おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー
陸前高田訪問記:2024年2月18日〜19日
2024年2月18日(日曜日)陸前高田の天気:晴れ 夜少し雲浮かぶ 【陸前高田訪問記】 まず、陸前高田市についてご紹介します。岩手県の南東部に位置します。三陸沿岸では岩手県において最も南です。現在の人口は17,000人あまりです。東日本大震災では津波により高田町など中心市街地が壊滅。犠牲者(行方不明と関連死含む)1,761人です。これは石巻市に次いで2番目に多いです。 午前4時すぎ、米沢を発ちました。天気にも恵まれました。休憩しながらも、順調に移動です。仙台市付近では水平線から昇る真っ赤な朝日を見ましたが、チラッと見ただけで、運転に集中しました。登米市付近では霧が発生していましたが、走行には支障なしです。 気仙沼を通り過ぎると陸前高田です。陸前高田長部インターチェンジで三陸道を出て、国道45号で陸前高田に入ります。5年前とはガソリンの消費量が違います。かなり少なくなりました。 写真左が伝承館や道の駅です。左側が東日本大震災津波伝承館、右側が道の駅高田松原です。伝承館のオープンは午前9時なので、少し休憩です。 まずは東日本大震災津波伝承館(いわて TSUNAMI メモリアル)の見学です。上の写真右と下の写真が伝承館内です。撮影可能な範囲で撮りました。伝承館は、歴史をひもとく、事実を知る、教訓を学ぶ、復興を共に進める・・・という4つのゾーンで構成です。それを数多くの展示物をはじめ、動画放映や災害対策室の再現などで伝えています。下の写真左は消防車両、写真中は津波で流出した気仙川に架かっていた橋です。 これらを1つ1つ(すべてを)丁寧に見て回るとなると、相当な時間がかかります。それによって大きな学びになるのでしょうが、私のような脳ミソではパンクしそうです。それより疲れてしまいそうです。一気に観るのではなく、何回かに分けた方が、記憶に残りそうです。でも、遠方の私には、それができません。難しいです。 伝承館と道の駅の裏側(南東側)に向かいます。つまり海側に向かいます。上の写真左の奥が海を望む場、写真右が海を望む場から見た伝承館と道の駅です。このあたりは津波復興祈念公園として整備されました。 海を望む場からの風景をご紹介します。上の写真左は北北東向きで、高田町の中心部方向になります。手前は古川沼です。上の写真右は東北東向きで、右手に高田松原と海が見えてきました。 上の写真左は東南東向き、上の写真右は南南東向きです。松は順調に生育しているようです。 上の写真左は南南西向き、上の写真は西南西向きです。奥に奇跡の一本松が見えます。 高田松原を通って、海の近くに下ります。波の音が間近です。 上の写真が奇跡の一本松です。この周囲も整備されました。上の写真左は西向きの撮影です。一本松の奥にみえるのは気仙町の愛宕下や三本松地区です。この名前は、あとでも出てきます。上の写真右は南東向き撮影です。 下の写真は伝承館の東北東側にある旧道の駅高田松原です。現在は震災遺構タピック45として保存されています。 このあとは高田町の中心部に向かいます。この時間になって、かなり暖かくなりました。2月とは思えない陽気です。国道45号を東北東に向かい(下の写真左)、野球場などがある高田松原運動公園近くで左折し、シンボルロード(下の写真右)を北上です。写真の右側は野球場(楽天イーグルス奇跡の一本松球場)です。 アバッセたかたなどがある中央部に着きました。 写真右はお昼を食べたお店の前にある表示です。これは「一緒に逃げよう」ではなく「てんでんばらばらになっても、とにかく高台へ逃げろ」です。伝承館で学んだことです。三陸地方の言い伝えです。 近くにある陸前高田市立博物館を見学です。久保さんお勧めのスポットです。 中に入ると、ロダンの“考える人”がお出迎えです。噂どおり、大きいです。奥にはもう1つの像です。柳原義達の1977年の作品“岩頭の女:がんとうのひと”です。 ここは旧市立博物館と海と貝のミュージアムを受け継いだ施設です。「陸前高田の豊かな海・山・川・大地、そして、そこに生きる人々の姿・営み」がコンセプトです。それは陸前高田の人たちが大切にする宝です。ここでは、陸前高田を知ることができますし、陸前高田を愛する市民の思いを感じることができます。「大地の成り立ち」から「ふるさとの宝は失われていない」などのテーマで構成されています。それも曲線的な区割りで構成しており、ゆったりした気分で見ることができました。 陸前高田市立博物館の屋上は展望デッキです。ここからの眺めをご紹介します。 上の写真左は西北西向き、上の写真右は北向きです。奥にまちなか広場がみえます。 上の写真左は北北東向きです。アバッセたかたなどがみえます。奥は陸前高田市役所です。上の写真右は東北東向きです。陸前高田市民文化会館奇跡の一本松ホールが見えます。 上の写真左は東南東向きです。右奥はJR陸前高田駅です。しかし、線路はありません。JRはバス高速輸送システム(BRT)を運行しています。 上の写真左は南南西向きです。右側奥の小高い丘に住宅が建ち並んでいます。ここが気仙町の愛宕下や三本松地区です。2回目の登場です。上の写真右は南西向きです。手前はピーカンナッツ畑です。 上の写真は市役所です。写真左は博物館屋上からの撮影、写真右は市役所の北側駐車場で撮影です。5年前の市役所は高田町鳴石に仮設の建物でありました。市役所は7階建てです。その7階には日曜日でも行くことができます。私がそれを知ったのは翌日です。詳しくは明日ご紹介します。 今回の目的地、陸前高田3.11仮設住宅体験館を訪れました。場所は米崎町です。アバッセたかたからほぼ東へ約2.7kmです。海抜は27メートルです。 ここは中学校だったところです。上の写真左が仮設住宅体験館です。校庭の南側です。上の写真右が校舎です。校庭の北側です。左手に体育館があります。震災後、校庭には仮設住宅が建てられました。仮設住宅は次第に増え、校庭を埋め尽くしました。子どもたちは身体を動かず場を奪われました。ストレスを抱えました。 まず、仮設住宅の中を見せてもらいました。下の写真左は居間、写真右はキッチンですが、すぐ脇が玄関(出入り口)です。ここに7人が住んでいました。ほかにもう一部屋と風呂場・トイレがありました。7人ではかなり狭いです。 仮設住宅体験館では、見学、語り部、宿泊研修という3つのメニューがあります。私は見学と語り部を予約しました。見学は無料ですが、語り部は有料です。語り部は、実際に仮設住宅に住んでいた人が、その時の体験談を語るものです。陸前高田は最も早く仮設住宅を着工したところです。3月19日には着工開始、3月30日には第1弾が完成しました。はじめは学校の校庭に建設しましたが、やがて場所が無くなり、民間所有の土地まで借りることになりました。仮設住宅では必ず、代表者、(自治)会長、事務局等の選任を求められました。市からの情報・連絡などを伝える役割を担うからです。支援物資の受け渡しも担いました。 語り部からの話が終わったところで、久保さんと再会です。久保さんは陸前高田グローバルキャンパスでの研修プログラムに対応していました。 なお、陸前高田3.11仮設住宅体験館は先日(2月7日)、震災伝承施設に登録されました。 久保さんたちと別れたあとは、宿泊先のホテルにチェックインです。陸前高田での宿泊は初めてです。5〜6年前は気仙沼市に宿泊していたからです。 最初に向かったお店が下の写真左です。久保さんたちから勧められたお店です。中に入ると、中年と思われるご夫婦がいました。しばらくして、その2人から声をかけられました。私が単なる観光客ではないことを見破られました。 2軒目は、以前から気になっていたジャズカフェ サルーン h. イマジン(上の写真右)です。さぞ堅苦しいお店かなと思ったら、違っていました。私よりさらに年上のマスターは「他人のことなど気にしない。なぜ人は他人のことを気にするのか。そんなの、どうでも良いではないか。自分の生き方だけ考えている」と言います。それを貫くマスター。だからお店は1人で切り盛り。「余計な気を使うことがないので楽しい」と良い、お店は年中無休。1人暮らしを謳歌しています。 2024年2月19日(月曜日)陸前高田午前の天気:晴れで雲浮かぶ 【陸前高田訪問記】 下の写真左が7階です。ここでは奇跡の一本松に関する市民活動を中心に展示しています。コンパクトでとても見やすいです。 一角には、震災前の陸前高田の写真(上の写真中)と2021年4月撮影の写真(上の写真右)が展示されています。震災前では、陸前高田の駅の南側には水田が広がっています。現在の野球場あたりでは住宅などの建物があります。当時の市役所は右側にみえます。2021年4月撮影の写真では手前で空き地が目立ちますが、現在もあまり変わっていないです。 気仙川を渡り、気仙川の右岸にあたる気仙町に入りました。高台に入り、着いたのは下の写真左です。右側は陸前高田市立気仙小学校と気仙保育園です。ここが昨日ご紹介した気仙町の愛宕下や三本松地区です。震災前、ここは愛宕山でした。この山を切り崩し、その土はベルトコンベアで運ばれ、高田町でのかさ上げに使用しました。切り崩したあとは、住宅地として整備され、新たな小学校などがつくられました。 一角に展望できる場所があります。上と下の写真5枚は、そこでの撮影です。ここからの展望は初めてです。気仙大橋、伝承館と道の駅、津波復興祈念公園や奇跡の一本松などが見えます。奥には高田町の市役所なども見えます。下の写真右は少し移動して撮影です。空き地と電柱が目立ちます。右端奥には市立博物館と市役所が見えます。 下の写真左では、右側が愛宕下の住宅団地、左側が三陸道です。写真右は気仙大橋から見た気仙町の愛宕下や三本松地区です。 お昼は再び道の駅高田松原を訪れ、お昼ご飯と買い物をしながら休憩です。 午後は南三陸町に立ち寄りました。志津川インターチェンジを下りて、南三陸さんさん商店街に向かいます。5年前と違って、新たな道路が整備されていました。 下の写真左が南三陸旧防災対策庁舎、下の写真右は祈りの丘から見た震災復興祈念公園です。 下の写真は祈りの丘の頂上です。写真左は名簿安置の碑です。町内の犠牲者804人の名簿が収められています。 1時間近くの滞在でしたが、南三陸町でも風化の防止、防災に関する取り組みが続いていいました。また、南三陸さんさん商店街が健在なのも特筆すべきです。仮設の商店街の多くが、その役割を終えて、無くなっていることを考えますと、なかなか凄いことです。道の駅が白紙になったことも大きいと思います。
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