だがしや楽校ひとりごとダイアリー

 

避難所の子どもたちへの支援活動会津若松市
プラス 会津坂下町・金上公民館訪問

 

2011年4月14日(木曜日)晴れ

《避難所の子どもたちへの支援活動@会津若松市 プラス 会津坂下町・金上公民館訪問》
 福島県会津若松市のNPO法人寺子屋方丈舎(てらこやほうじょうしゃ)。
 不登校・引きこもり・ニートと呼ばれる若者のフリースペース事業、学校に行く行かないに関わらず、地域の子どもたちが環境を通じてコミュニケーションスキルを育む環境教育事業によって、子どもや若者の社会参画を支援しているNPO法人です。

 フリースペースと言いますと、ある特定の子どもたちや若者たちが対象であると見られてしまいますが、そういう型枠を取り払うため、“寺子屋方丈舎”では、地域の子どもたちや若者たちを対象にした事業も展開してきました。野外活動が多いのも特徴のひとつです。
 山形県内でフリースペースやフリースクール事業・活動に取り組む団体との交流がある私は、以前から“寺子屋方丈舎”の活動は承知しており、理事長の江川さんともお会いしていました。

 その江川さんは、福島県でのNPO活動推進にも努めており、“ふくしま県民活動支援センター”(福島市:福島県庁の脇にあります)を運営するNPO法人“うつくしまNPOネットワーク”(郡山市)の副理事長でもあります。
 江川さんは、NPO活動・市民活動に於いて、福島県内では著名な方で、本日立ち寄った会津坂下町・金上公民館の佐藤さん(だがしや楽校仲間です)とも交流がありました。
 江川さんは、3年ほど前から“だがしや楽校”について承知しており、概略はご存じでしたが、金上公民館で“だがしや楽校”を開いていることまでは知らなかったようです。

 江川さんの人的ネットワークは幅広く、“だがしや楽校”として、おもちゃなどの支援物資を、文部科学省・国立教育政策研究所から頂戴した情報をキャッチされました。
 実は“寺子屋方丈舎”では、大震災発生後、早々に“子どもの遊び場づくりプロジェクト”に取り組みます。これは“寺子屋方丈舎”のスタッフを中心に、会津若松市の2ヶ所の避難所で、避難してきた子どもたちが安心して遊ぶことの出来る遊び場をつくる活動です。
 それで、このプロジェクトで支援物資を活用したいと思った江川さんは、去る4月9日、スタッフと2tトラックを鶴岡まで走らせ、支援物資を受け取ってきます。

 この情報が、鶴岡市の阿部さん(だがしや楽校だがしや倶楽部・代表)から私に届きます。
 そこで、“だがしや楽校”の普及を兼ねながら、“寺子屋方丈舎”の取り組み方について、現場で確認することを目的に、きょうは福島県会津若松市へ出張することにしたのです。とにかく、自分の目で確かめないと、気が済まない私であります。

 会津に出掛けるとなれば、当然のことながら、会津坂下町の金上公民館に立ち寄ります。
 きょうは佐藤さんのスケジュールもあり、午前8時40分頃に着きました。朝は早かったですが、快晴でしたので、気持ち良いドライブになりました。
 約1時間、佐藤さんと談義しましたが、何よりお伝えしたいのは、佐藤さんが元気であることです。また、会合のために公民館に集まった地域の人たちも元気でした。
 しかし、風評と自粛で「地域は元気がない」と佐藤さんは言います。みんなで「がんばろう」と言っているのに、蔓延る「風評・自粛」。本当に困ったものです。
 佐藤さんは、「風評・自粛」に歯止めをかけるべく、「がんばります」と話されました。私も精一杯の応援をしたいと強く思いました。

 その後、会津若松市に向かいます。そして、会津若松駅の近くにある“寺子屋方丈舎”を訪ねます。中では、若者たちが活動していました。
 江川さんやスタッフの金子さんと情報交換を行います。私からは“だがしや楽校”普及活動として、“だがしや楽校”での最近の動きなどを紹介し、“だがしや楽校”への理解を深めていただきました。

 さて、江川さんや金子さんからお聞きしたことは・・・

 この2〜3日で状況が一変しました。これまで、体育館で生活していた避難者が、会津若松市内の別の場所に引っ越しているのです。
 地震や原発で、これまでは、とにかく避難することしか考えることができなかった避難者。しかし、ここに来て、生活を考えることができるようになりました。そこで、生活空間を求めて、引っ越されるのです。
 そこで必要になったのが、避難者の実態把握です。市内のどこで生活しているかの調査です。

 “寺子屋方丈舎”でも当初は、避難所(体育館)に設けた遊び場で、子どもたちにおもちゃを渡すことにしていましたが、ここ2〜3日の状況の変化で、方法を再検討することになりました。
 このように、避難者・避難所の状況は、日々刻々と変化します。だから、支援する側も、究極の柔軟さが求められるのです。型枠にはまっていたのでは、とても対応できません。

 というわけで、きょうは、おもちゃを渡すシーンを見ることはできませんが、人数は少なくなったとは言え、体育館には子どもたちが生活しており、“寺子屋方丈舎”の活動も続けていますので、現場を見たい私は、体育館に足を伸ばしました。

写真1:会津若松市の避難所のひとつ、あいづ総合体育館は、会津若松市の市街地・南側郊外にある会津総合運動公園内にあります。
 体育館に入ります。ここでは、スタッフの方たちが、昼食の準備をされていました。

 
写真1                  写真2

写真2・3:“寺子屋方丈舎”が設けた“こどものあそびば”は、体育館入口のすぐ近くにありました。「子どもたちといっしょに遊んでいる」というスタッフのNさんと会いました。
 ここにある絵本やおもちゃは“寺子屋方丈舎”で集めたものです。

 人数が少なくなったためでしょうか、私が訪れた時には、お子さんの姿はありませんでした。そこで、Nさんからこれまでの様子をお聞きしたり、私からはNさんへ“だがしや楽校”について紹介しながら談義しました。

 
写真3                  写真4

写真4:やがて、女のお子さんがやってきて、Nさんに話しかけます。女のお子さんとNさんはお友だちです。信頼関係ができています。でも、女のお子さん、2日後には愛知県に移ります。これが現実です。屈託のない女のお子さんの表情が、私に重くのし掛かります。
 人は「快適な生活ができるのなら、福島から遠くても良いのではないか」と言います。しかし、それは第三者の言葉でしかありません。

写真5:男のお子さんが“こどものあそびば”で遊び始めました。男のお子さんは、楽しく普通に遊びました。男のお子さんとNさんとの間にも信頼関係ができていました。

 
写真5                  写真6

写真6:そこへ、ボランティアスタッフの人たちが加わります。ここでは、みんなお友だちです。

写真7:昼の12時09分、地震です。体育館もガタガタと音を立てて揺れます。会津若松は震度2です。男のお子さん、ボランティアのおじちゃんにダッコしてもらいます。

 
写真7                  写真8

写真8:地震が収まりますと、またみんなで遊びます。小さいけど、世代を越えたコミュニケーションです。ここは、まさに“だがしや楽校”的空間です。

 これで私も、安心して、NPO法人寺子屋方丈舎に託すことができると実感しました。
 一方で、お子さんたちの表情は、脳裏から離れません。子どもたちには、とにかく、がんばらなくても良いから、少しでも楽しく、そして元気に生きていただきたいと願うばかりです。


《おまけコーナー》
 お昼は会津若松市内のお店でいただきました。昨年の“金上いなほ祭り・だがしや楽校”の翌日、金上公民館のSさんに案内していただいたお店です。
 美味しくいただいた後、お店の人(女将さん)から「こんな時に来ていただき、ありがとうございました」という言葉をいただきました。この言葉も、私には重くのし掛かりました。
 大震災以降、このお店でも、お客さんの数が減ったことを、容易に想像できるからです。

 「みんな、元気を出そうではないか!」と呼びかけたいです。

 

企画・制作・編集・文責
山口充夫
だがしや楽校コーディネーター

だがしや楽校