おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2021年12月17日(金曜日)小雨時々 昼前から午後は曇り晴れ間あり 夕方からのち

【思いやりのバトンリレー】
 11月9日、白鷹町立荒砥小学校の児童(6年生)から電話がありました。それは、東日本大震災に関する支援活動を行っている団体等に対するアンケート調査でした。調査(電話)では「どんな支援活動を行いましたか」などの質問がありました。私は、避難者が集ったお茶会のこと、被災地や避難した子どもたちにおもちゃや絵本などをプレゼントしたことなどを紹介しました。一通りの調査が終わったあと、児童は「お礼に陶器などを送っていいですか」と言いましたので、私は「ありがたくいただきます」と答えました。そのあと電話は担任の先生に代わりました。先生からは、突然の電話だったことへのお詫びと電話の趣旨、協力への感謝の言葉をいただきました。
 きょう(12月17日)、荒砥小学校から荷物が届きました。下の写真が届いたものです。

  

 写真左は、陶器と紅花・どんぐり・松の種です。写真右は、感謝の手紙、深山焼についての児童による学習の成果、3つの種の育て方を書いた資料などです。2通の感謝の手紙にうち1通は担任の先生によるものですが、あとはすべて児童の手作りです。
 荒砥小学校では4月、東日本大震災について学習し、子どもたちは東北地方で甚大な被害があったことを学びました。同時に「たくさんの温かい支援」があったことも学びました。これをきっかけに、学校では子どもたちが「思いやり名人」を目指し、日々学んでいます。そこで、同じ東北地方に住む者として「自分たちで何か恩返しできないか」という話になり、「思いやりのバトンリレー」をテーマに掲げ、学習を進めてきました。アンケート調査とは、実は支援している人たちへの感謝の思いを伝えることが大きな目的でした。それが、私に届けられたのでした。
 
 深山(みやま)焼は、白鷹町にしかない貴重な陶器です。紅花やくろがもてつの釉薬を使っていることで、世界にひとつしかない作品が生まれます。焼く時間を変えることで、ツヤや質感がかわり、一生に一度しか出会うことができない作品となります。しかし、江戸時代に途絶えます。
 1961年、窯跡が発見されます。茶碗などの破片も見つかります。その後、発掘調査が行われ、1983年には深山工房が設立され、登り窯を築きます。こうして復活した深山焼でしたが、2011年3月11日の東日本大震災で登り窯は崩れてしまいます。途方に暮れた陶芸家の金田さんでしたが、再復活を目指し、立ち上がります。多くの人の支えがあり、復活プロジェクトを立ち上げ、2015年には登り窯は再復活します。児童たちは、深山焼の歴史を紙芝居を小さくしたような絵物語にするなど学習の成果をまとめました。それらは児童たちの熱意が伝わってくるものでした。
 私も児童たちの思いを大切にしながら、これからの活動を続けようと、あらためて決意したところです。


 後日、私はお礼の手紙を書きました。以下はその一部です。

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白鷹町立荒砥小学校6年生の皆さんへ

 私は、おきたまラジオNPOセンター・代表の山口充夫と申します。
 このたびは、植木鉢や学習の成果物などをお送りくださり、ありがとうございました。皆さんの心のこもった品々に、大変感激しております。
 深山焼については、今までよく知りませんでしたので、とても勉強になりました。また、皆さんが深山焼をいろんな方法で伝えていることにも感心しました。「いろんな方法」って、とても大切なことと思っているからです。
 3つの種の栽培方法についても詳しく紹介してくださいました。できるところから大切に育てたいと思います。

 皆さんからは、私たちの東日本大震災での支援活動に対して、お礼の言葉をいただきました。でも、お礼を言いたいのは、逆に私たちの方です。
 それは、皆さんの温かな思いに触れて、今まで支援活動を行ってきたことが、本当に良かったんだ、そしてこれからも続けていこう・・・と思うことができたからです。

 東日本大震災はとてもつらく、悲しい出来事でしたが、私にとっては、多くの人との出会いがあり、そこからいろんなことを学ぶことができました。荒砥小学校の皆さんとつながることができたのも、そのひとつです。感謝の気持ちでいっぱいです。

 本当なら、こちらこそ、皆さんのところにおうかがいして、お礼を申し上げなければならないところですが、この手紙でお礼に代えさせていただきます。
 どうか、お身体を大切に、お元気でお過ごしください。
 ありがとうございました。  

 

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