おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2024年1月13日(土曜日)&14日(日曜日

【コロナ禍、震災…苦難を乗り切る映画の知恵】
 山形コミュニティファンド補助事業“コロナ禍、震災…苦難を乗り切る映画の知恵”上映会とステージトーク(主催:映画で男女共同参画を考える会)が1月13日と14日、山形国際交流プラザ(山形ビッグウィング)の3階にある山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー試写室で開催されました。内容を紹介するチラシはこちらです。
 2日間とも好天に恵まれ、思っていた以上に、多くの人が会場に集いました。

 私が主催者の会長である岡崎さんたちと知り合ったのは、岡崎さんたちが数年前に山形市で開いた上映会でした。その後2022年の秋、米沢市内で再会しました。それは、2023年3月11日に米沢市で開催の東日本大震災復興祈念事業(米沢会場)にて、映画“東北の力 文化の力”を上映するための打ち合わせのために、岡崎さんたちが米沢市を訪問された時でした。そこでは映画談義が炸裂です。これで岡崎さんたちとの交流が深まりました。
 その頃、高橋卓也さん(山形ドキュメンタリー映画祭の理事、映画プロデューサー)の訃報がありました。2022年11月にお別れの会が執り行われましたが、そこでもお会いしました。脱線しますが、2023年10月開催の山形ドキュメンタリー映画祭では、あらためて高橋卓也さんの存在の大きさを強く感じました。
 2023年3月10日には、準備のために米沢市を訪問した岡崎さんたちとお会いし、近況などを談義しました。そして、翌3月11日は午前と午後の2回、上映しました。私はスタッフの一員でしたので、終日にわたり対応しました。この日は、米沢栄養大学と米沢女子短期大学の学長である阿部さんともお会いしました。
 岡崎さんたちは、2023年11月26日に山形市で、多様性をテーマにした映画の上映会を企画し、私にも案内しました。映画は山形ドキュメンタリー映画祭でも上映された作品で、多様な「性」表現に携わる女性たちをテーマに、お互いの個性を認め合う共生社会とは何か?を探る映画でした。私は参加する予定でしたが、同じ日に鶴岡まちなかキネマで石巻市で撮影されたドキュメンタリー映画の上映会が開催されることになりました。そこでは私がその映画の監督の関係者としてステージトークをすることになり、残念ながら断念することにしました。
 この時点で岡崎さんたちからは“コロナ禍、震災…苦難を乗り切る映画の知恵”のことも案内されていましたので、罪滅ぼしではありませんが、私はエフエムNCV・おきたまGO!のスタッフさんと調整、岡崎さんたちが番組に出演し、ラジオで広報するためのお手伝いをしました。放送は2024年1月11日、昼の生放送“スイッチON♪”の中で行われました。少し緊張気味の岡崎会長と岡崎監督が約20分間、趣旨や内容、そして「出入り自由なので気軽に参加してください」などと紹介しました。
 こうした経緯があったためでしょうか、いつの間にか私はこの会の関係者になっていました。それで、両日とも午前中には現場に入りました。

 映画はチラシのとおり、13日が3本、14日は1本の上映です。4本を通して鑑賞しますと、岡崎監督の思いをより深く知ることができました。“東北の力 文化の力”は2023年3月11日に鑑賞していましたが、3本からの流れで、あらためて鑑賞することができたことで、大きな意義を感じました。(下の写真は13日の様子です)

   

 岡崎監督は、改元することがわかり、それを記録しようということで、撮影を始めました。そうしているうちに、新型コロナウィルスが日本に上陸。映画を観ながら、私も2020年の1月〜3月当時のことを思い出しました。あの当時、米沢では2月20日頃、一気に雰囲気が変わり、自粛ムードになっていきました。震災と原発事故による避難者が集うきっさ万世(お茶会:米沢市内で開催)は2月26日をもって、当面休止となりました。私は3月1日に宮城県亘理町へ行きましたが、その時も「県を跨いで良いものか」と思ったほどでした。そして、2020年3月11日の東日本大震災復興祈念事業(米沢会場)は中止になりました。

 2本目は、コロナ禍になった時期の撮影です。このため、撮影は山形県内だけとなりました。山形県鶴岡市鼠ヶ関。ここは県境のまちです。市街地の中に県境があります。映画は県境を跨ぐことを風刺したようにも感じます。
 この作品に出演したのが、当時台湾から山形大学に留学していたSさんです。コロナ禍の中、台湾へ帰国した際の苦労などを語りました。そのSさん、私の目の前にいます。現在は東京で働いているそうで、岡崎さんの招きで山形に来ました。Sさんは笑顔が素敵な人です。出演者には記載されていませんが、上映後のトークでも語ってくださいました。
 恵埜画廊(よしのがろう:山形市七日町)の間さんは、コロナ禍に関して、アマビエやヨゲンノトリを題材にした作品展を開催。まさに「文化の力」です。間さんも気さくな方で、好印象を持ちました。でも、コロナ禍での美術が果たす役割に対する強い信念がありました。それが前向きな思いにつながっていました。岡崎監督は「突然の訪問なのに間さんは快く応対してくださいました」と言っていました。

 3本目では、札幌で開催の競歩やマラソンを撮影した短編作品です。しかし、2021年は札幌も猛暑となり、途中棄権の選手が相次ぎます。映画は「東京から札幌へ移した意味はあったのか」と問います。この作品は、東京オリンピック・パラリンピックの記録映画ではありません。それで、取材特権もありません。撮影したのは市販のビデオカメラ(トークの場面で私はこのカメラを操作することがありました)です。だからこそ、私たちと同じ目線で撮影した貴重な映像です。
 岡崎監督の作品で共通するのは、字幕で時系列に、事実を淡々と伝えていることです。だからナレーションはありません。それが岡崎監督のこだわりであり、観ている者に、よりリアルに伝わってくる感じです。

 米沢栄養大学と米沢女子短期大学の学長である阿部さんは、山形国際ドキュメンタリー映画祭の理事でもあります。阿部さんの話はとてもわかりやすく、説得もありました。先にもご紹介しましたが、2023年3月11日にお会いしていましたので、阿部さんとも再会です。とにかく気さくな方で、好感を持ちました。トークでの仙台にある阿部さんの両親が住む実家に戻った時のエピソードは特に印象に残りました。

 13日は30人あまりの入場者でしたが、14日は40人ほどになり、会場はほぼ満席です。当日申し込みも数人あったそうです。(右の2枚の写真は14日の様子です)

 3本観たあとの“東北の力 文化の力”は、13日上映の3本の続編にもみえました。異なるのは、東北地方の各地で撮影したことです。
 この映画の最後の場面で登場したのが、久保さんです。きょうは朝早くに陸前高田を出発されました。久保さんは陸前高田でさまざまな活動に取り組んでいます。そのひとつが、陸前高田グローバルキャンパスでの活動です。地図で確認したら、私が訪問したことがある“朝日のあたる家”から近いことがわかりました。ここには仮設住宅体験館があります。仮設住宅の見学はもちろん、実際に宿泊体験ができます。隣りの部屋の音がどのように聞こえるのでしょうか。今の時期なら、寒さの体験もできます。
 久保さんが陸前高田に移住を決めたのは、陸前高田の「人」でした。それは陸前高田の人たちの温かさでした。それは久保さんの人柄にもよります。お若い方とは思えない、とてもしっかり考えをお持ちの方でした。尊敬します。
 私は陸前高田には2018年から2019年にかけて3回訪問しています。久保さんの話を聴いて、ますます陸前高田に行きたくなりました。

 上野さんがトークに出演することになって、避難者支援の関係者や避難者の方も集いました。上野さんの話をジックリ聴くのは久しぶりですが、津波に遭遇し、避難者支援に取り組んでいる上野さんの話は、今回も説得力あります。上野さんが危惧していたことが、能登半島地震で現実になってしまいました。

 トークでは、その令和6年能登半島地震についての話もありました。みなさんが言っていたのは「遅い!」です。これが関連死につながっています。東日本大震災から13年ですが、この間には、熊本地震があり、鶴岡でも大きな被害が発生した地震がありました。2021年と2022年にも大きな地震がありました。なのに、みなさんは「何も変わっていない」とも言います。久保さんは「体育館が避難所」に疑問を呈します。
 復旧・復興には相当な時間がかかります。にもかかわらず、災害救助法は旧態依然です。被災者の苦悩が続きます。

 岡崎監督の4本の映画は、教訓をどのように生かすかを考えるための貴重な作品です。
 教訓を生かす・・・私たちは難しく考えすぎているのかもしれません。もう1つは、固定概念や型枠に縛られているのかもしれません。それらを「乗り切る」ことが新たな歩みにつながります。それが4本の映画からみえてくる「知恵」です。

 2日間の上映会&トークでは、関係者の一員として、できる範囲でお手伝いしました。さすがに少し疲れましたが、お陰様で充実した2日間でした。岡崎監督、岡崎監督をはじめ、関わったすべての人に感謝しながら、ひとりごとダイアリーでの報告・記録とします。

 

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