おきたまラジオNPO法人・だがしや楽校・ひとりごとダイアリー

 

2017年11月19日(日曜日)福島県棚倉町の天気:晴れ時々曇り

【棚倉だがしや楽校】
 “だがしや楽校楽縁祭”(以下『棚倉だがしや楽校』と表記します)が福島県棚倉町の棚倉町文化センターにて、11月18日・19日の2日間にわたって開かれました。私(山口)ですが、11月18日は所用がありましたので、きょう(11月19日)に2日目を見学・取材しました。

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 福島県東白川郡棚倉町・・・実は私にとって初めての訪問です。はたして、どんなところなのでしょう。
 事前に調べて、東北自動車道の白河インターチェンジから約30分ほどで着くのではないか、と予測しました。また、棚倉町までの道路はほぼ平坦で、そんなに苦労しないのではないか、とも予測しました。実際には予測通りで、思ったより早く、午前9時前には棚倉町に着きました。山形県米沢市を発ったのが午前5時45分、途中で朝ご飯を食べたりしましたので、実際の移動時間は2時間30分ほどです。距離も150kmあまりで、鶴岡より少し遠い程度です。意外に近かったです。

 少し余裕が出ましたので、町の中を散策しました。事前に調べて、一番の見どころと思われる棚倉城跡に行きました。このあと“棚倉だがしや楽校”でお会いした地元の人たちも、みなさんが棚倉城跡を真っ先に挙げました。

  

 上と下の4枚の写真が棚倉城跡です。市街地のほぼ中央に位置します。長方形ですが、お堀がしっかり残っています。噴水もあります。落葉が進み、紅葉もおしまいでしたが、それでも、名残の紅葉を楽しむことができました。お堀は立派ですが、お堀の内側は、下の写真右のとおりで、ちょっと寂しいです。

  

 地元の人たちの話によりますと、棚倉とは、米の「種の倉」から来た言葉です。一時は上杉家も支配しましたが、その後の情勢で、徳川との関係となります。
 棚倉城は、2代目将軍・徳川秀忠が丹羽五郎左工門長重に命じて(「徳川秀忠に許可を得て」という説明もあります)、築城したものです。寛永2年(1625年)のことです。ここは近江神社があった場所ですが、長重はこの地が最適であるとし、神社を移して、築城しました。
 棚倉城は、上杉など東北地方の大名の監視役という意味があったそうです。
 しかし、長重は寛永4年(1627年)に白河藩に移封されます。そのあとは近江山城からの内藤豊前信照が城主となります。その後も城主は変わり、16人が城主となりました。最後の城主は阿部美作守正静です。正静は慶応2年(1866年)に6万石で入封しました。しかし、それから2年後の慶応4年(1868年)、棚倉藩が奥羽越列藩同盟に加盟したため、戊辰戦争にて、板垣退助の率いる新政府軍800名の攻撃を受け、6月24日、わずか1日で落城しました。

 棚倉城は「亀ヶ城」とも言います。これは、濠に大亀が棲んでおり、浮かび上がって姿を見せると決まって殿様が転封になるという言い伝えからです。

 現在の棚倉町は、人口が13000人あまりです。福島県南部に位置します。阿武隈山地の中というイメージですが、中心市街地は山々に囲まれるも、周辺は結構平坦な土地が広がります。
 バイパス沿いには、大型の家電量販店などがあり、意外に活気づいています。スーパー(ヨークベニマル)もかなり大きいです。
 市街地の中心を通る道路は、城下町らしく、途中で曲がったりしますが、地元の人は「昔のままの道が残っています」と言います。棚倉町にも「あらまち」があります。「新しい街」という意味があるそうです。調べますと「新町」がありました。
 下の写真右は、その「新町」付近での撮影です。下の写真左は、棚倉城跡から中心市街地方向を撮影したものです。

  

 棚倉町は、公式に「小京都」に指定されています。つまり、棚倉町は「全国京都会議」に加盟しているのであります。「全国京都会議」は京都市を含む26市町により、1985年(昭和60年)に結成されました。「小京都」の条件は、「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業と芸能があること」の3つです。福島県は棚倉町だけです。山形県はありません。
 棚倉町は、この地域では早い段階から「町」となっている歴史ある町です。

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 そんな棚倉町で“だがしや楽校”が開かれるようになったのは、福島県内で行われた松田道雄氏(だがしや楽校発案者:尚絅学院大学エクステンションセンター長)の講演を聴講し、棚倉町として共感したことがきっかけです。棚倉町では地域の人たちの活動や作品を「みせあう」文化祭が開かれていました。“だがしや楽校”の「自分みせ」とつながったわけです。
 “棚倉だがしや楽校”は今回が3回目です。“棚倉だがしや楽校”は各地のだがしや楽校仲間が集うことが特徴です。今回も、山形県からは鶴岡市など、宮城県からは名取市や川崎町など、東京都からは杉並区、福島県からは会津坂下町など、神奈川県からは綾瀬市など、各地からだがしや楽校仲間が集いました。

 それでは、第3回“だがしや楽校楽縁祭”の模様をご紹介します。事務局は棚倉町文化センター(生涯学習課) 生涯学習係です。2日目は、午前10時から正午までの開催です。

 会場の棚倉町文化センターは、市街地の東側郊外にあります。立派な施設です。周囲にはルネッサンス棚倉(リゾートスポーツプラザ)や総合体育館があります。近くにはフルコースを備えたゴルフ場もあります。
 駐車場では“米まつり”が開かれていました。

 入口前では、香ばしにおいがします。南三陸町歌津地区から漁師さんたちがやって来ました。鶴岡との縁で参加することになりました。先月(10月)の鶴岡(山王ナイトバザール)に続く“だがしや楽校”参加です。きょう(11月19日)はサンマを焼いています。ホタテは前日で完売したようです。

   

 会場に入ると、上の写真右のとおり、大にぎわいです。
 今回は地域ごとにおみせをご紹介します。

 

▼東京都杉並区
 10月に続いてThさんと再会です。さらにNkさんとも再会です。数年ぶりです。このような再会ができただけでも非常に嬉しいです。杉並も西東京も“だがしや楽校”は今でも続いているそうです。良かったです。

  

 すぎなみ大人塾の人たちが、たくさんのおみせを開いています。手芸コーナー、エコ紙パックを作ろう、アロマクリームのワークショップ、エコーマイクで遊ぼうなどです。
 上の写真中は“はらださんの科学縁日”です。はらださんは2年前の大人塾に参加しましたが、このような活動は20年前からやっているそうです。大ベテランです。大人塾では、はらださんが先生になったことも・・・。だから、このおみせだけ“はらださん”の名前を冠しています。

  

 正午をすぎて、ひとりの人が「とても楽しかったです」と言っていたのが印象に残りました。 

 

▼音楽会

  

 このおみせも杉並区ですが、特別扱いで別枠にしました。
 ギターを抱えているのが空野大さん。福島県会津美里町出身のシンガーソングライターです。現在の活動拠点は東京ですが、月1回は福島で演奏します。2015年は自転車で日本一周しました。6曲収録のCDを発表していますが、6曲目には故郷への思いを込めた“ふるさとへ”を収録しています。でも、ほかには元気になる曲などいろんな作品を収録しています。
 もう一人は出会(であい)ユキさんです。本名です。めずらしい名前です。和歌山県串本町出身の作曲家です。「水の組曲 Op.10」というCDをリリースしています。将来は吹奏楽での作曲家を目指します。
 2人は学生時代の知り合いです。きょうは2人で音楽会を開いています。
 どういうわけか“365歩のマーチ”を演奏します。元気を届けたいからです。
 気になるのは出会さんのパフォーマンスです。お笑いタレントを目指した方が・・・。楽しいキャラです。

 

▼神奈川県綾瀬市

  

 女性のCさんにお聞きしました。1年前の“棚倉だがしや楽校”にも参加しました。
 綾瀬市での“だがしや楽校”は、1回目が昨年(2016年)12月、2回目は今年(2017年)6月開催しました。40ほどのおみせがあり、大勢の人が参加し、盛大な“だがしや楽校”でした。Cさんは「綾瀬市では子どもたちが自由に来ています。棚倉は親御さん同伴です」と言っていました。
 Cさんは“よみがえり♡Heart”という活動も行っています。これは、自分は家庭で眠っているものをよみがえらせる活動ですが、心もよみがえらせることにも通じています。

 

 このあとは東北地方からのおみせをご紹介します。

  

▼尚絅学院大学
 だがしや楽校発案者である松田道雄氏が勤める尚絅学院大学について簡単にご紹介します。
 所在地は宮城県名取市ゆりが丘4-10-1です。東北自動車道・仙台南インターチェンジから仙台市内へ向かいますと、名取市へ向かう道路と交差しますので、右折して名取市へ向かいます。そこから数百メートルでまた右折です。ここはゆりが丘です。尚絅学院大学は、ゆりが丘団地の南側に位置します。
 鶴岡の阿部さんが「キリスト教系の大学」と説明するように、元々は1892年に尚絅女学会としてスタートしたものです。これは、アメリカのバプテスト派婦人外国伝道協会から遣わされたミス・ミードをはじめとする女性宣教師たちによる伝道活動の中からはじまった教育機関です。開校当時はキリスト教の信仰と女性の教養を授ける普通科と伝道婦人養成のための聖書科を設置しました。
 その後の変遷を経て、尚絅学院大学として開校したのが2003年です。運営は学校法人尚絅学院です。熊本の尚絅大学とは、まったく関係なしです。敷地内には礼拝堂があるそうです。
 学部・学科は、総合人間科学部として、表現文化学科、人間心理学科、子ども学科、現代社会学科、環境構想学科、健康栄養学科が設置されています。
 大学にはいくつかの研究機関・施設があります。その内のひとつがエクステンションセンターです。エクステンションセンターは、地域との連携を目的に、地域貢献・生涯学習・ボランティアに関する事業を行っています。松田氏はエクステンションセンター長です。

 

▼宮城県陸前高田市

  

 女性のNcさんにインタビューしました。
 きょうは、“朝日のあたる家”の紹介と、仮設住宅で暮らすおかあさんたちの手芸品を紹介しているおみせを出しています。
 “朝日のあたる家”は、震災で地元の人たちが集う場が失われたため、NPO法人が開設したものです。NcさんはNPO法人のスタッフとして活動している傍ら、個人のボランティア活動として仮設住宅をまわっています。それが“Home of Wisdom”です。
 陸前高田では、商店街などが復興している一方で、仮設住宅で暮らしている人は、まだまだ数多くいるそうです。

 

▼宮城県川崎町

  

 おみせの人に聞きました。
 川崎町が尚絅学院大学と地域包括協定を結んでいる由縁で参加しました。普段は地域おこし協力隊で活動しています。仙台市出身です。自然に恵まれた川崎町を発信し、仙台との架け橋を築きたいそうです。
 上の写真左は“こんちゃくの唐揚げ”です。その昔、川崎町もこんにゃくの産地でした。

 

▼福島県会津坂下町
 ここでもSさんたちと再会を果たしました。それも数年ぶりです。感激するほどの嬉しさです。

  

 新聞紙エコバッグ作り、着付けコーナー、会津名物“こづゆ”コーナーです。
 会津坂下町の“だがしや楽校”は、小学校閉校の関係もあり、規模は小さくなりましたが、現在も続いています。

 

▼山形県天童市
 ストレッチングアドバイザーのTさんがおみせを出しています。健康に関する情報を提供しているほか、天童市のPRにも努めていました。

 

▼山形県鶴岡市

  

 子どもたちを中心に十数名で棚倉町に来ました。
 阿部さんによると、鶴岡を発ったのは昨日(11月18日)の午前4時30分だそうです。子どもみせ、プラバンなど楽しいおみせがいっぱいです。

 

▼棚倉町

  

 地元の人たちもたくさんのおみせを出しています。押し花、昔遊び(コマ・けん玉など)、体験コーナー(クリスマスツリー・ブレスレットつくりなど)です。下の写真中は、スタミナおにぎりとえごまおにぎり販売です。地元の人手作りです。

  

 地元の人たちとは、おみせの内容もですが、とにかく棚倉町についてお聞きしました。みなさん親切・丁寧に教えてくださったのが印象に残りました。

 

 このほか、周囲では茨城大学による天文に関するおみせなどがあったほか、同時開催の文化祭では書道展などいろいろな催しが行われていて、広い駐車場が満杯になったほどです。

 遠征した甲斐があったと感じるほど、とにかく楽しいひとときを過ごすことができました。
 これまでは縁もゆかりもなかった棚倉町でしたが、一気に思い入れのある町になりました・

 

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