。

 何もできないまま、5月中旬です。避難者支援センター“おいで”が再開です。
 しかし、雰囲気はかなり違いました。滞在時間の制限、子どもの入室禁止、仕切り板の設置などです。おもちゃ類は撤去。これだけでも雰囲気は違います。それでも、スタッフの人たちは、来客者に対し、誠心誠意対応していました。

 5月から6月は、特定非営利活動法人(NPO法人)の総会時期です。内閣府では、コロナ禍での総会開催方法を示すなどの支援を行いました。また、事業報告の提出期限を「3ヶ月以内」から特例で「半年以内」としました。
 私はいくつかのNPO法人に関わっていますが、その多くが書面での開催となりました。残念でしたが、仕方ないです。1つだけ、感染防止対策を講じた上で、通常どおり開催しました。

 今年のNPO業界は、新型コロナウィルス(COVID-19)に揺さぶられました。関係者の努力により、NPO法人も持続化給付金の対象になりましたが、活動は大きく制約されました。
 一方で、福祉施設や放課後児童クラブなど、活動を続けているNPO法人では、神経がすり減るような状況です。

 ここで取り上げなければならないのは、医療関係者への偏見・差別です。
 本来なら、第一線で、ギリギリの状態で、まさに神経をすり減らしながら仕事をしている人たちに、私たちは衷心より感謝しなければならないのに、日本は、日本人は、どうしたのでしょうか。

 新型コロナウィルス(COVID-19)において、最も憎いのは、人間の心を腐敗させようとしていることです。「自分さえ良ければ」がむきだしになったのです。
 その背景として考えるのは、私たち人間は便利さ・合理性ばかりを求めてきたからであります。一切の無駄を排除してきた資本主義社会のツケが露呈したとも言えます。それが人間性を奪いました。
 それは日本だけではありません。その象徴は、どこかの国の大統領でした。他人を蹴落とすことしか頭になく、反省の文字が一切ない、という人でした。だから、今年の大統領選挙の報道は見ませんでした。見ればイライラするからです。あの大統領のおかげで、現地に住む日本人が大変な思いをしていることがわかっていれば、もっと違った報道ができたはずです。
 現地に住む日本人のジャズミュージシャンが暴行されて演奏活動に大きな支障が出るほどの重傷を負ったニュースも衝撃でした。

 私が最も大切にしている「人と人とのつながり」を阻害する新型コロナウィルス(COVID-19)。動けないことに加え、私に大きなストレスとしてのし掛かりました。
 「3密」「ソーシャルディスタンス」という言葉が横行しました。悲しすぎます。守らなければならないのはわかっていますが、無情であります。
 有識者の中には「ソーシャルディスタンスは意味がない」という人までいるほどです。イギリスのヴァン・モリソン(Van Morrison)が「ソーシャルディスタンスなんか、くそ食らえ」と言って物議を醸した、という情報が現地から伝わりました。

 私が特に気になる言葉は「新しい生活様式」です。誰が言い出したのでしょうか。正しくは「新しい生活様式」ではありません。「非常時の生活様式」です。「新しい生活様式」というのであれば、新型コロナウィルス(COVID-19)におびえる日々が永遠に続くことになります。
 同じように「ウィズコロナ」という言葉も違和感です。

 ただ1つだけ、評価したことがあります。それは「食事中は大声を出さない」「飲食店では大声を出さない」です。これは、コロナ禍でなくても、1つのマナーです。
 2020年2月、山形市内のファミレスです。近くの席の人の話し声があまりに大きいため、店員にお願いして、私の席を変えてもらいました。その大声を出している人ですが、常に大声でした。普段から大声なのでしょう。

 ここでは、医療従事者だけなく、高齢者施設についても考えます。
 高齢者施設では、職員による利用者への虐待が問題になっています。しかし、その逆があることについては、ほとんど報じられておりません。誠に残念です。
 利用者(高齢者)による職員への虐待は、実はかなり深刻であります。言葉の暴力だけではありません。身体的・肉体的暴力もあるのです。突然後ろから、意味もなく、叩かれることだってあるのです。そのことへの対応は、利用者虐待とみられることがあるため、職員・施設側が我慢しているケースは少なくないと、私はみています。
 利用者も人間なら、職員・スタッフも人間です。人権があります。そのことを忘れてはなりません。

 話戻って、6月に入り、少しずつ動き出した私です。
 6月17日には、旧長井小学校第一校舎を訪ねました。とても良い施設です。Sさんに施設内を見せてもらったことも嬉しかったです。私が望むのは、謙虚な運営です。

 6月26日には山形市で“支援者のつどい”が開催されました。そもそも山形市へ行くのも久しぶりでした。
 そう言えば、避難者支援に関しては今年1年、「何もしていない」と言って良いほどです。
 私が気になっているのは、コロナ禍によって、東日本大震災と原発事故の風化が加速することです。あれからまもなく10年です。私たちは、いまだに多くの人たちが避難生活を続けていること、福島への帰還を選択しない人たちがいることを忘れてはなりません。
 11月1日、福島県双葉町の“東日本大震災・原子力災害伝承館”を見学しました。私の目にはエンターテイメントに映りました。何も伝わってきませんでした。さらに驚いたのは、周囲に復興祈念公園が整備されていることです。原発は目の前です。原発で今行われているのは、ギリギリの綱渡りの作業です。
 2021年3月11日は「10年目」です。しかし、節目ではありません。

 7月24日、酒田市の松山文化伝承館で開催の“山と里のいろどり展”を見学しました。“だがしや楽校”仲間のYさんたちの作品が展示されていました。会場施設スタッフのKさんが私のことをご存じで、松山文化伝承館も見学できました。山形県外への移動が難しい中、久々の長距離移動でした。帰り、鶴岡市に立ち寄りました。でも、これが今年の最初で最後の鶴岡訪問でした。
 その庄内地方も、ここに来て、感染確認が続いています。行くことができません。

 鶴岡と言えば、“鶴岡まちなかキネマ”の閉鎖はショッキングなニュースでした。
 定員の半分程度の集客で苦しい経営だったところに、政府の緊急事態宣言による休業で、追い打ちをかけられました。私もお世話になってきただけの、とても残念でした。その後、市民有志による再開を望む署名活動が行われましたが、地元の人からは「難しい」という声を聞きました。最近になって、社会福祉協議会が中心になって、施設活用の動きが出ています。
 山形市では“丸八やたら漬”の廃業が伝わりました。これに伴って、香味庵も無くなってしまいました。香味庵は山形ドキュメンタリー映画祭で映画人が集う場所でした。私も何度か訪問しましたが、中でも原村監督との熱い熱い談義は忘れることができません。こちらは解体され、マンションになってしまいます。

 廃業と言えば、大沼の突然の閉店(1月)もビックリです。あまりにも唐突な閉店は、問題となりました。夏には感謝セールが行われました。そして、最近になって、山形市を中心にした動きが出ています。
 隣りの福島市では、中合が閉店しました。

 9月9日、山形市で“プレミアム平日マルシェ”が開催されました。主催者は福島からの避難者です。イベント自体、いろいろ感じることはありましたが、そこでの出会いが、新たな展開につながりました。それは、亘理町の人との出会いです。
 9月13日、亘理町の人は、米沢で開催の“のまどなマルシェ”にも参加。そこでは、“エフエムNCV おきたまGO”に出演しているHさん夫妻と出会います。Hさんのダンナさんから誘われたのは、10月25日の早坂山ハイキングです。
 米沢の市街地からもよく見える早坂山ですが、意外に知られていないようです。「一度は登りたい」と思っていましたので、絶好の機会です。しかし、実際の早坂山は急勾配の連続。息が上がってしまいました。でも、コロナ禍を吹き飛ばすようで、スカッとしました。

 早坂山ハイキングでお会いした地域おこし協力隊の人たちとは、11月10日に白鷹町で開催された置賜社会教育振興大会で再会です。
 置賜社会教育振興大会は、私がお世話になった置賜教育事務所が事務局です。これまた私がお世話になった青木さんが講演されるということで参加しました。社会教育関係もご無沙汰していましたので、その感覚が蘇りました。現在は飯豊少年自然の家の所長であるAさんとお会いできたことも嬉しかったです。

 社会教育と言えば、10月10日に米沢で“だがしや楽校”が開かれたことも嬉しい出来事でした。コロナ禍で“だがしや楽校”もほとんど動きのない1年でしたが、それだけに私の地元米沢で開かれたことに、感慨深いです。
 昨年は悪天候で中止になった“置賜こどもアートイベント”は2年連続で中止です。
 鶴岡の山王ナイトバザールも中止でした。
 8月22日、山形市の駄菓子屋“はじめや”を訪問。元気なおばちゃんに、こちらが元気になりました。そう言えば、“はじめや”閉店という誤った情報が、あるラジオ番組から放送された、という騒動もありました。

 10月3日には宮城県山元町の中浜小学校を見学、普門寺(山元町寺浜)も訪ねました。住職のSさんはお元気でしたが、いろいろと大変なご様子でした。NHKテレビの“鶴瓶の家族に乾杯”に出演された一方で、風力発電計画に翻弄されています。

 10月18日、山形市西公園で音楽ライブが開催されました。丹波恵子さんらが出演。久々の生ライブです。丹波さん自身も「ライブをして良いのか」と悩み続けた1年だったようです。私にとっては、久々のビデオ撮影(記録活動)でした。
 10月23日には、“エフエムNCV おきたまGO”の丹波さんの番組に出演(収録)しました。3月1日の“FMあおぞら”以来のラジオ出演でした。“エフエムNCV おきたまGO”のラジオスタジオは狭いです。このため、別場所にサテライトスタジオを設けました。出演者の間に仕切り板を設置するなどの対策が講じられています。

 こうして、年の後半になって動きはありましたが、コロナ禍を気にしながらでした。やっぱり、窮屈でした。なんと言っても、マスクが邪魔です。でも仕方ないです。最大の感染防止対策だからです。フェイスシールドを見掛けますが、フェイスシールドの感染防止効果は期待できません。専門家も指摘しています。マスクをしていないのと同じに考えた方が良さそうです。

 さて、ひとりごとダイアリーでは、感染状況を伝え続けてきました。山形県を中心に、東北地方と新潟県の状況を伝え続けました。それは、感染拡大防止のためです。具体的な感染事例を紹介することで、感染防止に役立てていただきたいという思いです。
 しかし、一歩間違えれば、感染者を苦しめることになります。悩ましい問題です。ただでさえ、誹謗中傷にさらされる感染者は少なくないからです。
 自治体によって、発表の仕方が異なることも、私を悩ませています。同じ自治体でも、発表の仕方が大きく変化したところもあります。
 最近は、山形県や隣県でも、感染者の増加で、発表自体が簡素化されている自治体が多いです。ひとりごとダイアリーでは、隣県についてはやむなく、12月13日から簡略化しました。

 ここに来ての感染者の増加は、私の行動域を狭めています。県外はもちろん、山形市などへ行くことも控えています。かなり困っています。
 12月6日は、福島市でのNPO関係のミーティングに参加する予定でしたが、急遽、Zoomによるオンライン会議にしました。とにかく福島市での感染が収まってほしいと願うばかりです。

 Zoomによるオンライン会議という言葉が出てきました。リモートという言葉もありました。
 私も何度か経験しました。7月13日が最初でした。初めてのことで、しかもグループディスカッションまであり、かなり疲れました。最近は慣れたことで、要領もわかりました。それで感じたのは、適切に利用することです。
 大学生がキャンパスライフを楽しめず、それでも授業料を納めなければならないことが、社会的に問題となりました。
 11月26日、山形市で開催の令和2年度やまがたNPO活動促進大会では、ある大学教授の講演が違和感でした。リモートを高く評価していたからです。私は「コロナ禍において、リモートは不可欠であり、有意義なものであることは間違いありません。要は、状況に応じて、多様な方法から、柔軟な視点で、最適なものを選ぶことです」と書きました。

 はたして、2021年はどうなるのでしょうか。というか、今の状況は、2020年を振り返る気分にもなれません。年末年始という感覚も、ほとんど無しです。
 正直“ひとりごとダイアリー・この1年”もむなしい思いで書いています。

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 2020年の天気を振り返ります。
 1月は暖冬です。2月は雪降りの日もありましたが、やはり暖冬です。「雪が少ない」ではありません。「雪がない」のです。こんな経験は初めてです。雪下ろしは1回もしませんでした。こんなに楽なことはありませんでした。ただ、不気味でもありました。それがコロナ禍を招いたわけではありませんが・・・。3月も暖かかったです。夏のような暑さになった日もありました。
 4月は寒かったです。低気圧通過で大荒れになった日があったり、下旬には数日間にわたり日本海北部に寒冷渦が出現しました。
 5月は真夏日の暑さで始まりましたが、寒い日もありました。乾燥で山形県では野火や原野火災が相次ぎました。5月1日は南陽市の十分一山で、5月3日は蛭沢湖近くで、山火事です。
 6月は次々に梅雨入りし、全国各地で大雨の情報が相次ぎました。梅雨がないとされる北海道も雨の日が多かったです。
 そして、『令和2年7月豪雨』です。人吉市などの熊本県をはじめ、九州地方の各地、さらに岐阜県や長野県でも大雨特別警報が発表です。7月3日から4日の熊本県の豪雨は、広範囲で浸水・冠水、土砂崩れも各地で発生。人的被害も甚大でした。7月28日は、山形県で豪雨です。山形県の母なる川・最上川が氾濫、甚大な被害が出ました。
 7月は台風が1個も発生しませんでした。1951年の統計開始以来初めてです。
 8月は暑かったです。8月17日、浜松市中区で41.1℃です。これは気象庁の観測史上高い方から歴代第1位タイです。米沢では、真夏日が8月2日〜6日と10日〜30日の計26日、猛暑日は8月11日と26日〜28日の計4日です。8月28日、今年の最高気温35.8℃を観測しました。
 9月は猛暑で始まりました。9月3日には新潟県三条市で40.4℃、新潟県胎内市中条で40.0℃を観測。9月の40℃超えは、気象庁の観測史上初めてです。台風10号について気象庁は「史上最大級の台風」として「台風の特別警報を発表する可能性がある」と最大級の警戒を呼びかけました。結果、大きな被害は出ましたが、「史上最大級の台風」にはなりませんでした。
 10月10日には三宅村と御蔵島村に大雨特別警報が発表されました。
 今年は台風上陸がありませんでした。
 11月は、中旬後半に、全国的に季節外れの暖かさになりました。全国のアメダスでは大量の地点で、11月の観測史上最も高い気温を観測しました。
 12月は、中旬に大雪です。関越道で数多くの車が動けなくなるなど、大きな影響が出ました。今シーズンは早くも2回、雪下ろしをしました。
 そして、大雪の中の年越しです。

 気象庁は2021年1月4日、2020年の特徴を発表しました

●気温の高い状態が続き、年平均気温は全国的にかなり高くなりました
 ほぼ年間を通して気温の高い状態が続いたため、年平均気温は全国的にかなり高く、東日本で平年差+1.2℃と、1946年の統計開始以来、最も高くなりました。
●全国的に暖冬で、東・西日本で記録的な高温、日本海側で記録的な少雪となりました
 2019/20年冬は、冬型の気圧配置が続かず、全国的に寒気の流入が弱かったため、全国的に気温が高く、特に東・西日本では冬の平均気温の最も高い記録を更新しました(統計開始1946/47年冬)。また、全国的に冬の降雪量はかなり少なく、北・東日本日本海側では冬の降雪量の最も少ない記録を更新しました(統計開始1961/62年冬)。
●「令和2年7月豪雨」など7月は東・西日本で記録的な大雨と日照不足となりました
 活発な梅雨前線の影響で、7月は東・西日本を中心に各地で長期間にわたって大雨となり(「令和2年7月豪雨」)、月降水量は東日本太平洋側、西日本で7月として最も多い記録を更新しました。月間日照時間も東・西日本で7月としてもっとも少ない記録を更新しました(統計開始はともに1946年)。梅雨明けは沖縄地方を除く各地方で遅くなりました。

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 今年(2020年)の音楽界(洋楽界)を振り返ります。
 まず、Billboard の年間チャートからです。
 Billboard Hot 100(シングル)年間チャートです。1位〜20位と、私が印象に残った曲をご紹介します。
01位:Blinding Lights / The Weeknd
02位:Circles / Post Malone
03位:The Box / Roddy Ricch
04位:Don't Start Now / Dua Lipa
05位:Rockstar / DaBaby Featuring Roddy Ricch
06位:Adore You / Harry Styles
07位:Life Is Good / Future Featuring Drake
08位:Memories / Maroon 5
09位:The Bones / Maren Morris
10位:Someone You Loved / Lewis Capald
11位:Say So / Doja Cat
12位: I Hope / Gabby Barrett Featuring Charlie Puth
13位:Whats Poppin / Jack Harlow Featuring DaBaby, Tory Lanez & Lil Wayne
14位:Dance Monkey / Tones And I
15位:Savage Megan / Thee Stallion
16位:Roxanne / Arizona Zervas
17位:Intentions / Justin Bieber Featuring Quavo
18位:Everything I Wanted / Billie Eilish
19位:Roses / SAINt JHN
20位:Watermelon Sugar / Harry Styles
31位:Good As Hell / Lizzo
35位:Savage Love (Laxed - Siren Beat) / Jawsh 685 x Jason Derulo
38位:Dynamite / BTS
44位:Senorita / Shawn Mendes & Camila Cabello

 1位は年間を通じてヒットしました。2020年を代表する1曲です。アルバムの中で特にこの曲が輝いていました。
 2位のポスト・マローンは不動の人気となりました。
 3位は今年の前半、大ヒットしました。ヒップホップですが、印象に残りました。
 4位のデュア・リパは大健闘です。イギリスでは国民的人気です。
 5位もヒップホップですが、印象に残りました。哀愁を帯びています。
 6位のハリー・スタイルズはトップ20内に2曲と、こちらも大健闘です。楽曲が良かったです。
 8位のマルーン5の曲も印象に残りました。
 イギリスで大人気のルイス・キャパルディも10位です。
 11位のドージャ・キャット、12位のトーンズ・アンド・アイも記憶に残ります。

 Billboard 200(アルバムチャート)の年間チャートです。
01位:Hollywood's Bleeding / Post Malone
02位:My Turn / Lil Baby
03位:Please Excuse Me For Being Antisocial / Roddy Ricch
04位:Fine Line / Harry Styles
05位:Folklore / Taylor Swift
06位:Eternal Atake / Lil Uzi Vert
07位:Shoot For The Stars Aim For The Moon / Pop Smoke
08位:After Hours / The Weeknd
09位:Legends Never Die / Juice WRLD
10位:What You See Is What You Get / Luke Combs
11位:When We All Fall Asleep, Where Do We Go? / Billie Eilish
12位:Hamilton: An American Musical / Original Broadway Cast
13位:Frozen II / Soundtrack
14位:YHLQMDLG / Bad Bunny
15位:Lover / Taylor Swift
16位:BLAME IT ON BABY / DaBaby
17位:Over It / Summer Walker
18位:Goodbye & Good Riddance / Juice WRLD
19位:KIRK / DaBaby
20位:MAP OF THE SOUL : 7 / BTS
22位:This One's For You / Luke Combs
23位:beerbongs & bentleys / Post Malone
24位:Divinely Uninspired To A Hellish Extent / Lewis Capaldi
25位:Greatest Hits / Queen
27位:Manic / Halsey
36位:Chilombo / Jhene Aiko

 今年は3大傑作アルバムが発表されました。
 1つは“Folklore / Taylor Swift”です。Billboard 200 では第1位です。
 1つは“Fetch the Bolt Cutters / Fiona Apple”です。Billboard 200 では最高位4位です。
 もう1つは“Alicia / Alicia Keys”です。これも Billboard 200 では最高位4位です。
 3つとも次元を超えた大傑作です。フィオナ・アップルは手厳しい評論家筋も降参。アリシア・キーズは1曲目から圧倒されました。テイラー・スウィフトは文句なしです。

 音楽界も COVID-19 に振り回されました。作品のリリースが予定日より遅れたり、延期されたりした事例が相次ぎました。ライヴやコンサートができず、自宅から作品を配信するアーティストも数多くいました。世界中が重苦しい空気に包まれる中、元気を届けようとしたアーティストもいました。
 イギリスでは“You'll Never Walk Alone / Captain Tom Moore, Michael Ball & The NHS Voices of Care Choir”がシングルチャートの1位になりました。これは医療関係者へのチャリティソングです。
 イギリスでは“Times Like These / Live Lounge Allstars (BBC Radio 1 Stay Home Live Lounge)”も大ヒット。BBCの呼びかけで、まさにオールスターが集結しました。収益は、 WHOのCOVID-19連帯対応基金だけでなく、子どもたちへの支援にも寄付されました。
 厳しい状況での作品発表は、新たな魅力を引き出すことにもつながりました。

 アメリカでは、大統領選挙や黒人に対する問題が、音楽にも影響しました。
 一方で、ポップ・スモークが2020年2月19日、強盗に銃撃され、死亡するなど、悲しい事件もありました。今年大ヒットしたジュース・ワールドは2019年12月8日、薬物による発作で死亡しています。ヒップホップ界では、2020年も抗争劇が伝えられました。
 アメリカの銃問題は、解決する気配がないまま、時間だけが過ぎます。
 ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)は2020年のキーワードのひとつです。
 ブロードウェイが厳しい状況の中、“Hamilton: An American Musical / Original Broadway Cast”が再びヒットしました。
 映画“風と共に去りぬ”(Gone With the Wind)に対する再評価の動きがありました。
 ディクシー・チックス(Dixie Chicks)がザ・チックス(The Chicks)に改名しました。

 日本では、FUJI ROCK FESTIVAL や SUMMER SONIC など主要なコンサートがすべて中止です。ただ、FUJI ROCK FESTIVAL は6月5日に中止(来年に延期)を決定したのに対し、SUMMER SONIC は開催日が迫ってからの中止表明でした。ギリギリまで「開催する」と広報していました。

 緊急事態宣言では、ライヴハウスも休業を余儀なくされました。緊急事態宣言が解除されても再開は難しく、閉鎖や休業に追い込まれたライヴハウスもありました。感染防止対策を徹底してライヴを開催したのに、嫌がらせを受けたライヴハウスもありました。悲しいです。

 2020年は、BTS など韓国勢の活躍があった年でした。バッド・バニーなどラテン系のアーティストの活躍も光りました。

 ここでUKチャートの年間チャートをご紹介します。
 シングルです。

01位:BLINDING LIGHTS / WEEKND
02位:DANCE MONKEY / TONES & I
03位:ROSES / SAINT JHN
04位:BEFORE YOU GO / LEWIS CAPALDI
05位:HEAD & HEART / JOEL CORRY FT MNEK
06位:DON'T START NOW / DUA LIPA
07位:ROCKSTAR / DABABY FT RODDY RICCH
08位:SOMEONE YOU LOVED / LEWIS CAPALDI
09位:OWN IT / STORMZY/ED SHEERAN/BURNA BOY
10位:WATERMELON SUGAR / HARRY STYLES

 アルバムです。
01位:DIVINELY UNINSPIRED TO A HELLISH EXTENT / LEWIS CAPALDI
02位:FINE LINE / HARRY STYLES
03位:FUTURE NOSTALGIA / DUA LIPA
04位:WHEN WE ALL FALL ASLEEP WHERE DO WE GO / BILLIE EILISH
05位:HEAVY IS THE HEAD / STORMZY
06位:SHOOT FOR THE STARS AIM FOR THE MOON / POP SMOKE
07位:NO 6 COLLABORATIONS PROJECT / ED SHEERAN
08位:GREATEST HITS / QUEEN
09位:DIAMONDS / ELTON JOHN
10位:50 YEARS - DON'T STOP / FLEETWOOD MAC
11位:MUSIC TO BE MURDERED BY / EMINEM
12位:FOLKLORE / TAYLOR SWIFT
13位:DIVIDE / ED SHEERAN
14位:RUMOURS / FLEETWOOD MAC
15位:HOLLYWOOD'S BLEEDING / POST MALONE
16位:HIGH EXPECTATIONS / MABEL
17位:LEGENDS NEVER DIE / JUICE WRLD
18位:TOGETHER AT CHRISTMAS / MICHAEL BALL & ALFIE BOE
19位:GOLD - GREATEST HITS / ABBA
20位:WHAT'S THE STORY MORNING GLORY / OASIS

 リトル・リチャード、マッコイ・タイナー、ケニー・ロジャース、ビル・ウィザース、モリー・カンテ、エンニオ・モリコーネ、ピーター・グリーン、トリニ・ロペス、ヘレン・レディ、エドワード・ヴァン・ヘイレン、ジョニー・ナッシュ、スペンサー・デイヴィス、ジュリエット・グレコらが亡くなりました。
 マヌ・ディバンゴは COVID-19 で亡くなりました。
 エドワード・ヴァン・ヘイレンをはじめ、ロック関係の訃報も相次ぎました。ケン・ヘンズレー(Ken Hensley)はユーライア・ヒープのメンバーでした。

 訃報と言えば、日本では、三浦春馬さんら、俳優の自殺が相次ぎました。軽率なことは言えませんが、俳優という仕事が関係しているのではないか、とも思ってしまいます。

 緊急事態宣言では、テレビ番組の制作にも影響が出たことはご存じかと思いますが、ラジオ番組でも影響がありました。NHKFMの“ワールド・ロック・ナウ”などは、しばらく再放送となりました。一方で同じNHKFMでも、ピーター・バラカン氏の番組は、休むことなく、制作が続きました。この違いは・・・?

 ラジオと言えば、Radio NEO(名古屋)と新潟県民エフエム放送:FM PORT(新潟市)は6月30日をもって放送終了・閉局しました。

 正直、この1年を振り返る気分ではありませんでしたが、なんとかここまで書くことができました。
 誰もが予想だにしなかったコロナ禍。
 ここ数年、私は「世の中、イヤな方向に向かっているのではないか」と感じていました。でもまさか、コロナ禍になるとは・・・。
 しかし、この未曾有の困難を、私たち人間は乗り越えることができる、と信じます。
 そのためには、思いやり・優しさを、忘れてはなりません。その心があれば、我慢という言葉は消えます。欲望を持ったり、自分勝手なことをすればするほど、苦しみ・辛さは増すばかりです。

 そういう意味で、コロナ禍は、自分を見つめ直す絶好の機会です。
 これは、私自身への戒めです。これが私にとっての、2020年の締めくくりです。

 

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