おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー
2018年7月4日(水曜日)曇り 日中一時薄日差す 朝や午前中及び夕方などで小雨や弱い雨降る
【東北一周徒歩の旅】
6月28日、鶴岡市・阿部久書店の阿部等さん(NPOやだがしや楽校仲間です)から電話が入りました。内容は「東北地方を行脚している人が鶴岡に来ています。このあと米沢へ向かうそうなので、米沢に着いたら、面倒みてください」というものでした。このあと電話は本人が出ました。本人は「秋月と言います。1週間から10日で米沢に着くと思います。米沢では市内の高校を訪ねることになっています。米沢に着いたら連絡します」と言います。
阿部さんからの話なので信用できますし、本人の声からは誠実さを感じましたので、私は「わかりました」と言いました。とは言え、「面倒みて・・・」と言われても、実際どのように対応したら良いのか・・・、あるいは「いつ米沢に到着するのかな・・・」と思ったりしますと、ちょっとは不安でした。
昨日(7月3日)夜、本人から電話がありました。「赤湯(南陽市)にいます。今夜はここに泊まります。そして、明日(7月4日)の午後3時頃、米沢に着くと思います」という内容でした。礼儀を感じました。これで、かなり安心しました。ただ、固定電話からです。宿の電話を借りたのでしょう。携帯電話を持っていないことが、ここで推測できました。
そして、きょう(7月4日)です。
午後3時すぎ、電話がありました。「米沢市松が岬にいます。これから宿を探します」というものでした。いろいろ聞きますと、宿は本人が探すもの(が行脚のルール)と思いましたので、「宿が決まったら連絡ください」と申し上げました。
午後5時前、電話がありました。「宿が決まり、その宿にいます。場所は明日(7月5日)話すことになっている高校の近くです。このあと、その高校の関係者と食事をすることになりました。山口さんもご一緒にいかがでしょうか」というものでした。避難者支援センター“おいで”に滞在していた私は、自宅に戻ってから宿へ向かうことにしましたので、「40分後くらいには宿へ行きます」と言いました。
午後6時前、宿に着きました。
やがて、本人が来られました。秋月謙一さんです。お姿は右の写真をご覧ください。左が秋月さん、右は私です。写真は会員制居酒屋“結”にて撮影したものです。このお姿からも文明の利器は持っていないことがうかがえます。履き物も同様です。思っていたとおりの方に感じました。
宿のフロントで、しばらく談義です。
秋月謙一さんは神奈川県厚木市で“秋月塾”を主催しています。これまでも全国を歩いて旅していました。今回は、東日本大震災から7年が経過したのを機に、東北地方を歩くことにしました。自分の目で被災地の現状を知ることが目的です。加えて、東北地方の地理や歴史を見聞することも目的です。移動の手段は、徒歩以外に考えられませんでした。
山形県に入りますと、地元の人との交流ができるようになりました。それまでは無かったことです。酒田はStさん、鶴岡は阿部さん、山形はHさん、昨日の南陽市はSnさんです。秋月さんは、そのことを大変喜んでいる様子でした。
やがて、高校の先生が来ました。そして“結”に向かいました。“結”では先生たちとの談義だけでなく、NPO法人 With 優 の代表・白石さんにも秋月さんを紹介しました。
今回の東北一周は、4月2日にスタートです。渋谷で泊まり、翌日は浅草・・・。その後は、福島県の中通り・浜通りを歩きます。原発への思いがあります。宮城県では数日間、南三陸で復興手伝いを行います。
岩手県では陸前高田にも立ち寄ります。私(山口)が3月に陸前高田へ行っていたことで、話が盛り上がります。巨大な堤防、大規模なかさ上げ・・・それは何のため?。本当の復興とは?
青森県から函館に渡り、青森県に戻って、秋田県に入ります。山形県入りは6月22日です。いただいた行程には、芭蕉の句が記されています。秋月さんは、日本書紀を読み、能を演じます。能を伝承する心得もお聞きしました。
山形県は、遊佐町・酒田市・鶴岡市・羽黒山・清川(庄内町)・新庄市・尾花沢市・東根市・山形市・南陽市(赤湯)を経由して、米沢に来ました。
秋月さんとの談義で感じたことがいくつかあります。
まずは、物事の本質です。
先に「本当の復興とは?」と紹介しましたが、これもそのひとつです。それは「教育」でも同じです。「歴史」の伝え方も同じです。「歴史」はなぜ学ぶのか、それは「過ちを繰り返さない」ことです。ところが、機械的に「○○年には×バスがあった」と教えたのでは、本当の意味での勉強にはなりません。歴史への偏った見方があるのも、そのためでしょうか。
教育についても感じました。秋月さんがアメリカの学校で体験したことです。何も悪いことをしていないのに最低評価でした。先生に聞いたら、「自ら動かなかったでしょ」という答えでした。自ら動き、その上で先生とのやり取りを行うことで、評価されるわけです。
私(山口)は「なるほど」と思いました。そして、食事で同席した先生方に「最低評価についてどう思いますか」と尋ねました。この意味は「自ら動くことができない人もいるのです」ということです。
それは、アメリカの学校(※注1)を否定するものではありません。ただし、教育とはそれだけではない、ということです。
※注1:先日、ある方は「日本は教え込む教育。アメリカの教育はひとりひとりの力を引き出す教育」と言っていました。
とにかく重要なのは、多様な見方・考え方ができること・認め合うことです。それによって、物事の本質が見えてきます。でも、そういう学びを体験しない人たちは・・・と思うと、かなり心配ですし、恐ろしいです。
秋月さんの徒歩の旅は「本質・本当を探す旅」と感じました。
旅がこれからも無事に続き、元気に厚木へ戻られますことを、心よりお祈り申し上げます。お元気で・・・そしてまた米沢にお越しいただきたいと思います。
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