おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2018年11月16日(金曜日)晴れ 午後以降晴れ浮かぶ

【One Coin 地域力 カフェ】
 平成30年度 第3回“One Coin 地域力 カフェ”(主催:地域力共創推進コンソーシアム)が山形市内(山形市総合福祉センター3F 会議・研修室2:山形市城西町2丁目2−22)にて開かれました。
 はじめに、今回の内容(概要)を主催者発表のものでご紹介します。

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《テーマ》
 東日本大震災から7年、『復興』や『防災』を考える
  〜「復興ボランティア支援センターやまがた」の取り組みより〜

《内容》
 東日本大震災と原発事故から(2018年)11月11日で7年8ヶ月が経過しましたが、次第に震災の記憶も薄れ、過去の出来事になりつつあります。しかし、山形県内には現在も約2,000人の方々が避難生活を送っており、人知れず不安や悩みを抱えて暮らして方がいるのも現実です。一方、報道では、被災地の復興が進んでいるように報じられていますが、被災地によって様々な実情を抱え、特に原発事故があった福島県は、帰還率の低下やコミュニティの崩壊、見えない放射線の不安など様々な課題が残されています。 加えて今年は、西日本豪雨、台風、そして北海道での地震など、自然災害が頻発しており、様々な災害支援活動に震災の教訓が生かされたのか検証する機会が必要なのかもしれません。
 そこで、山形県の避難者支援において中核的役割を担い、避難者向け情報誌の発行や、支援者間の連携支援などの活動を行ってきた「復興ボランティア支援センターやまがた」の結城健司さんに、県内避難者・被災地の現状や課題についてお話していただきます。
 みんなで『防災』や本当の意味の『復興』について考えてみませんか。

《話題提供者》
 復興ボランティア支援センターやまがた事務局 結城 健司さん
   話題提供者情報:http://kizuna.yamagata1.jp/

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 実は、結城さんに話題提供者をお願いしたのは、私(山口)です。
 結城さんは、復興ボランティア支援センターやまがたの事務局として、“支援者のつどい”を開催したり、今年度(平成30年度)は“支援者研修”を開催したりして、私も日々大変お世話になっています。しかし、振り返って考えた時、結城さんの思いをじっくり聴く機会は、これまでまったくと言って良いほどありませんでした。多忙な毎日を過ごしている結城さんだからこそ、持っている情報もたくさんあるはずですが、そうしたことを聴く機会もありませんでした。私が復興ボランティア支援センターやまがたにお邪魔した時には、談義の中で、断片的に話を聴くことはできましたが、ここに来て、一度結城さんの話をじっくり聴きたいと思ったのであります。
 私のお願いに、多忙な結城さんは快く引き受けてくださいました。それだけでもありがたいことです。そして、とても楽しみにしていたのであります。

 そして迎えた本日(11月16日)の“One Coin 地域力 カフェ”。
 結城さんの話を聴いていく内、私はただただ頭が下がる思いになりました。小さなミーティングにもかかわらず、数多くの資料を準備されてきたからです。しかも、内容が「目から鱗が落ちる」ものだったのであります。私は脱帽しました。

 そのひとつは、避難者ニーズの変化を、年ごとにまとめた資料です。
 結城さんは、話題提供するにあたり、復興ボランティア支援センターやまがたに残っていた電話メモをチェックしました。そこには、避難者からの声が記録されていました。その声を整理し、キーワードにしてまとめました。抜粋でご紹介します。

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2011年
◆物資ニーズ
 避難所:水、食料(あたたかい食べ物)、ふとん、冬服、肌着、おむつ・粉ミルク・タオル
      →ミスマッチが多かった
 平 時:住まい、家電(冷蔵庫・洗濯機・掃除機・テレビ)、子供服、ランドセル、学用品
      →退去時処分で困ることもあった
◆支援ニーズ
 被災地:ボランティア(がれき除去・泥かき・物資の仕分け・・・)ボラバス
 県 内:民間住宅への引っ越し、子供の転校、通院、ペット、地理や言葉がわからない
      →被災地は個人・団体のボランティア・ニーズのマッチングに苦労した

(略)

2016年〜2018年(震災6〜8年目)
◆支援ニーズ
 県 内:定住・帰還、みなし仮設等撤去、生活困窮者への支援・当事者団体・支援団体の減少
      →相次ぐ避難指示解除、帰還政策が本格化

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 意外にも、こういう内容を、時系列にまとめたものは、少なくても山形県内にはないと思われます。これまでにも、山形県の避難者支援について、まとめた冊子が発行されたことはあります。これはこれで、貴重な情報資料だったのですが、内容は、山形県内の避難者支援に携わる(関わる)団体を紹介(列記)しているだけのもので、避難者の状況・ニーズ、それに対する支援側の状況・活動内容について、時系列で紹介したものはありませんでした。従って、山形県に於ける避難者支援について、検証できる材料は無かったのであります。
 避難者に於ける状況・ニーズは日々変化しています。よく言われるのが「ニーズの複雑化・多様化」です。一方、支援側も状況は変化しています。米沢の“お茶会・きっさ万世”のように、今もって続けているものもあれば、いつの間にか活動が終わっているものもあります。活動内容が変化しているものもあります。変化とは、例えば、開催頻度が、毎週→毎月1回、毎月1回→年数回に変わったものです。山形県外でのことですが、保養のニーズがあるにもかかわらず、「区切りが付いた」という理解し難い理由で、保養支援を打ち切った例もあります。
 このような背景から考えても、避難者支援については、時系列でまとめることは非常に重要なことです。
 そういう意味で、結城さんが作られた資料はとても意味があります。

 参加者からも、同様の感想がたくさん出ました。
 結城さんは話題提供の中で「山形県の避難者支援は、全国的にも高く評価され、注目されています」と話されました。確かに、そのとおりです。それは、行政、社会福祉協議会などの関係機関、NPOやボランティア団体など民間の支援者が連携しているからです。やまがた避難者支援協働ネットワークが設立されていることもそのひとつです。復興ボランティア支援センターやまがたが開催している“支援者のつどい”に県外からの見学者が訪問していることもその証しです。
 一方で、ある参加者からは「県外の人から『山形県ではどのような支援活動が行われているかわからない』と言われたことがあります」という発言がありました。ここは、私も含めて、真摯に受け止めなければなりません。そう考えた時、これまでの山形県の避難者支援に関して、伝えている資料は十分ではありません。

 さらにです。別の参加者からは、その団体が行った震災直後に於ける情報の受発信活動についての紹介がありました。これは私も初めて知ることです。すなわち、埋もれている支援活動が、まだまだあるかもしれないのです。それを洗い出すという意味もあります。
 私自身も、これまで行った活動について、正直「十分に伝え切れていない」と思っております。私が行った活動は小さなものですが、「自分では考えられないようなことを行った」という思いもあります。

 もうひとりの参加者は、震災後に山形空港が果たした役割を話されました。
 ここに山形県の重要な位置付けがあります。東日本大震災では「被災3県」という言葉が聞かれます。「被災3県」とは、岩手県・宮城県・福島県のことです。東日本大震災では、青森県や茨城県でも大きな被害が出ました。さらに、それ以外の地域でも、大きな被害や影響が出ました。しかし、3県は被害は、ケタ違いの甚大さです。
 山形県は「被災3県」に隣接します。周囲の県です。この地理的背景から、山形県は、被災地と全国の支援活動をつなぐ「中間支援」を担いました。山形空港はその例のひとつです。

 このように、山形県に於ける避難者支援をまとめる意味は、いろいろあるのです。
 結城さんは「話題提供を依頼されたことで、これまでを振り返ることができました。ありがとうございます」と感謝した上で、「今回の資料を叩き台にしていきたいです」と話されました。
 どのような形でまとめるかは、関係者で検討しなければならないですし、かなり大変なことかもしれませんが、私もできる限り協力したいと思ったところです。

 “One Coin 地域力 カフェ”は、参加者もそうですが、話題提供者も、何かを持ち帰っていただきたい、この場で得たものを今後の活動に生かしていただきたい、という思いがあります。
 そういう意味でも、今回の“One Coin 地域力 カフェ”は良かったと思います。

 

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