おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2022年5月21日(土曜日)朝は薄日薄曇り 午前は曇り晴れ間あり 午後は曇りで一時小雨 夕方一時 夜は曇り

【発酵する民】
 5月12日の“ひとりごとダイアリー”で紹介しましたドキュメンタリー映画“発酵する民”を鑑賞しました。午前10時からフォーラム山形で上映された回には、監督の舞台挨拶があるということもあり、30人あまりの人が鑑賞しました。その中には、美しい山形・最上川フォーラムのAさんやだがしや楽校のTさんら、私がいつもお世話になっている方々数人がいました。コロナ禍でご無沙汰していましたので、思わぬ再会の場になりました。
 ドキュメンタリー映画“発酵する民”の概要をあらためてご紹介します。これは監督の平野隆章さんから直に送られてきたものです。

●ドキュメンタリー映画『発酵する民』(92分)
 公式サイト
 https://fermentfilm.com/
 予告編
 https://www.youtube.com/watch?v=1W4vK1SsWUE

●内容
 海と山に囲まれた古都・鎌倉。
 2011 年、このまちを「脱原発パレード」で歩いた女性たちが「イマジン盆踊り部」を結成。彼女たちは、日々の生活の中で浮かび上がってくる思いを唄にして踊り始める。
 お酒や味噌、パンづくりから生まれた「発酵盆唄」
 海水を汲み、薪で火を炊いて塩をつくる「塩炊きまつり」
 やがて、風変わりな唄と踊りが人びとをつなげ「平和」の輪を描いてゆく。
 この映画は、3.11 後の鎌倉や葉山での「生活」を描きながら、個性溢れるパン屋や酒蔵も取材。
 微生物たちの「発酵」の世界や、太陽系の惑星の動きが交差する。
 そして、人や地域文化がゆっくりと変化していく様子をまるで「発酵」していくかのように映し出す。
 東日本大震災・原発事故から11年。あの時に生まれたものは、今も確かに続いている。
 音楽やアート、ジャーナリズムなど異なるジャンルが映画の中に入り込んだ鎌倉発「発酵」ドキュメンタリー!

●クレジット
 出演 瀬能笛里子、大嶋櫻子、山口愛、川崎直美、やまもとゆうすけ、高橋彩、勝見淳平(パラダイスアレイ)、寺田優(寺田本家)、杉山開知(地球暦)
 音楽 イマジン盆踊り部、pass into silence
 協力 土屋豊 OurPlanetTV 平野由里子
 配給 福々映像
 監督 平野隆章  

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 鑑賞して、まず感じたのは「よくもあれだけ入り込んで撮影できたものだ」ということです。特に瀬能笛里子さんのカフェでは、私自身がそこに住んでいるような感覚になりました。
 それは、上映後のトークや平野監督との談義から、平野監督のお人柄によるものであるがわかりました。映画制作のきっかけが瀬能笛里子さんから声がけだったというエピソードも納得です。そこには「撮る・撮られる」という関係だけで考えることができない、人とのつながりを観た思いです。
 これは私の避難者支援における「支援という意識はない」「支援する・支援されるという意識はない」に通じます。なぜなら、みんな同じ米沢に住んでいるからです。お互い様です。実は、こういう自然な付き合いから、困っていることが浮き彫りになります。「避難者が困っていることは、こうだろう」と決め付けることで、逆に本当に困っていることを見失います。
 思いを語る瀬能笛里子さんにピンマイクが付いていました。これが自然な映像です。これで良いんです。ヘタな演出はドキュメンタリー映画には要らないと思うからです。映像から、瀬能笛里子さんと平野監督との信頼関係を感じました。

 映画制作には7年を費やしました。後半になってマスク着用の人が出てきたことから、ある程度の時間がかなっていることは、鑑賞中にわかりました。それでも、出演する人々の根底にある思いは変わっていませんでした。ここに、強い思いを感じました。それがゆっくりした変化につながりました。
 それは、この映画の大事なメッセージのひとつ、人はそれぞれで良い、盆踊りではみんなの力が結集され、大きな力・輪になる、というメッセージになっていきました。共感しました。
 盆踊り・・・そう言えば、米沢では福島からの避難者と地域の人たちの交流の場になっていました。私の中では、盆踊りを見直すことになりそうです。

 人それぞれで良い・・・放射線が心配で、避難することは、その人の判断であり、他人が評価すること・ものではありません。しかし、人はそこでも評価しました。「なぜ(鎌倉から)避難してきたの」というセリフが突き刺さりました。
 これは福島の人たちにも起こったことでした。家族間でもそれが起こりました。これは辛く悲しいことです。そもそも、福島ということだけで差別したという例は、私も数多く聞きました。

 東日本大震災や原発事故といいますと、「東北のこと・福島のこと」となり、私自身もそれ以外の地域では「意識が薄い」とか「忘れている」と思っていました。この映画から、鎌倉の地で、こうした動きがあったこと、こうした人々がいたことを、初めて知りました。自分の勉強不足を痛感しました。
 映画は、私が持っていた鎌倉というイメージを、根底から覆しました。鎌倉には落ち着いたイメージはありましたが、湘南の一角であり、都会(首都圏)の一角というイメージでした。この映画で感じた鎌倉は親近感でした。江ノ島などからここが鎌倉とわかりますが、それが無ければ、東北地方のどこかな、とも思うほどでした。もう一度鎌倉に行ってみたいという思いになりました。
 上映後の監督との談義では、神奈川県という微妙な地域の話をお聞きしました。横浜という大都会(横浜は大阪より人口が多いです)でも、情報は東京からのものばかりだそうです。
 私は“だがしや楽校”で何度も横浜に行きました。そこで感じたのは「横浜と一括りにして良いのか」です。東京と言いますと、すぐに、秋葉原とか、渋谷とか、お台場とか、という地域名での話になります。でも、横浜は横浜です。私が頻繁に訪問した「戸塚」の話をすると、いまだに「ヨットスクール」と反応する人がいました。横浜に対する認識は、こんなものです。横浜と言えば、多くの人は、港であり、中華街くらいでしょうか。やはり私が頻繁に訪問した都筑区にはそんなイメージはまったくありません。
 鎌倉と言えば、鶴岡八幡宮とか、鎌倉大仏とか、そんなイメージでしょうか。映画は、それらはまったく登場しません。出演者の日常と周囲の風景です。これが本当の鎌倉なのでしょう。
 私は「米沢の人は米沢牛を常日頃より食べているのでしょう」と言われたことがあります。これは私だけではありません。ここに観光に対する疑問があります。
 本来の観光とは、米沢(鎌倉)に住んでいる人が、米沢(鎌倉)に住んでいて良かった・・と思えるようになることが原点です。そういう地には、結果として観光客が訪れます。「観光客のための観光」ではないはずです。

 発酵から見えたもの、それは自然の摂理を無視した人間の身勝手です。
 それは、原発であり、COVID-19(新型コロナウィルス)であり、そして今世界で起こっていることにも通じます。私などは、そこからさらに考えます。
 例えば、最近起きた愛知県豊田市の明治用水での大規模な取水トラブルです。工業だけでなく、地域の農業にも深刻な影響が出ています。農業への影響・・・今の農業は、人間が造った設備にも影響されるのでしょうか。今回のトラブルは、設備の老朽化が要因のようです。ここに何か矛盾を感じます。
 これは他人事ではありません。山形・米沢でも起こりえます。ダムの貯水率が低下すると、農業用水だけなく、水道にも影響が出ます。現に、そういう事態が起こりそうになりました。

 発酵では、酒造りの話にも共感です。考えてみれば、同じ味のお酒を毎年造るなんて、おかしなことです。山形県にも多くの酒蔵があります。そういう人たちにも観てもらいたい映画です。

 Aさんは昨年、マイクロプラスチック問題をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映会を開催しました。このことについて、Aさんは「プラスチックを無くすことはできない」という現実を認識していました。ここで考えなければならないのは、安易にプラスチックを使うことであり、それがポイ捨てにつながっているのであり、それがマイクロプラスチックになるということです。
 それは、便利さばかりを求めた結果とも言えます。それは、経済優先という考えにも通じます。無駄を排除され、売上だけを求めた結果・・知床では悲惨な海難事故が発生しました。
 それは農業も同じです。有機農業や循環型農業などが注目される一方で、山形県長井市で農業を営む人の「1等米を作るために農薬を使わざるを得ない」という話を思い出します。この話は、今年の3月12日にフォーラム山形で上映された原村政樹監督のドキュメンタリー映画の上映後のトークでお聞きしたものです。なにかがおかしいです。
 私などは、米の食味ランキングにも疑問を感じます。山形県でも「特A」に評価されますと大喜びになりますが、私には「特A」より「A」の米が美味しく感じることがあります。それが嗜好というものです。「特A」がひとつの目標であるとは思いますが・・・

 原村監督が話が登場しました。原村監督と私は10年来、親しくお付き合いさせていただいています。平野監督はその原村監督をご存じでした。さらに、私が10年前に山形県で上映会を開催したドキュメンタリー映画“石巻市立湊小学校避難所”の藤川佳三監督のこともご存じでした。結果、藤川監督の最近の様子を知ることができました。平野監督の交流関係の広さに脱帽です。

 とにかく、映画はいろんなことを考えるきっかけになりました。頭が下がる思いです。ひとりでも多くの人に観ていただきたい映画です。

 上映後の舞台挨拶(トーク)は約40分間でした。そのあとも平野監督は、ロビーで1人ずつ丁寧に対応していました。最後にAさん・Tさん、そして私の3人との談義です。ここでも監督は丁寧に対応。結果、長時間にわたり、監督を引き止めてしまいました。ここで感じたのは、最初にお伝えした、監督の人柄でした。
 平野監督には、ここであらためて感謝です。

  

 写真は左から、舞台挨拶の平野監督、ポスターにサインする平野監督、私と一緒の平野監督(右側)です。また、こちらは平野監督のカメラで撮影した写真です。撮影はAさんです。

 そう言えば、きょう(5月21日)上映に、山形国際ドキュメンタリー映画祭・関係者の姿がありませんでした。どうしたのでしょうか・・・と思いましたが、帰宅後にわかりました。
 きょう(5月21日)は、認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)山形国際ドキュメンタリー映画祭の通常総会の開催日でした。これでは来ることができないわけです。
 この上映は、フォーラム山形の支援で実現したのかな・・とみました。市民の有志が立ち上げたというフォーラム山形なら、あり得る話です。

 フォーラム山形をあとにした私は、Tさんと山形市内にある駄菓子屋“はじめや”に立ち寄りました。だがしや楽校・発症の地とされる場所です。

  

 写真は駄菓子屋“はじめや”に隣接の山形市・みなみ公園です。ここで数多くのだがしや楽校が開かれました。

 “はじめや”にはきょう(5月21日)も10人ほどの子どもたちが集っていました。宿題をするお子さん、思い思いに遊ぶお子さん、それを見守るおばちゃん。ここに「優しい眼差しで」というような形容は不要です。なぜなら、ここでの人と人とのつながりはごく自然だからです。こうした中で、子どもたちは成長していきます。それは、映画“発酵する民”にも通じます。
 ここは、私にとっても居心地の良い場所です。おばちゃんから教えられることは、今もたくさんあります。

 

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