おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー
2016年9月26日(月曜日)曇り 朝6時前後雨 日中場所により一時雨 夜時々小雨 一時雨
【One Coin 地域力 カフェ】
平成28年度(2016年度)第2回“One Coin 地域力 カフェ”(主催:地域力共創推進コンソーシアム)が山形市内(山形市総合福祉センター3F 会議・研修室1)で開かれました。
早速、今回の内容(概要)を主催者発表のものでご紹介します。
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◎今回の話題
『あなたは、水野三郎右衛門元宣(みずのさぶろううえもん
もとのぶ)を知っていますか?』
山形藩最後の藩主水野家の首席家老として、戊辰戦争に際し22歳の若さで、不在の藩主に代わって外交、軍事を指揮。戦後、藩の責任を一身に背負い27歳で刑死。城下を兵火の荒廃から守り、“今日の山形を築いた大恩人”だそうです。山形にいて、まだまだ知らないことがたくさんあります。
今回は日々の仕事の傍らガイドボランティアをされている木原邦彦さんから山形の歴史に関わった元宣のこと、聞いて、知って、感謝して、後世に伝えようではありませんか!!
◎話題提供者
木原邦彦氏(写真)
山形県郷土館 文翔館
山形県緑町庭園 洗心庵
山形市観光ボランティアガイド協会
霞城まちなみ案内人
香澄倶楽部(水野藩家臣の会)
プロフィール:
・山形市出身
・1985年〜2012年
第一貨物自動車株式会社勤務
・2012年〜
(社)山形県トラック協会勤務
・ボランティアガイド経歴
2005年 山形市ボランティアガイド「霞城まちなみ案内人」第五期生ガイド
同年 山形県郷土館「文翔館」第四期生ガイド
2009年 NHK大河ドラマ「天地人」びゅうーバスガイド
2012年 山形県緑町庭園「洗心庵」第一期生ガイド
2014年「市民のためのやまがた検定」山形マスター認定(7名)
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主催者の一員であることから、今回は事前に資料を拝見することができました。その資料の中には“ガイド案内時の心得”がありました。そこにはこんな記述がありました。
■歴史は“勝者の記録”のなり易い。
物事には『表&裏』がある。
どちらかから見るかによって、正反対の結論になる。
私はこの記述を拝見しただけで、木原さんに共感しました。
さらに木原さんは、きょうの“One Coin 地域力 カフェ”での話題提供の冒頭、次のような意味の話されました。
ボランティアガイドには2通りあります。ひとつは、聴く人のためにガイドをする人です。もうひとつは、自分のためにガイドをする人です。
私は完璧に脱帽です。
米沢は歴史の町と言われます。上杉の城下町です。
私は米沢に住む歴史に詳しい2人の方と話したことがあります。1人は生まれも育ちも米沢の人です。もう1人は20年ほど前に米沢へ移住された方です。2人の方は同じようなことを言います。
歴史(を知ること)とは、一方的に教え込むものではありません。みんなで話し合って深めていくものです。
木原さんの“ガイド案内時の心得”には次のような記述もあります。
■歴史には、「うそ」が多い。
・記録にない
・現場の検証・実証の結果→物理的にあり得ない!
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歴史は不得意な私です。きょうの“One Coin 地域力 カフェ”には15名ほどが参加しました。皆さん詳しくて、私などは小さくなってしまいます。だから、木原さんの話から、今のまちづくりにつながることがわかっただけでも、私には大収穫です。

山形市は「まとまりが弱い」と言われますが、それには歴史的背景があることを知りました。同じ山形なのに、治めている家が3つもあったからです。そもそも、山形は城主が13回変わっています。米沢が上杉家で治めていったのとは大違いです。
そんな山形が、なぜ明治になって、県庁所在地になったのでしょうか。当初は「酒田に県庁所在地」という話だったそうですが、酒田のまとまりが強すぎたことで断念します。天童は焼き討ちにあっていました。江戸時代から明治時代の中で、被害が無かった山形が県庁所在地となりました。鉄道が敷かれ、地理的条件の良かった山形に駅が設けられました。
では、なぜ山形は被害が無かったのでしょうか。そこに登場するのが水野三郎右衛門元宣です。山形最後の城主、水野家。結局はすべての責任を負うことになります。水野三郎右衛門元宣は新政府に対して、そのことを申し出ます。それは“切腹”を覚悟の上で。
ところが下されたのは“打ち首”です。“切腹”は武士としての名誉ある死です。しかし“打ち首”は罪人です。だから、水野三郎右衛門元宣は、山形でも知られていない存在なのでしょうか。これが歴史の表と裏です。
でも、水野三郎右衛門元宣がすべての責任を負ったことで、今の山形市の発展があります。
それにしても、歴史とはおもしろいものです。まとまりのないことが山形市の県庁所在地につながりました。
そして、私があらためて申し上げたいのは、「歴史には多様な見方があって良いことを・・・」です。
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