おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

2021年11月14日(日曜日晴れ 朝場所により 午前は時々多めに浮かぶ 午後から夜は僅かに浮かぶ

【米沢フルート音楽研究会演奏会】
 第39回 米沢フルート音楽研究会演奏会(チラシの)が米沢市内(アクティー米沢)にて開かれました。
 これは、チラシの裏面で紹介している米沢フルート音楽研究会が、日頃の活動の成果を発表する場として毎年開催している演奏会です。ただ、単なる発表ではなく、テーマを持って、音楽の楽しさ・豊かさ・美しさを伝えたい・知っていただきたい・楽しんでいただきたいという主宰の勝俣さん(米沢市出身のフルート奏者)の思いが込められた演奏会です。
 今年は例年以上にその思いを強く感じた演奏会になりました。それは、私には「鬼気迫る」ほどの熱い思いに感じたのであります。それは、コロナ禍によって、思い通りの活動ができていないことに対する「うっぷんを晴らす」と感じたからです。
 勝俣さん本人は、そこまでに意識は無かったのかもしれませんが・・・。

 演奏会は予定した時間より長くなり、およそ2時間となりました。それは、プログラムの関係もありましたが、曲の合間に解説する勝俣さんの話ぶりから強く感じました。解説では、短調や長調の意味など、学校では教えない音楽の楽しさ・意味合いなどを話されていました。それは、淡々とした話し方でしたが、いつも以上の迫力がありました。それで、解説の時間がいつの間にか長くなっていたのです。
 そこには、活動が制約されたことに対する思いだけではないものを感じました。今の世の中で起きている様々な不条理に対する思いでもあるように感じたのであります。学校教育での音楽の伝え方は、その一例です。

 演奏会のテーマは『調性が描くバッハ、ボワモルティエ、サティの午後』です。元々はサティを中心にしたプログラムだったそうですが・・・。これも、勝俣さんの思いからでしょうか・・・。

 2曲目に、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach:1685年3月31日〈ユリウス暦1685年3月21日〉- 1750年7月28日)の“パルティータ イ短調 BWV1013”を演奏したプログラムも、勝俣さんの思いをヒシヒシと感じました。18世紀における無伴奏フルート独奏曲の最高傑作と言われる作品から、第1楽章のアルマンド(Allemande)と第3楽章のサラバンド(Sarabande)を、森さんが演奏したのですが、私には変拍子にも感じる作品の世界に引き込まれてしまいました。それぞれの演奏時間も10分前後と長く、圧巻のプログラムです。
 この時の20人ほどのお客さんの反応が、微妙に違っていたのも、おもしろかったです。全身で感じている人、ジッと聴き入っている人、睡魔に襲われつつある人など。私の近くの男性は、何度か口から音を発していました。眠気によるものなのか、呼吸に伴う音なのかは、わかりませんが。
 前半のバッハだけで1時間近くかかりました。

 後半も聴きどころ満載です。例えば、ジョゼフ・ボダン・ド・ボワモルティエ(Joseph Bodin de Boismortier:1689年12月23日 - 1755年10月28日)の2曲目、“2本のフルートの為の組曲 ホ短調 Op.22 より”の6曲は、荒木さんの弟さんと勝俣さんのバロック・フルートでの共演です。弟さんの演奏は初めてお聴きしました。見事な演奏に、脱帽です。ちなみに、ボワモルティエ(フランス)は、最初のフリーランス作曲家です。

 エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Érik Alfred Leslie Satie:1866年5月17日 - 1925年7月1日)からは、お馴染み“3つのジムノペディ”を演奏です。1888年のピアノ独奏曲ですが、石井さんのキーボードと勝俣さんのフルートが、Lent et douloureux(苦しみ)、Lent et triste(悲しみ)、Lent et grave(埋葬)の3曲を、穏やかに、情感をこめて演奏しました。
 ただ、記録(ビデオ撮影)の方が、紙の出し入れなどで、ガサガサ音を立てていたのが、同じ活動(仕事)をやっている者としては、気になりました。これは映画館でもマナー違反になります。

 プログラム最後は、サティの1914年の作品“スポーツと気晴らし”からの3曲です。これは21曲によるピアノ小曲集です。楽譜にはサティによる詩的コメントが記されています。きょうの演奏会では、第17曲の「そり」、第20曲「テニス」、第10曲「ゴルフ」を演奏。詩的コメントを押切さんが朗読。演奏は5人です。その中には鎌倉さんのコントラバス・フルートがありました。コントラバス・フルートは初めてです。朗読と相まって、目のさめる思いがしました。
 ちなみに、演奏会のあとでわかったのですが、鎌倉さんは仙台の方でした。勝俣さんの交流の広さをあらためて感じました。

 こうして振り返りますと、単なる発表会ではないことを強く感じます。そして、新発見もたくさんありました。アンコールで演奏したのは、なんと?“花は咲く”でした。

 演奏会後の出演者の方々との談義で、たまたま“だがしや楽校”の話になりました。
 そこで思ったのは、勝俣さんの活動も“だがしや楽校”と言えることです。勝俣さんは大好きな音楽を通じて、人と人とをつないでいるからです。交流の輪は広がるばかりです。そこに集った米沢フルート音楽研究会の皆さんは、演奏を通じて、自分を表現しています。つまり「自分みせ」です。
 私は、失礼ながら、勝俣さんとの関係を「腐れ縁」と言ってしまいました。この「縁」があるのは、勝俣さんが活動を続けているからです。私もそれなりに活動を続けているつもりです。

 今、地域コミュニティの崩壊が問題になっています。被災地や被災者での問題はより深刻です。復興公営住宅での孤独死は、その最たる問題です。
 このことを解決するのは難しいでしょうが、勝俣さんの活動に、そのヒントが隠されています。自分が好きなこと、得意とすることが、コミュニティ形成のきっかけになるからです。
 そのためには、もう1つ考えなければならないことがあります。
 それは「こうでなければならぬ」という固定概念・凝り固まった考え方を捨て去ることです。

 米沢フルート音楽研究会演奏会は来年(2022年)が創立40周年です。

 

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