おきたまラジオNPOせんたー・ひとりごとダイアリー

 

2022年4月11日(月曜日)福島県浜通り:晴れ 日中薄雲浮かぶ

【福島県浜通り訪問記】
 今年も桜の時期を見計らっての訪問です。
 COVID-19の感染状況を考えますと、自重すべきところかもしれません。しかし、COVID-19に関する情報が、専門家と言われる人たちのコメントも人によってまちまちだったりして、結局は求められるのは自己責任・・ということをさらに強く感じる今日この頃です。腹立たしくさえ感じております。だったら、万全の感染対策を講じた上で、訪問することにしました。
 とにかく、現地を自分の目で確かめることが、私の活動の原点のひとつであります。

 東北自動車道の桑折ジャンクションから1年前に供用を開始した東北中央道に入ります。ところが、最高速度は50km制限、道路はいたるところで凹凸です。3月16日に地震によるものです。1年も経たない内に、この有り様です。しかも、こんな道路を100km近いスピードで走り、登坂車線終了直前で、私の車の目の前に割り込む車がいて、がく然としました。
 霊山インターチェンジを過ぎますと、道路の痛みは少なくなりました。しかし、常磐道でも追い越し車線終了直前での割り込みの車がありました。交通安全運動期間中とは思えない光景です。
 これまでは浪江インターチェンジでおりていましたが、きょうは常磐富岡インターチェンジまで南下です。途中、帰還困難地域を通り過ぎます。福島第一原発も見えました。

 インターチェンジをおりて向かったのは、夜の森桜並木です。今年は震災後初めて、全区間で立ち入ることができ、大きなニュースになっています。

  

 上と下の4枚が今年から立ち入ることができるようになった北側の桜並木です。東西方向に約800メートルです。満開です。まさに桜のトンネルです。見事です。

  

 下の2枚は南側の桜並木です。南北方向に約1kmです。こちらも見事な桜並木です。

  

 ただ、周囲をよく見ますと、11年前当時のままの建物がありました。帰還のための準備宿泊も始まりますが、申し込みは僅かだそうです。現地を訪問していつも思うのですが、イベントがある時や観光地はにぎわっても、「その時だけ、そこだけ」ということです。11年という時間は「長い」ですし、3月16日の地震ではありませんが、原発への不安は残ったままです。

 国道6号を北上します。下の写真左は大熊町夫沢長者原地内からの福島第一原発です。

  

 その直後には上の写真右の標識があり、さらに下の写真左の表示です。双葉町新山高万迫地内です。こんなところは早く通過したいです。奥は双葉町の中心部で、下の写真右が双葉町の中心部になります。

  

 ここで右折し、浪江町請戸地区に向かいます。その途中にあるのが、下の写真左です。福島県復興祈念公園の見晴らし台です。浪江町両竹本町地内です。

  

 上の写真右が公園の計画図です。東日本大震災・原子力災害伝承館にまで続く広大な敷地です。私の個人的意見ですが、ここに公園を造成する意味が理解できません。福島第一原子力発電所は目の前です。

  

 上と下の写真は見晴らし台からの撮影です。上の写真左は北向き、上の写真右は東向き(奥は太平洋)、下の写真左は南向き(中央奥が福島第一原発)、下の写真右は西向きの撮影です。

  

 下の写真左は北北東へ約1.2kmの請戸小学校です。下の写真右は福島第一原発です。ここから原発中心部までは約4.7kmです。

  

 震災遺構 浪江町立請戸小学校の見学です。福島県では初めての震災遺構です。昨年10月24日からの公開です。

 入場料300円を払って、中に入ります。
 下の写真左は3年生の教室です。下の写真右は保健室です。

  

 下の写真左は職員室です。下の写真右は校長室です。

  

 下の写真左はランチルームです。当時の全校児童数は93人です。給食は93人全員がここに集まって食べていました。この隣りに調理場がありました。

  

 午後2時46分は1年生が帰宅していましたので、2〜6年生の児童82人が学校にいました。その児童全員と教職員全員は、学校から西へ1kmあまりの大平山に逃げて、全員無事でした。上の写真右に見えるのが大平山です。見学ルートを進みますと、地震発生から逃げるまでの様子が示されていました。それは物語です。それは間一髪のことです。この震災遺構は、津波の凄まじさと、あの時の児童と教職員の行動を伝えることが目的に感じました。
 体育館では卒業式の準備が進んでいましたが、床に大きな穴が開いていました。
 昇降口から2階に進みます。津波は2階の床すれすれまで達しました。
 下の写真左は6年生の教室です。黒板に多くのメッセージが記されていました。この教室から見た福島第一原発が下の写真右です。

  

 下の写真は隣りの5年生の教室に展示のジオラマです。震災前の請戸地区を再現しています。しかも、1つ1つの建物に名前が示されています。写真右は鈴木酒造付近を拡大したものです。

  

 2階には、ほかにも、請戸地区に関する展示が並んでいました。震災前の請戸地区から津波後の様子、被災状況などが紹介されています。児童と教職員は全員無事でしたが、請戸地区でも多くの人が犠牲になりました。

  

 上と下の写真は請戸漁港です。この時間になって、水平線が霞んできました。下の写真右の福島第一原発もボンヤリとなってきました。海風は肌寒いほどです。

  

 汚染水の海への放出で揺れる請戸漁港。関係者は反対の姿勢を貫きます。私は「放出は不必要」という話を福島県在住の人から聞いていることもあり、放出ありきで話を進めていることには疑問を感じます。

  

 上と下の写真は、浪江町立大平山霊園です。上の写真左の中央が請戸小学校、上の写真右が請戸小学校です。ここからは体育館が目立ちます。元日には請戸小学校から初日が昇ります。しかし、写真のとおり、電線が写りこんでしまいます。新たな道路を造ったためです。この道路は、大平山の一角を切り崩し、造成している請戸住宅団地に通じます。

  

 上の写真の宇宙桜、数輪の花が咲いているだけでした。
 道の駅なみえで昼休みです。月曜日なのに駐車場は満車です。下の写真は道の駅の一角にあるラッキー公園です。ラッキーはポケットモンスターのキャラクターです。

  

 道の駅はにぎやかも「そこだけ」です。市街地は寂しい限りです。空き地・更地が目立ちます。昨年10月とほとんど変わらず、復興が進んでいるとは思えないです。

  

 6枚の写真は請戸川リバーラインの桜並木です。ここも見事に満開です。

  

 撮影は午後2時前後です。この時間の気温は24℃ほど。薄雲に覆われてきたため、少し気温は下がりましたが、ポカポカ陽気です。

  

 このあとは南相馬市小高区へ向かいます。

  

 5枚は相馬小高神社、1枚は小高川沿いの桜並木です。ここも見事に満開です。高齢者施設の人たちが桜を楽しんでいました。

  

 小高地内を巡りましたが、一時ほどより活気が無くなったように感じるのは私だけでしょうか。営業している店は確かに多くなりました。でも、これまで何度かお邪魔してきた地域の人たちが交流している場所がオープンしているのかもわかりません。小高交流センターにも、にぎわいはありません。イベントなどがあれば、にぎわうのでしょうが、普段の様子を見ている私の目には、寂しく写ります。「その時だけ、そこだけ」ということです。よそ者・若者による新たな動きは感じるも・・・。コロナ禍の影響もあるでしょうが、かなり心配です。

  

 南相馬市原町区に移動です。向かったのは雲雀ヶ原祭場地です。ここは相馬野馬追で、甲冑競馬や神旗争奪戦が行われる場所です。しかし、この2年間は中止でした。今年は開催に向けて準備中です。下の写真は全景です。その名の通り、ヒバリがさえずっていました。それも休むことなく。

  

 下の写真左は、撮影場所から約1.4km離れた夜の森公園の桜です。望遠で撮影です。

  

 上の写真右と下の写真は、隣りの陸上競技場周囲の桜です。ここも満開です。

  

 というわけで桜は堪能できましたが、富岡町・浪江町・南相馬市小高区の現状は、あらためて厳しいものを感じました。帰還困難区域を通り、3月16日の地震を考えますと、復興は容易ではありませんし、そもそもこの地域での復興とは何かを考えてしまいます。
 復興も多様で良いと思います。帰還だけが復興ではないということです。帰還しないことも復興です。それぞれの人が「これで良かった」と思えるようになることが真の復興です。誰かが、一部の人が、決めることではありません。
 一人ひとりの幸せがあり、それで成り立つのが地域であり、それを踏まえての地域づくりです。

 

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