おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2015年11月21日(土曜日)未明の4時頃から5時頃 曇り一時差し 午前10時頃から曇り時々晴れ のち晴れ時々曇り晴れ一時薄曇り

【地域力共創フォーラム:第2部】
 “地域力共創推進コンソーシアム10周年記念:地域力共創フォーラム”の第2部(主催:地域力共創推進コンソーシアム)が山形市内(山形市総合福祉センター2F交流ホール)にて開催されました。

 この“地域力共創フォーラム”の開催趣旨及び第1部の内容については、こちらのチラシと、こちら(10月24日のひとりごとダイアリー)をご覧ください。

 それでは、第2部の概要(内容)を主催者(地域力共創推進コンソーシアム代表の黒沼さん)発表のものでご紹介します。

《テーマ》
 東日本復興支援の連携・協働の事例に学ぶ

《ゲスト講演》
 講師: 瀬野和広氏(有限会社 設計アトリエ一級建築士事務所代表取締役)
 演題:「災害復興【住まい】夢構想」について

《事例紹介》
 紹介者:菅野芳春氏(一般社団法人ワタママスマイル代表理事:石巻市)
 テーマ:宮城県石巻市ワタママ食堂建設への道のりと“いま”

《パネルディスカッション》
 テーマ:東日本復興支援の連携・協働の事例から見えてくるもの
 コーディネーター
  新沼慎二氏(一般社団法人 Bush Clover Community 代表理事)
 パネラー
  瀬野和広氏(有限会社 設計アトリエ一級建築士事務所代表取締役)
  菅野芳春氏(一般社団法人ワタママスマイル代表理事:石巻市)
  黒沼貞志氏(有限会社 SKソリューションズ)

《交流会》
 参加者が講演者、パネラー、関係者と語らう場

  
 また、黒沼さんは瀬野和広さんについて、次のように紹介しています。

 山形県村山市出身の瀬野氏は大改造!!劇的ビフォーアフターの匠として知られ、2012年4月1日放送の「かつて牛舎だった家」/ABC朝日放送で年度大賞を受賞。
 瀬野氏のもう一つの顔「災害復興【住まい】夢構想」は氏のWebサイトに掲載されていて次のような実績を積んでいる。
・長野県下水内部/栄村計画: 2013年11月竣工
・宮城県石巻市/ワタママ食堂:2014年4月竣工
・ビックサイト「スマートコミュニティJapan2014」のブースで 実物の展示(2014.6.18)
・福島県福島市/前谷邸:2015年2月竣工
・宮城県石巻市/金華山宝島プロジェクト:計画中
・石巻/復興公園前お土産店舗:計画中

 というわけで、きょう(11月21日)の第2部は「震災」「復興」「協働」がテーマです。
 「震災」や「復興」に対して、黒沼さんはそんなに関わっていない、と思っていた私(山口)でしたので、この内容を1年近く前に黒沼さんから提案された時には少々ビックリしたのですが、いろいろな事例を知ることは、視点・視野の広がりにつながると思い、賛同しました。また、山形で避難生活を送っている人たちの最大の悩みのひとつは「住まい」であり、「参考になる話があるのではないか」とも考えました。
 とは言え、黒沼さんがどうしてこのテーマにしたのか、よくわかりませんでした。このことについて、黒沼さんは次のように紹介しています。
 
 瀬野氏は大改造!!劇的ビフォーアフターの匠として知られ、2012年4月1日放送の「かつて牛舎だった家」/ABC朝日放送で年度大賞を受賞しています。
 小職(注:黒沼さん)がUターンして間もない頃に出会う機会があり、それ以降はメールやメルマガ などを一方的に送らせてもらっていましたが、上記のビフォーアフターのTV番組の中で再会しました。この時の番組での氏の取組みに次のような印象を持ち改めて連絡を取ることになりました。 番組での「アプローチ手法」は他の建築士とは一線を画しており、これまでの放送の中では秀逸でした。それは、依頼主に寄り添うべく、佐渡の風土、街並み景観、家族の歴史と現生活などの調査・・・とそれらに対する共感・共有をベースにして改造に取り組む姿勢にあると勝手に理解しました。
 http://asahi.co.jp/beforeafter/list/d00089gwbo.php
 その後の氏とのやり取りの中で<災害復興「住まい」夢構想 ~次の10年の仮住まいを考える~>を知り、それを企画し発信する氏のアクティビティは すごいと感嘆しました。
 氏によれば、目先の復興案に疑問を持ち、息の長い案にしなければと感じて、発表したとのこと(建築専門誌ほかでも紹介されています)。
 震災以降、氏のアクティビティに触れながら、その紹介をコンソ(注:本フォーラムの主催者)のメルマガや東北オフサイトミーティングのMLなどを通して実施したことで、それが新沼氏(パネルディスカッション:コーディネーター)に、そして瀬野氏へつながり、そこから石巻のNPOワタママスマイル菅野氏(尾花沢出身)のアクティビティにつながったといえます。
 そのような経緯の中、直接的被災が軽かったとはいえ、福島をはじめとした被災者の受け入れに力を注いできている山形で、瀬野氏や関係者のアクティビティ(特に災害復興【住まい】夢構想)を何とか紹介できないものかという考えを温めてきて現在に至っています。

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 きょう(11月21日)の第2部では、どういうわけか、私(山口)が司会を務めることになりました。
 主催者である地域力共創推進コンソーシアムを構成する5つの団体の中では、震災復興支援に最も関わっているのが私だから、という理由でのご指名です。こんな私が司会を引き受けたら、スムーズに進行するどころか、メチャメチャになるのではないかと自分でも心配になりました。
 結果的には、案の定という気もします。なぜなら、ゲスト講演や事例紹介が終わるたびに余計なコメントを入れたからです。さらには、パネルディスカッションでは、パネラーでないのにもかかわらず、コーディネーターである新沼さんの配慮もあって、調子良く発言する場面がありました。これでは司会者としては失格ですね!

 ただ、事前の打ち合わせで「時間についてはあまり厳格にしないでいきましょう」となり、パネルディスカッションでは会場の人たちにも自由に発言してもらうことにしました。
 時間が押す中、瀬野さんが(パネラーからの発言がもう良いので)会場からの発言を求める場面があるなど、皆さんが自分の役割以上のことをされたのも、私にとっては大助かりでした。逆に言いますと、パネラーの人たちは、すでに講演や事例紹介をしているわけで、パネルディスカッション(パネラーの発言時間)は短くても良かったのではないか、と反省しております。
 それより、会場の人にも発言してもらう時間(はありましたが)をもっと長くすべきでした。

 ほかにも反省点はいくつかあります。
 ひとつは、司会の私としては、時間について柔軟に対応することを、はじめにお伝えすべきだったことです。
 また、会場については、10周年記念ということで(大きな)交流ホールを選定しましたが、ここは残響が強く、特にトークは聴きにくかったです。“One Coin 地域力 カフェ”で使っている3F研修室などでも良かったのではないか、と反省しております。

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 きょうのフォーラムをとおして、あらためてわかったことは、仮設住宅にしても、建設が進む復興住宅にしても、住む人の思いや地域の状況を考えておらず、お役所の都合だけで進んでいる、ということです。
 全国どこでも同じように建てられてしまう仮設住宅。それもお役目が終わるとゴミになってしまう建て方です。瀬野さんはお役目が終わっても再利用できる木材を使用しないことに疑問を呈します。
 復興住宅も同じです。金属の仮設住宅からコンクリートの復興住宅へ。背の高い復興住宅に地域への配慮はありません。景観にそぐわない復興住宅で良いのでしょうか。
 こういうことは、災害復興だけではありません。すべてのことに通じます。
 瀬野さんは、オープンしたばかりの南陽市文化会館について「県産材100%」と謳っていることにも疑問を呈します。さらに、一時問題となったのに最近は聞かなくなったシックハウス症候群についても「基準が緩和されたためであり、問題が解決したわけではありません」と言います。

 世の中悩ましいことだらけですが、そんな中、人と人とのつながりによって、オープンしたのが“ワタママ食堂”です。
 “ワタママスマイル”が“ワタママ食堂”をオープンさせたのは2011年秋です。休業している食堂を借りてのオープンです。“ワタママ食堂”は大人気となります。
 順調だった“ワタママ食堂”。ところが、当初は1年間の賃貸契約だったのに、家主(大家)から「半年で賃貸契約を打ち切る」と言われてしまいました。
 2012年春のクローズ後、再開を望む声が多数寄せられました。そこで、再開を検討しました。
 しかし、再開には課題がありました。場所の問題もあります。何より「プレハブのような建物ではやりたくない」という強い思いがありました。そんな時、菅野さんは、パネルディスカッションの出演者(パネラー)たちとつながったのです。
 そして、実現したのが、木材を使用して建てた“ワタママ食堂”です。人と人との「縁」の大切さを身に染みて感じる事例です。

 司会なのですが、私(山口)は、先にもご紹介したとおり、ところどころで発言しました。

 菅野さんの事例紹介のあとは、私が2011年4月22日に湊小学校を訪れていたこと、湊小学校がドキュメンタリー映画になったこと、山形県内5ヵ所で上映会を行ったこと、山形市での上映会は山形国際ドキュメンタリー映画祭の協力で行ったこと、山形市での上映会では“ワタノハスマイル”のオブジェ(渡波地区の子どもたちが渡波小学校の校庭に流れ着いたガレキを使って作ったもの)を展示したこと、“ワタノハスマイル”代表の犬飼ともさんに対して、きょう(11月21日)のフォーラムを案内させていただいたこと、などをご紹介しました。(緑字は、菅野さんの事例紹介でも登場した言葉です)

 もうひとつ、パネルディスカッション中では次のようにコメントしました。
 山形県で避難生活を送っている人の最大の課題のひとつが「住まい」です。なんと言っても、住み替えができません。加えて、追い打ちをかけるように、2015年6月には福島県から「2017年3月をもって住宅の無償提供を打ち切る」という発表がありました。
 こうしたこともあってか、山形県で避難生活を送っている人の中には、「将来は福島へ帰還」という人より、「山形に定住する」と考える人が多くなりました。
 そう考えますと、きょう(11月22日)のフォーラムはタイミングの良い開催でした。いよいよ瀬野さんたちの出番なのです。

 そういう意味では、きょう(11月22日)のフォーラムについて、山形で開催する意味をもう少し強く発信すれば、来場者はさらに増えたのではないか、と思います。これも反省点のひとつです。

 人と人との「縁」が“ワタママ食堂”につながりました。
 ちょっとした「縁」が素晴らしいものを生み出します。やっぱり私の活動の根源は「人と人とのつながり」です。 
 

 

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