おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2018年6月25日(月曜日)晴れ浮かぶ

【One Coin 地域力 カフェ】
 平成30年度 第1回“One Coin 地域力 カフェ”(主催:地域力共創推進コンソーシアム)が山形市内(山形市総合福祉センター3F 会議・研修室2)で開かれました。
 はじめに、主催者より発表されている概要をご紹介します。

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◎テーマ
 短歌を通して語る“教師人生37年”

◎内容
 今年3月15日の山形新聞に、山形市立第九中学校卒業式に臨み、佐藤校長が生徒一人一人に短冊に短歌を詠み、教室で手渡している写真と紹介記事が掲載されていました。
 この3月末で退職され第二の人生を歩まれている佐藤紀之さんに教師人生を振返って貰い、“教師人生37年”~ 短歌から見えてくる教育現場のシーンの数々~ として紹介して貰い、参加者と一緒にトークインするカフェとなります。

◎話題提供者・・・前山形市立第9中学校校長:佐藤紀之さん

※ 佐藤さん提供の資料はこちらこちらをご覧ください。佐藤さんが教師人生の中で詠まれた短歌が、時を追って、数多く紹介されています。

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 佐藤さんの話の内容については、資料をご覧願います。短歌との出会い(寺山修司と志田周子がきっかけ)で詠んだ短歌から、教員生活を終えるにあたって詠んだ短歌が紹介されています。

 佐藤さんは、中学校の校長という多忙であり重責を担っているお仕事に携わっていたにもかかわらず、“One Coin 地域力 カフェ”には幾度となく参加してこられました。それだけでも、私が持っている教育者(学校の先生)へのイメージを覆すものでした。
 さらに、後半のトークインで感じるのは、地域の人たちの話を真剣に聴かれ、地域とのつながりを大切にしていることでした。

 そのことを実践してきたのが“よのなか科”の授業です。第9中学校の“よのなか科”の授業は、ゲーム感覚で思考・判断・表現力を育てようとする(社会人として考える力を養う)佐藤校長の授業でした。校長在任中、最後の“よのなか科”の授業は、今年(2018年)3月9日に行った「ゴムと地球とあなたの関係~付加価値について考える~」をテーマにしたものです。それは・・・世の中は常に「こんなものがあったらいいな」という人を必要とする。授業では「今までなかったもの」についてアイディアを出し合い、AIやロボットに負けない「考える」楽しさを分かち合う。正解が1つではないからこそ、思考・表現・判断力を養える、ゲ-ム感覚で、ブレー ン・ストーミング、プレゼンテ-ションする学習・・・という内容でした。

 「教育」と言いますと、私はどうしても引っ掛かるものを感じてしまいます。
 物事によっては、確かに「正解が1つ」のものはあります。一方で、「正解が1つでないもの」もあります。ところが、「正解が1つでないもの」でも「正解は1つ」と教え込もうという風潮があるのではないか、と感じるのです。
 特に気がかりなのは「故郷を愛する心」や「愛国心」を(なんとかの視点で)育てようという動きです。「故郷を愛する心」や「愛国心」は、言うまでもなくとても大切なことであります。しかし、これは他人が押し付けるものではありません。私たち大人が、子どもたちにとって故郷や国を愛することができる故郷をつくることが先決なのです。それが国を愛する心につながるのです。
 毎日テレビや新聞などで伝えられるニュースで、イヤな思いをしたり、あるものに対して不信感を募らせたりする人が多いという現状を差し置いて、少なくても私は「故郷を愛する心」や「愛国心」を子どもたちに伝えることはできません。まずは自分自身を戒めなければなりません。
 こうした視点でも、佐藤さんの“よのなか科”の授業は、今の教育現場では貴重なものだったと思います。

 ある参加者の方が「“education”を“教育”と訳するのは間違い・・・と福沢諭吉らが言っています」と発言されました。すなわち、“education”とは本来「可能性を引き出す」という意味なのに、「教え込む」という“教育”に訳してしまった、というのです。これも「日本の教育とは」を示す事例です。
 もちろん、子どもたちに伝えるものはあります。教えなければ、子どもたちがわからないことはあります。要はそのバランスです。佐藤さんも「バランス」と言います。
 しかし、そのことがわからず、なんでも教え込もうとする教育が行われています。だから、いじめが生じたり、不登校となる子どもたちがいるのです。いじめの根本原因は・・・それは大人にあります。
 なお、子どもたちの「可能性を引き出す」ために、子どもたちは納得するまで「教える」という教育があることもご紹介します。それは例えば、特性の強い子どもたちへの配慮になります。だから「教え込む」を単純に否定してはなりません。

 最後の卒業式での校長としての佐藤さんの挨拶が紹介されました。
 そこでの佐藤さんは、原稿を見ることなく、にもかかわらずかむこともなく、淡々と、しかし熱く自分の思いを語りました。これだけでも、感じることが多々あります。
 式典での挨拶では原稿を読む・・・これが日本です(日本の習慣だそうです)。でも、このような挨拶で、ほとんどに人は、睡魔に襲われたという経験をお持ちでしょう。
 少なくても私は、佐藤さんのように完璧ではありませんが、そのことを意識します。原稿を作ることもあります。しかし、それは自分が申し上げたいことを整理するためのもので、自分の頭に染み込んでいないことを話すのは、失礼にあたります。
 そして、もうひとつは、人にはいろんな生き方があることを語られていたことです。これも「正解は1つでない」ことに共通します。

 短歌は(字余りというのが存在するかはわかりませんが、基本的に)文字数が決まっています。それはある意味、型枠に縛られているようなものです。型枠に縛られることが大嫌いな私には、短歌は縁遠い存在です。
 ところが、これは大きな勘違いです。文字数が決まっているからこそ、言葉の無限の可能性を引き出しているのです。ある参加者からも、言葉の思い付きに感心する発言がありました。私などはその典型で、とても言葉を思い付くことができません。これは、脳ミソが硬直している証しです。
 何によって脳ミソでの柔軟さを発揮できるかは、人それぞれです。私の場合は、新たな音楽(最新の洋楽)を聴いては、感性を刺激することではないか、と思っております。

 アメリカ・ニューヨークへ2週間ほど滞在したことがあるという佐藤さん。
 そこから、参加者とのトークインでは、アメリカと日本との教育や文化の違いについての話になりました。
 そこで、私は1週間前に殺害された20歳の男性ラッパー“XXXTENTACION”を取り上げ、十数件の罪に問われる一方で、アルバムチャートで第1位にランクされるなど音楽作品に対しては、良いものはしっかり評価するというアメリカ文化を紹介しました。そのことについて、帰り際に佐藤さんから「感動しました」という言葉をいただいた時には、素直に嬉しかったです。

 後半は、参加者とのトークインでしたが、あらためて“One Coin 地域力 カフェ”の良さを感じました。
 佐藤さんの話から感じたことを3項目にまとめながら話す参加者、ある問題を問いかけながら佐藤さんとコミュニケーションを図った参加者、自分の活動と佐藤さんとの関わりを紹介する参加者など、それぞれが自分が行っていることや、あるいは自分の思いや考え方に基づいて話されていたのです。参加者同士「共通点はない」と言ってもいいでしょう。それなのに、なぜか、一人ひとりの話に引き込まれてしまいます。
 初めて参加された方が、同じような感想を持たれました。
 こういうミーティングって、意外にないと思われます。
 本当の意味での異業種交流のヒントが、ここにあります。

 

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