だがしや楽校・ひとりごとダイアリー

 

ぷちだがしや楽校

 

2015年8月29日(土曜日)横浜の天気:曇り一時小雨

【ぷちだがしや楽校@東戸塚地域ケアプラザ】
 第2回“ぷちだがしや楽校”が東戸塚地域ケアプラザ(横浜市戸塚区)にて開かれました。
 主催は mignon(ミニヨン)、共催は東戸塚地域ケアプラザです。

 私(山口)が“ぷちだがしや楽校”を知ったのは、今年(2015年)の3月7日に開かれた“とつかのおもちゃ箱 vol.9”に参加・取材している時でした。“とつかのおもちゃ箱 vol.9”の主催者代表である“ひよこ”の神田さんと、そこでおみせを出していた mignon の高木さんからお聞きして、わかりました。
 この時は、横浜・戸塚での“だがしや楽校”の浸透ぶり、そして、さらなる“だがしや楽校”の広がりを感じました。全国各地に広まっている“だがしや楽校”ですが、地域の中に最も浸透し、いろんな形で“だがしや楽校”が開かれているのは横浜・戸塚である、と思ったのでした。

 主催する mignon は、“とつかのおもちゃ箱”では毎回のようにおみせを出しています。
 “とつかのおもちゃ箱 vol.9”では“ビーズアクセサリーのお店”を開きました。どちらかと言いますと、女のお子さんが喜びそうなおみせを出されていますので、私(山口)の mignon(ミニヨン)へのイメージも、そんな感じになっていました。
 ただ、“とつかのおもちゃ箱 vol.9”での資料では「昨年度から自称“かわいい(ミニヨン)おばちゃん”が集まって異世代地域交流サークルとして生まれ変わりました」と紹介していました。あらためて mignon(ミニヨン)をご紹介します。
 mignon(ミニヨン)は、東戸塚周辺の地域コミュニティサークルです。モノづくりを通して、異世代のかたり場や、子どもたちの想像力や感性、そして表現力を引き出すお手伝いをしています。mignon(ミニヨン)とは、フランス語で「かわいい」という意味です。

 その mignon(ミニヨン)が自分たちの力で開くことになったのが“ぷちだがしや楽校”です。
 “ぷちだがしや楽校”からは mignon(ミニヨン)の信念・コンセプトを実際の行動で示そうという強い思いを感じることができます。しかし「自分たちの力で開く」というのは大変なことです。それを実行しているだけでも頭が下がります。
 “ぷちだがしや楽校”を開くにあたり、mignon(ミニヨン)は東戸塚地域ケアプラザの協力を得ることができました。これはまさに mignon(ミニヨン)の力であります。

 横浜市東戸塚地域ケアプラザは横浜市社会福祉協議会が開設しています。JR東戸塚駅のすぐ近くです。高齢者等の相談やデイサービスを提供しているほか、地域の福祉・保健活動の拠点として活動しています。施設内には、多目的ホール、調理室、ボランティアコーナー、地域ケアルームがあります。
 そう言えば、“とつかのおもちゃ箱 vol.9”では“東戸塚地域ケアプラザ・おじさんボランティア助っ人隊”の人たちが活躍していました。今回の“ぷちだがしや楽校”でもお会いできることでしょう。

 mignon(ミニヨン)の説明による“ぷちだがしや楽校”とは、地域の人が集まり交流する場所です。おみせを出したり、お手伝いをして、仮想紙幣“ぷち”をもらいます。“ぷち”を使って駄菓子と交換したり、ワークショップで体験したり、会場内でお買いものができます。赤ちゃんから高齢者まで一緒に楽しめます。

 この“ぷちだがしや楽校”、今年(2015年)は3回開かれます。第1回は5月30日に開かれました。この時は私(山口)のスケジュールの関係で参加・取材は断念。当初から、きょうの第2回に照準を合わせ、スケジュールを組んでいました。
 心配だったのは暑さだったのですが・・・。

 “ぷちだがしや楽校”ということで、“とつかのおもちゃ箱”よりは気楽な思いで会場に向かいました。しかし、気楽な思いは、会場を見て回っている内に、打ち砕かれていきました。これは“とつかのおもちゃ箱”同様、気合いを入れなければならない、と思っていったのであります。

 それでは、第2回“ぷちだがしや楽校”をご紹介します。

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 きょう(8月29日)の東戸塚は曇りです。予報では時々雨が降るかもしれません。とにかく涼しいです。心配した暑さは微塵も感じられません。横浜アメダスでの午前10時の気温は20.3℃、そして最高気温は22.0℃(14時29分)です。信じられないほどです。
 それでも、東戸塚地域ケアプラザに近づきますと、中から熱気が伝わってきます。午前10時のスタートに向けて、スタッフの皆さんは準備に余念がないようです。
 受付には、スタート前から列ができています。早くも盛り上がっている感じです。

 “ぷちだがしや楽校”での遊び方です。
 受付では受付カードに名前を書きます。1枚のカードに5人まで書けますので、家族や友だちの名前をいっしょに書くことができます。受付では簡単なアンケートにも答えます。アンケートでは年齢や住んでいる町などを答えます。
 受け付けをしますと、受付カードと交換で「2ぷち」もらえます。仮想紙幣“ぷち”は“とつかのおもちゃ箱”での“とぷれ”に当たるものです。

 “ぷちだがしや楽校”では、『おしごと』『あそぶ』『だがし』があります。
 『おしごと』は“はろーわーく”で探します。おしごとには「小学生以上」と「幼児(保護者同伴)」の2種類あります。おしごとを探したら、カードを受け取って、20分間おしごとをします。おしごとが終わったら、おみせの人にサインをもらい、“ぷち引換所”に戻って、“ぷち”をもらいます。
 おしごとには、“おまわりさん”“ごみひろい”“せんでんマン”というお仕事もあります。これらのおしごとは、“ぷち引換所”でサインをもらい、“ぷち”と交換します。

 “ぷち”を使って、各おみせで遊びます。各おみせは、このあとご紹介します。
 『だがし』は、“とつかのおもちゃ箱”で、すっかりお馴染みになった“だがしやしなの”のおみせです。

 受付では、次回(第3回)の出店希望も受け付けていました。
 出店を希望する人は、受付で企画書をもらい、出店内容を書きます。その内容や当日の出店数によって、主催者で出店できるかを決めます。
 出店内容は、フリーマーケットを除き、“おとなみせ”“こどもみせ”“おやこみせ”のいずれかになるそうです。おみせでは、現金は使えません。

 

▼受付

  

 午前10時のスタートと同時に、受付は大忙しです。

 

▼はろーわーく&引換所

  

 上の3つの写真が“はろーわーく”でおしごとを探す子どもたちです。
 右の写真は、おしごとを終わった子どもたちが仮想通貨“ぷち”と引き換える場所です。
 ピンクの服を着ている人が mignon(ミニヨン)の人たちです。引換所もやがて大忙しになります。

 このあとは、各おみせをご紹介します。
 “ぷちだがしや楽校”は、mignon・エリアとケアプラザ・エリアがあります。mignon・エリアで『おしごと』『あそぶ』『だがし』があります。ケアプラザ・エリアでは、地域の人たちによる美味しいおみせがあります。こちらは現金も使えます。

 それでは mignon・エリアのおみせをご紹介します。
 はじめに、多目的ホールです。

 

▼けん玉
 男性お二人のおみせです。インタビューしました。
 お二人ともJR戸塚駅に近いところに住んでいるそうです。お二人は「けん玉クラブに所属しています。けん玉クラブでは、ボランティアで子どもたちにけん玉を体験してもらう活動を行っています。けん玉は、集中力・持続力を養います。高齢者にも、身体全体を使いますので、健康に良いです」と話されました。
 私が「山形・米沢から来ました。山形県長井市は「競技用けん玉の生産日本一です」と言いますと、「山形工房のけん玉はチョー一流品!」と絶賛します。山形工房こそが日本けん玉協会の製造指定工場に選ばれている日本一の競技用けん玉工場なのです。さすがはよくご存じです。

  

 お二人は「このあたりでは小学校でけん玉をやっていますので、段を持っている小学生が多いです。自分は級しか持っていませんので、子どもたちに教えられることもあります」と話します。私は「山形の“だがしや楽校”では、その場で級を認定しているけん玉協会の人がいました」とご紹介しました。
 さらにお二人は「校長自らやっている小学校では級は当たり前です。段の子も多数います。このあと、池袋で全国大会があります。山形の子とうちのクラブの子が対決します。山形には5段で信じられない技を演じる有名な子(5年生)がいます。さらに名古屋と羽田では国際大会が行われます。ヨーロッパやアメリカから名人が来て、日本の名人と対決します。けん玉とは、遊びではありません・競技です。子どもから高齢者まで、共通のものとして、競技することができます。そういう意味でも、山形工房は競技用けん玉をきちんと作っています」と熱く語りました。

  

 おみせに子どもたちがやって来て、けん玉にトライします。その時のお二人は、楽しそうでもありますが、真剣です。小学生以上でないとできないことをハッキリ伝えます。また、けん玉を振り回そうとしたお子さんには、しっかり注意します。こうしたルールがあって、競技用けん玉として楽しむことができます。

 

▼フェイスペイント
 お子さんの顔や腕に絵を描いています。スタッフの方にインタビューしました。「毒のない絵の具を使って、身体にいろいろ描いて楽しむおみせです。描いた人がおまつりなどで歩いていると楽しい雰囲気になり、良いかなと思います」と答えてくださいました。

  

 さらに、「私たちのグループは、年5・6回、おまつりに呼んでもらいますと、おみせを開きます。5〜6年前から何人かでやっていましたが、今年(2015年)になってメンバーがいきなり増えてからは、本格的に活動ができるようになりました。私たちは社会福祉協議会の職員です。いつも皆様が私たちの施設で働いてくださったり、ボランティアさんにもお世話になっていますので、たまには私たちもボランティアしようかな、という思いでやっています。スタッフには地域のボランティアさんも入っています」と紹介されました。

  

 私が「今年の全国ボランティアフェスティバルは11月福島で開催されます」と言いますと、「以前に参加したことがあります」とのことでした。
 女のお子さんに人気のおみせに見えましたが、男のお子さんも楽しんでいます。

 

▼廃材工作(ペン立て・メガネ立て)
 「アートの活動をしています」という女性の方によるおみせです。

  

 おみせについて「土台はガムテープの芯を2つ重ね、片側にダンボールを丸く切って貼って作ります。それに好きな色のシートを貼り、トッピングして仕上げます。敬老の日が近いので、おじいちゃん・おばあちゃんへのプレゼントにもなります」と紹介しました。

  

 そして、ご自身の活動については「普段は子どもの工作のイベントをしたり、絵を描いては展覧会に出品したりしています。子どもの発想力には凄い刺激を受けています。自分のためにもなっています。アートはコミュニケーションのツールになると思っていますので、こういう機会をいただき、ありがたいと思っています」とのことです。
 時間が経つにつれ、大勢の子どもたちでにぎわったおみせです。

 

▼実験(おりぞめは夢の世界)
 横浜市内に住む男性(Mさん)が開いているおみせです。

  

 障子紙を小さく三角に折ります。それを液体の染料に付けます。染料が障子紙に染み込みます。折った障子紙を開きますと、鮮やかな模様が・・・。色や付け加減で、思いがけない模様ができたりします。それで実験のおみせとしました。

  

 Mさんは、こうした活動を長年行っているそうです。時には科学実験もやるそうです。

 

▼かみしばい
 “とつかのおもちゃ箱”でもおみせを出したことがある“てんとうむし”による紙芝居です。紙芝居を口演している合間にインタビューしました。

 

 “てんとうむし”はメンバー4人で活動しています。紙芝居は、地区センターや横浜市の図書館から借りたものを使用しています。たくさんの紙芝居から選びますが、子どもたちにとって、思ったとおりの紙芝居だったのか、そうではなかったのかは、気にかけています。きょうは、周りのおみせの音が聞こえる中での紙芝居だったためか、子どもたちは一生懸命に聴いてくれ、笑ったりするなどの反応もあって、良かったです・・・と話してくださいました。

 

▼マジック
 “ぷちだがしや楽校”が始まってしばらくしてからでしょうか、多目的ホールの一角に長テーブルが設けられました。当初の予定には無かった新しいおみせの誕生です。それは“マジック”のおみせです。臨機応変の対応、素晴らしいです。これこそが“だがしや楽校”です。
 1回目のパフォーマンスが終わったところで、インタビューしました。

  

 プロのマジシャンです。芸名はシリュウです。シリュウとしては昨年からしていますが、マジック自体は(デビュー以来)今年で4年目です・・・と紹介されました。
 私(山口)が「ご自身でステージを開いていますか?」と聞きますと、「自分でイベントを開いたこともありましたが、労力を使うわりには効率が悪いので、このようなイベントに呼ばれてやることが多いです」という答えでした。
 私が「“ぷちだがしや楽校”へ来られたきっかけは?」と聞きますと、「コミュニティカフェで“ぷちだがしや楽校”のことを知り、自分ができることがあればと思い、見学に来てみました。そうしたら、紙芝居のところで、手品を見せる流れがあり、そこから『やってもらえませんか』という話になり、おみせを開くことになりました」と説明してくださいました。

 実はシリュウさんへインタビューする前、とつか区民活動センターのTanabeさんとお会いし、そこでTanabeさんから「マジックの人に“ぷちだがしや楽校”のことを紹介していました」という話をお聞きしていました。
 マジックの内容についてシリュウさんは「片手が使えないマジシャンとしてやっています。それで、テーブルマジックを専門にしながら、手先の器用さを売りにしています」とのことです。

 

 屋外で出ましょう。屋外と言っても、雨が降っても心配なしです。

 

▼丸太切り体験
 おみせを開いているのはNPO法人道志水源林ボランティアの会です。私のインタビューに、丁寧に答えてくださいました。

  

 横浜市は近代水道発祥の地です。それは明治20年(1887年10月17日)のことです。
 その横浜水道の水源は山梨県道志村の豊かな森です。このため、横浜市では、山梨県ですが、大正5年に、道志の森を市有林とします。しかし、道志の森も、ご多分に漏れず、林業の衰退などにより、水源としての働きが落ちています。人間が植えた杉やヒノキが陽も当たらない森にしているのです。そこで横浜市は、道志の森の保全を、市民と協働で取り組むことになりました。
 道志水源林ボランティアの会は、平成18年(2006年)からの活動です。横浜市水道局と協働して、道志水源林整備ボランティア活動を行っています。会員は約300人です。
 主な活動は、道志水源林での間伐作業です。今年は4月から11月までの15回行っています。毎回定員は50名ないし70名です。横浜からはバスで現地へ移動し、約3時間作業を行い、その日の夕方には横浜へ戻ります。7月には宿泊活動もありました。
 このように、道志水源林ボランティアの会は横浜の水を守る重要な活動を行っています。
 きょうのおみせは、間伐したヒノキ材のことをわかってもらうための丸太切り体験です。

 私(山口)が山形県の森林状況(松枯れ・ナラ枯れなどのこと)、やまがた緑環境税などのことについて紹介しますと、ご存じでした。さすがです。感心しました。横浜にもやまがた緑環境税と同じような仕組みがあるそうです。

 

 続いて“こどもみせ”をご紹介します。東戸塚学童クラブと川上小学校放課後キッズクラブの子どもたちによるおみせです。

 

▼スーパーボールすくい

 

 上の写真左は“とつかのおもちゃ箱”の中心メンバーのひとり・Higoさんと子どもたちです。おみせを開く前の打ち合わせのようです。

  

 そのHigoさんは私に「こうやって新たな“だがしや楽校”が広まっていくことはとても嬉しいですが、自分たちから離れているのかな・・・と思うと、ちょっと寂しい気もします」という複雑な心境を話されました。

 それはある意味、私(山口)も同じ心境です。
 私は2009年8月から2012年3月まで“だがしや楽校《オフィシャル》コーディネーター”として活動しました。この間、山形県内はもとより、全国の“だがしや楽校”現場を巡り、だがしや楽校のネットワークを構築することに力を注ぎました。お陰様で全国の“だがしや楽校”仲間の皆さんとの交流も深まりました。
 でも、私は2009年8月以前から“だがしや楽校コーディネーター”として活動してきたつもりです。当時から山形県内全域はもちろん、新潟県など県外を駆けずり回りました。静岡県にも出向きました。特に神奈川県には何度も足を伸ばしました。その中心が横浜・戸塚です。
 ですから、2012年4月以降も“だがしや楽校コーディネーター”としての活動は続けています。それは私にとっては自然なことなのです。
 しかし、2012年4月以降は駆けずり回る機会が減りました。これについて“だがしや楽校”仲間のTさん(横浜市)は「子どもが親離れしているのと同じに考えては・・・」と助言されました。「なるほど」とは思いました。でも、やっぱり寂しいです。
 だから、その後も変わらず、毎回のように連絡・案内をしてくださる横浜・戸塚には、その心遣いに対して、ただただ感謝するばかりなのであります。

 そう言えば、きょうの“ぷちだがしや楽校”では、横浜市泉区でも“だがしや楽校”が開かれていることを、その関係者からお聞きし、連絡・案内をいただけることになりました。新たな交流の誕生です。

 

▼みずでっぽうだわ〜い

  

 的は金魚すくいの網です。水の勢いで破くと大当たりです。ユニークなおみせです。

 

▼ダーツ

 

 子どもたちが考えた「キャラをねらっちゃダメよだめだめ」などユニークなルールがあります。大人も子どもも楽しんでいます。

 

 

▼かたもみやさん

 

 ユニークと言えば、なんと言っても、このおみせでしょう。やはり子どもたちが考えたおみせだそうです。この脇ではお茶のサービスもあります。至れり尽くせりです。ケアプラザにピッタリなおみせです。

 

 ここで、おしごとをする子どもたちをご紹介します。

  

 写真左は、おみせの前で大きな声で呼び込みしているお子さんです。
 写真中と右は、おまわりさんです。「おまわりです。困ったことがあったら言ってください」と言いながら、会場を巡回・警備しています。

 

 このあとは、ケアプラザ・エリアのおみせをご紹介します。

  

▼にこにこコロッケ

  

 “とつかのおもちゃ箱”でもお馴染み“にこにこコロッケ”です。東戸塚地区配食サービスの会にこにこネットワークのおみせです。平田牧場三元豚ひき肉入りです。きょうは限定100個の販売でしたが、アッという間に売り切れてしまいました。
 ここでも、お子さんがおみせのお手伝い(おしごと)をしています。

 

▼東戸塚地域活動ホーム ひかり
 “東戸塚地域活動ホーム ひかり”は、ここから東へ約80メートルのところにあります。障がい者のための施設で、デイサービス・一時預かり・相談業務などを行っています。

 

 きょうは、日中活動で作っている手作り商品や、同じ施設内にある障がいを持っている人たちがパンなどを作っているパン工房で作ったクッキーやマドレーヌを販売しています。

 

▼阿波名物半田手延べそうめん
 “とつかのおもちゃ箱”では“りんどう亭”として、うどんを販売している高齢者食事サービスグループ“りんどう”のおみせです。きょうはそうめんを販売しています。

 

 半田手延べそうめんとは、徳島県の吉野川沿いにある旧半田町(2005年の合併により現在はつるぎ町となっています)に伝わるそうめんのひとつです。やや太い(そうめんとひやむぎの中間)のが特徴です。
 そうめんには、ねぎ・わかめ・揚げ玉、そしてカニ風味カマボコまでのっていて、チョー豪華です。見事な流れ作業でそうめんを盛っています。
 私もいただきましたが、美味しくて、アッと言う間に食べてしまいました。

 

▼山形のたまこんにゃく
 おばちゃんたち4人のおみせは、なんと!「山形のたまこんにゃく」。
 おばちゃんたちたちによりますと、玉こんにゃくは今朝、山形から東戸塚地域ケアプラザに着いたばかりだそうです。そして私に「これは山形名物ですよ」と説明します。さらに玉こんにゃくの煮込み方まで説明してくださいました。私が「どうして山形の玉こんにゃくなのですか?」と聞きますと、ひとりのおばちゃんが「実家が山形(山形市漆山)だからです」と言います。

 

 ・・・と、ここまで会話したところで、私が「きょうは山形から来ました」と言いますと、実家が山形というおばちゃん、目を丸くして「山形のどこ?」と私に聞きます。私が「米沢です」と答えますと、おばちゃんは「山形市の手前ですね」と言います。私が「いつからこっちに・・・?」と聞きますと、「戸塚の住民になって三十数年です」と答えていました。
 おばちゃんたち、今回“だがしや楽校”に初めて参加(出店)しました。これまでもイベントに出店していましたが、それを観たご主人が、“だがしや楽校”参加を勧めたそうです。
 4人はご近所同士の仲良しグループです。お茶飲み会の“ゆり組”です。
 早速、私も玉こんにゃくをいただきます。横浜・戸塚で玉こんにゃくを食べる時は複雑な思いになりますが、玉こんにゃくそのものはとても美味しいです。
 玉こんにゃくは見事に完売!です。

 

 “東戸塚地域ケアプラザ・おじさんボランティア助っ人隊”の人たちによる2つのお店です。

 

▼かき氷

  

 いちご、マンゴー、ハワイアンブルーのかき氷を100円で販売しています。このおみせでもお手伝い(おしごと)する子どもたちの姿がありました。

 

▼のみもの
 カルピスウォーター、ファンタグレープ、おちゃなどを100円で販売しています。

 しかしです。ご紹介しているとおり、きょうの横浜・戸塚は愚図ついた天気で気温も上がっておりません。涼しすぎるほどの陽気です。せっかく準備したかき氷や飲み物はなかなか売れません。
 おみせ番をしているおじさんの1人に「今の時期、こんなに涼しかったことはありますか?」と聞いてみますと、「ありませんね」と言い、「台風が前線を南下させたからでしょう」と詳しい解説をされました。
 私(山口)が「山形から来ました」と言いますと、「山形より涼しいかもしれませんね。山形から涼しい空気を持ってきたんではないですか」と言われて、「ア〜レ〜・・・」となった私です。
 私(山口)がこの涼しさに「ビックリ!です」と言いますと、なかなか売れないことに「ガックリ!です」と返ってきました。

 

▼ポップコーン

    

 かき氷の隣りですが、mignon・エリアのおみせです。受付でポップコーンの無料引換券がもらえます。ポップコーンはキャラメル味です。私もいただきました。ほんのり甘い味です。
 なお、写真右は飲食スペースです。

 

 お昼をすぎた頃、駄菓子総合研究所の酒井さんが“ぷちだがしや楽校”にやって来ました。
 あらためて簡単に酒井さん(右の写真の左側)を紹介します。
 酒井さんは“うまい棒”でお馴染みの“やおきん”に勤めていた方です。“やおきん”勤務当時からイベントプロデュースを手掛け、駄菓子販促に貢献したばかりでなく、私(山口)からしますと、駄菓子文化向上にも寄与した方であると思います。その証拠に、“だがしや楽校・全国寄り合い”にも積極的に参加しました。
 2014年3月、独立して“駄菓子総合研究所”を立ち上げ、日本の将来と子どもたちに何か貢献したいという思いで、さらに特化した活動を展開しています。
 酒井さんとは今年、6月は山形市で、7月は米沢市でお会いしています。この内、米沢市に来ていただいた際、私は「8月、横浜・戸塚に行くことにしています」と申し上げていました。それがきっかけで、ここにお越しになったものです。
 酒井さんは Higoさんらと打ち合わせしたり、会場を見て回ったりしました。中でも駄菓子屋さんでは、“だがしやしなの”の山田さん・松田さんと、いろんな話をされていました。

 

▼だがしや
 最後は、その駄菓子屋さんをご紹介します。写真のとおり、駄菓子屋さんはいつもにぎわっております。

  

 

 午後1時、“ぷちだがしや楽校”おしまいの時刻です。アッという間の3時間です。
 多目的ホールでは、スタッフの皆さんが集まり、美味しいキーマカレーをいただきました。“ぷちだがしや楽校”での心遣いを感じました。

 

 mignon(ミニヨン)の高木さんの紹介で、私(山口)は“だがしや楽校とは”についてお話する場面を作っていただきました。ここでも、戸塚の人たちの心遣いを感じたのであります。

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 それでは、第2回“ぷちだがしや楽校”に参加・拝見しての感想をご紹介します。

 第一印象です。
 “ぷちだがしや楽校”と言いながら、「どこが“ぷち”なの?」であります。
 たくさんのおみせがありました。私(山口)は「おみせの数は3つか4つ、多くて5つか6つ」と思っていましたので、ビックリしました。
 来場者も凄いです。240名だそうです。スタッフ・関係者は70名ほどだそうで、合わせますと300人を超えるだがしや楽校でした。こんな大規模の“だがしや楽校”は少なくても山形県にはありません。“とつかのおもちゃ箱”と比較すると“ぷち”なのでしょうが・・・。良い意味で、大にぎわいの“だがしや楽校”でした。

 とにかく、戸塚は、日本で最も“だがしや楽校”が盛んな地域になりました。素晴らしいです。
 主催は mignon(ミニヨン)さんですが、共催となっている東戸塚地域ケアプラザの“だがしや楽校”であるとも感じました。所長さん自ら動き回っていたように、東戸塚地域ケアプラザさんの力も大きいと感じました。これも“ぷち”ではなくなった“だがしや楽校”に大きく貢献しました。
 東戸塚地域ケアプラザさんを巻き込んだmignon(ミニヨン)さんの力も凄いな〜、と思ったのでした。

 “とつかのおもちゃ箱”では見られなかった“おみせ”がいくつも見られ、とても新鮮に感じました。おみせを出された仲間同士でのつながりで、初めておみせを出す人もいました・・・という話もお聞きしました。
 私は“とつかのおもちゃ箱”を初めて見た時の「ワクワク感」を思い出しました。あの時も、準備をしている過程で、おみせを出す仲間が増えていきました。それは、地域の人たちがつながっていく瞬間でした。 今回の“ぷちだがしや楽校”でも、それがありました。
 それは、おみせの人たちにインタビューしたり、とつか区民活動センターのたなべさんらの話をお聞きしたりして、察することができました。 素晴らしいとしか言いようがありません。

 時間の経過とともに、来場者は増えていき、正午を過ぎる頃には、多目的ホールのおみせでは多くの人でごった返すほどでした。だいたいの場合、イベントではお昼頃になりますと、人出はひと息つくのですが、きょうは逆で、増え続ける一方でした。おそらく終了時刻が午後1時だったからではないかと思われます。

 スタッフの「あと10分です」「あと5分です」という声が聞こえました。そして、“ぷちだがしや楽校”は、午後1時でキッパリ終了しました。
 この時です。お子さんを連れたおかあさんが「まだ遊べますか?」と言います。スタッフは「すみません。おしまいです」と言います。おかあさんはお子さんへ「きょうはおしまいだって」と言います。こういう場面を複数見ました。
 駄菓子屋さんは午後1時をすぎても開いていました。午後1時まで遊んだり、おしごとをしたりして、そのあとで“ぷち”と交換するお子さんがいるかもしれないからでしょう。
 しかし、キッパリおしまいにしたことで、午後1時をすぎて駄菓子屋さんに来るお子さんはおらず、店じまいしました。

 これって、たくさんの来場者があったことによる「嬉しい悩み」というか、課題です。
 開催時間も“ぷち”ですので、午後1時終了で良いのでしょうが、悩ましく感じました。
 すでに広報しているため、第3回(11月29日開催予定)も午後1時終了になりますが、おしまいの仕方も“だがしや楽校”らしく・・・だったら良いな〜、と思いました。

 でも、これも大盛況だったからこそのことです。
 本当に素晴らしい“だがしや楽校”でした。あらためて、横浜・戸塚に“だがしや楽校”が根付き、浸透し、広まっていることを実感しました。また、心遣い・気遣いも感じました。

 私の目には、全国的に見て、一部とは言え、「“だがしや楽校”は正念場に来ている」と感じております。そういう意味でも、横浜・戸塚の浸透ぶり・広がりは特筆すべきことです。

 “ぷちだがしや楽校”では、山形出身、東北出身、東北ゆかりの方たちとお会いしました。とても嬉しく、横浜・戸塚に対してもさらに親近感を持ちました。一方で、複雑な思いがしました。
 これまで(戦後)、どれだけの人が、山形・東北から首都圏へ行かれたのでしょうか。
 地方創生とか言われますが、地方における厳しい状況は続きます・・・というより、このままではさらに厳しくなりそうです。
 地方(山形・東北)が、その厳しい状況から脱却するには、何かが必要です。行動しなければなりません。

 そのヒントが“ぷちだがしや楽校”にありそうです。
 都会と言いますと、特に地方の人たちは「地域のつながりがない」「人のつながりがない」と言います。では、本当にそうなのでしょうか。“ぷちだがしや楽校”など横浜・戸塚での動きを拝見しますと、そうではないことがわかります。逆に、横浜・戸塚ならではの「人のつながり」があります。地域としての魅力を感じます。
 というわけで、私(山口)が、“ぷちだがしや楽校”そして横浜・戸塚から学ぶは、たくさんあります。

 “ぷちだがしや楽校”については、3回の内、1回でも参加・取材できれば・・・と考えていましたが、実際に拝見して、第3回も参加・取材したいと思うようになりました。それだけ素晴らしかったのです。

 あらためて、横浜・戸塚に感謝を申し上げます。

 

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