おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー

 

3月24日:陸前高田市滞在記:1日目

3月25日:陸前高田市滞在記:2日目

 

2018年3月24日(土曜日)陸前高田の天気:晴れで午後少し浮かぶ

【陸前高田市滞在記:1日目】
 岩手県陸前高田市を訪問しました。
 訪問するまでの経緯です。
 2017年11月19日、福島県棚倉町にて“棚倉だがしや楽校:だがしや楽校楽縁祭”が開かれました。“棚倉だがしや楽校”には、東京都杉並区、神奈川県綾瀬市、宮城県川崎町、福島県会津坂下町、山形県鶴岡市、そして地元・棚倉町など各地から多くの人が集い、おみせを出し合いながら交流を深めました。その中に陸前高田市からのおみせもありました。
 参加したのは、女性のNさんと男性のIさんです。おみせには、地域のおかあさんたちが作った手芸品が並んでいました。その日、私がインタビューしたのはNさんです。Nさんからは、コミュニティハウス“朝日のあたる家”やNさんの活動である“Home of Wisdom”を紹介してくださいました。さらに、春には“おらほアート展”が開かれることも紹介してくださいました。私は調子良く「都合つけば行ってみたいです」と言いました。何か感じるものがあったのでしょう。
 今年(2018年)に入り、Nさんからメールで“おらほアート展”の開催案内をいただきました。私は行くことにしました。このような滅多に機会を逃す手はありません。

 “おらほアート展”とは、陸前高田市や隣りの大船渡市など気仙地域の手芸やクラフト好きな人たちの作品を展示するイベントです。今回が2回目です。主催は“Home of Wisdom”、共催は特定非営利活動法人福祉フォーラム・東北です。また、“朝日のあたる家”での開催は社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団も共催です。
 “おらほアート展”は、作品を展示するだけではありません。本来の目的は、地域の人たちが集い・交流することです。それは、このあとのレポートでわかると思います。

 ところで、東日本大震災後、私が岩手県に入るのは、今回が初めてです。
 米沢を発ったのは午前5時29分です。米沢八幡原インターチェンジで東北中央自動車に入り、福島で東北自動車道に入ります。途中、宮城県の長者原サービスエリアで朝食兼休憩をとり、一関インターチェンジにて東北自動車道を出て、気仙沼へ向かいます。そして、10時30分すぎ、陸前高田市に着きました。天気に恵まれましたので、移動は楽でしたが、やはり遠いです。
 一端、会場のひとつ“アバッセたかた”でNさんにお会いし、挨拶したあと、あの“奇跡の一本松”を見学することにしました。
 というわけで、まずは陸前高田の様子をご紹介します。なお、場所については住所で示しますので、位置関係は住所検索でご覧ください。

 下の写真が“奇跡の一本松”(岩手県陸前高田市気仙町砂盛:気仙川の河口付近)です。現在は周囲が工事中ですので、地元産品を販売する観光物産施設(岩手県陸前高田市気仙町土手影)に駐車して、歩いていきます。1km近い距離があります。

  

 写真左をご覧ください。海は見えません。巨大な堤防のためです。右は震災遺構として残されている陸前高田ユースホステルです。写真右は接近して撮影したものです。

 続いて、陸前高田の中心部に向かいます。
 下の写真左は陸前高田市気仙町奈々切の国道340号です。画面が茶色っぽいです。土埃が舞っているからです。前に見えるのは清掃車と思われます。写真の左端は土が盛られています。

  

 上の写真右は陸前高田市気仙町土手影の国道340号です。奥が海方向です。ここでは作業員が道路の清掃をしています。
 下の写真左は陸前高田市高田町曲松の国道45号です。右が海側です。巨大な堤防に遮られています。左側には盛り土が見えます。下の写真右は少し先(東)へ進んだところです。左側の盛り土が迫ってきました。

  

 ここまでの紹介で、おわかりになったでしょうか。道路に迫る盛り土、土埃が舞って茶色っぽく見えるのは“かさ上げ”によるものです。津波から市街地を守るため、市街地があったところをチョー大量の土を盛って、かさ上げしているのです。その土からの大量の埃で、道路が汚れているのです。どれだけの土なのでしょうか、想像もつきません。さらに見てみます。
 下の写真左をご覧ください。陸前高田市高田町栃ケ沢の国道340号です。道路にのり面があります。これだけかさ上げしているのです。道路の左側は、道路と同じ高さで、ほぼ平らになっています。

  

 上の写真右は陸前高田市高田町です。道路が下り坂です。かさ上げしているところから下っています。ここでの下り坂は2段階です。
 きょうは土曜日です。しかし、工事は行われています。たくさんの工事車両が往来しています。あらためて言います。大量の土です。ここに持ってきたばかりのためか、ならしていないためか、大量の土埃です。そして数多くの工事車両・・・。凄まじい光景です。震災直後の石巻や浪江町請戸の光景を思い出しました。まさに復興途上です。かさ上げ・・・って簡単に言いますが、途方もないことです。なにせ市街地全体をかさ上げするのです。
 地元の人は言います。「毎日変わっています。道路も毎日違っています」と。故郷の風景が変わっていくことについては「仕方ないです」と言います。でも、内心は違うように感じました。

 下の写真は“アパッセたかた”(陸前高田市高田町館の沖1番地)です。かさ上げ地の中心部(市街地の中心部)に完成した大型商業施設です。大駐車場を備えています。

  

 下の写真は“アパッセたかた”に隣接する陸前高田市まちなか広場と商店街です。土曜日ということで大にぎわいです。

  

 でも、整備されたのはこの一角だけで、周りは『かさ上げ大工事中』です。ここに来るには、工事地帯を通ります。道路が曲がりくねっているところもあります。

 “おらほアート展”は、3月21日と22日は大船渡市で開かれ、3月24日と25日は陸前高田市で開かれています。陸前高田市は3ヵ所での開催です。その内のひとつが“アパッセたかた”です。専門店街の一角にある広場(パブリックスペース)です。隣りは陸前高田市立図書館です。

  

 上の写真が“アパッセたかた”の会場です。たくさんの作品が展示されています。団地ごとに展示されています。途中からはワークショップも行われました。手芸やクラフトを通じて交流を深めます。

 2つ目の会場は“陸前高田市コミュニティホール”(陸前高田市高田町字栃ヶ沢210番地3)です。“アパッセたかた”からは北北西へ約1.2kmです。ここがメイン会場と言えそうです。Iさんはここにいました。

  

 エントランスホールにはたくさんの作品が展示されています。凄い数ですし、一つひとつの作品に心が込められています。
 和室では、ワークショップ(下の写真左)が行われていたり、注目の作品が展示されています。

  

 注目の作品とは、神戸市のMさんの作品です。それはまるでおせち料理です。あまりの見事さに食欲をそそられてしまいます。多くの人が感心しながら見入っています。

  

 さらに十段重ねにしますと、側面に“奇跡の一本松”(下の写真左)が現れます。写真がIさんです。地元新聞の記者による取材で、十段重ねを実演しました。

  

 ほかにも神戸市からの展示(下の写真右)があります。“おかんアート”とは「おかあさんのアート」という意味だそうです。

 “おらほアート展”のきっかけは神戸です。阪神・淡路大震災を経験した神戸の人たち(アートに取り組んでいる人たち)が、東日本大震災に心を痛め、陸前高田との交流が始まりました。神戸大学の学生さんも2011年7月から関わりました。それがきっかけで輪が広がりました。今回の“おらほアート展”では神戸から2名が参加し、ワークショップで手芸を教えたりしています。
 作品を出展した地元の人たちは、みなさん「東日本大震災のあとに手芸を始めました。それまでは、まったくしたことがありません」と言います。

 下の写真はKさんの作品です。手前の赤い服がKさんです。津波でご主人を亡くされた方です。Iさんの紹介で、Kさんとしばらく話しました。言うまでもなく、私などは想像できないほど辛い思いをされたでしょう。Kさんは「北海道から個人ボランティアで来られた人からの支えがありました」と言います。それで自身の体験を話すことができるようになったそうです。人とのつながりの大切さを再認識しました。

  

 Kさんの思いを冊子“海の見える丘から”にまとめたのが北海道の人です。第2集は今日中に届くことになっているそうです。

 3つ目の会場である“朝日のあたる家”(陸前高田市米崎町松峰)に行きます。“アパッセたかた”からは東へ約2.5kmです。

  

 中に入りますと、2人のスタッフさんが応対してくださいました。中ではワークショップ(上の写真右)が行われていました。この中に神戸から来られた方(2人)がいます。ここにもたくさんの作品が展示されています。“朝日のあたる家”の脇には公園(下の写真右)もあります。一組の親子が遊んでいました。

  

 3ヵ所の会場を巡って、“おらほアート展”の規模の大きさに脱帽しました。数多くの人の、数多くの作品が展示されていたからです。それも震災後の輪の広がりで作られたものです。3ヵ所とも多くの人が見学に訪れていたことも印象的です。まさに人々が集う場になっていました。
 出展者は、会場ごとに“陸前高田市コミュニティホール”、“アパッセたかた”“朝日のあたる家”です。(会場名をクリックしてください)

 “陸前高田市コミュニティホール”では、作品を出展した地域の人たちとたっぷり交流できました。会場のコミュニティホールに隣接する栃ケ沢アパート(災害公営住宅:下の写真右)に住んでいる人たちです。

  

 会場の和室で「お茶っこ」したり、本日の終了時間である午後4時をすぎても、おしゃべりが続きました。私からは、陸前高田へ来ることになった経緯や“だがしや楽校”などを紹介しました。また、米沢での避難者支援についても紹介しました。
 陸前高田の現状(かさ上げ)について、みなさんは「日々変化しています。道も日々変わっています」と言います。そして、故郷の風景が変わることについては「自分たちは見ているだけです」と言います。それは「仕方ない」という思いにも聞こえます。
 でも、皆さんがとても明るかったこと、イベントを心から楽しんでいたこと、そしてよそ者の私を受け入れてくださったことなど、すべてが印象に残るものでした。

 夕方5時頃、みなさん帰宅します。その時「山口さん!明日も来ますね」と声をかけられます。私は「ハイ!」と言います。すると「でしたら、明日の朝9時に集会所へ来てください。あそこの丸い建物です。そこでラジオ体操をしますので、いっしょにいかがですか」と紹介されます。私は「ハイ!」と言います。
 “おらほアート展”は午前10時スタートです。それまであちこち見てまわろうかな、と思っていたのですが・・・地域の人たちとの交流が一番です。

 では、また明日・・・


2018年3月25日(日曜日)陸前高田の天気:晴れも 朝は多く 日中は薄雲浮かぶ 一時ごく弱い 午後3時以降は晴れ

【陸前高田市滞在記:2日目】
 きょうも市内の様子からご紹介します。
 下の写真左は、陸前高田市高田町中宿の浜磯街道です。道路が微妙に曲がりくねっています。いずれは真っ直ぐになるでしょうが・・・。そして奥には大量の土が盛られています。道路も奥で上り坂です。日曜日で工事はお休みです。

  

 上の写真右は、陸前高田市高田町本宿です。ここは土がならされました。道路も真っ直ぐになっています。将来はここにいろんなものが建設されるのでしょう。ここもきょうは静かです。
 下の写真左は、昨日もご紹介した“陸前高田市まちなか広場”です。ちょっとした運動ができます。そう言えば、近くの別の運動場ではスポーツの大会が開かれています。市内の宿泊所は、選手たちが合宿しているため、どこも満室です。

  

 上の写真右が“陸前高田市コミュニティホール”です。栃ケ沢アパート集会所からの撮影です。立派な建物です。施設内には800人収容のホール(シンガポールホール)があります。コミュニティホールはシンガポール政府からの支援があって建てられたからです。陸前高田市のホームページによりますと、2011年8月、シンガポール赤十字社が創設した“ジャパン・ディザスターファンド2011”から、市内のコミュニティ施設等の整備に向けた支援の申し出を受け、駐日シンガポール大使、達増岩手県知事、戸羽市長の3者間で7億円の建設費用支援に関する覚書を締結したことが始まりです。
 周囲には、陸前高田市の消防本部があります。また、市役所もありますが、市役所は現在もプレハブです。3月16日に閉局した“りくぜんたかたさいがいエフエム”は市役所敷地内の一角にありました。きょう(3月25日)の時点でプレハブ建物はそのまま残っていました。
 災害FMについて一部の方に聞いたところ、「放送を継続するための経費を、陸前高田市としては捻出できないので、放送免許を更新しなかった」と言い、放送内容については「最近は再放送が多かった」と言っていました。「出演したことがある」という女性の人は「おもしろかったよ。市への要望を言うことができたので・・・」と話されました。

 下の写真左が栃ケ沢アパート集会所です。丸い建物です。下の写真右は集会所近くから撮影した栃ケ沢アパートです。

  

 午前9時前、住民の人たちが集まってきました。ラジオ体操です。下の写真がその様子です。いくつかの体操をしたあと、ラジオ体操の第一と第二をしました。私も久しぶりにラジオ体操しました。なんとなく元気が出ます。なんでも、ラジオ体操は毎日朝の9時からしているそうです。もっと暖かくなれば、屋外で行うそうです。

  

 ラジオ体操が終わり、“陸前高田市コミュニティホール”へ移動します。
 まず“陸前高田市コミュニティホール”の展示作品からご紹介します。下の写真左は“まけないぞう”です。説明はこちらです。“まけないぞう”は米沢にもあります。

  

 上の写真右と下の写真左は、震災前の風景です。地元のおかあさんの一人が描きました。上の写真右では、海岸の左に高田松原が見えます。下の写真左が高田松原です。

  

 午前9時30分前には、はやくも数多くの人たちが訪れていました。(上の写真右)
 中には「今朝の新聞記事を見て来ました」という人も複数いました。
 午前10時をすぎますと、大勢の人で大にぎわいです。

  

 引き続き、作品をご紹介します。下の写真左は豪雨災害があった岩泉町の方の作品、下の写真右は神奈川県の方の作品です。

  

 “アパッセたかた”もにぎわっています。下の写真左の右側の人が愛称:ピンクさんです。元気いっぱいの人です。

  

 買い物ついでに見てまわる人もいます。お子さん連れのおかあさんもいます。
 日曜日の“アパッセたかた”は活気があります。周囲の飲食屋さん、昼時には行列ができていました。

  

  午後訪問した“朝日のあたる家”は静かでした。それでも数人の方がいました。 

  

 “朝日のあたる家”には上の写真左のようにピアノが設置されています。ちょっとしたコンサートも開催できます。立派な建物と設備です。社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団からの助成を受けて運営しているそうです。その助成がいつまで続くか、ちょっと気になりました。

 そんなこんなで、3ヵ所を駆け巡っている内、陸前高田に溶け込んだ感じがします。
 “陸前高田市コミュニティホール”に戻ります。終了の午後3時が近づいています。でも、まだまだ大にぎわいです。おかあさんたちのほかに、ボランティアとして、大学生と中学生が参加していました。男子大学生は気仙沼の人です。
 そして、女子中学生ですが、はじめは学生さんと思ってしまいました。落ち着いた話し方で、アートワークについて熱心に語っていたからです。またまた脱帽です。
 陸前高田市では、震災で中学校は統合しました。

 そういうしている内、午後3時を過ぎました。撤収が始まりました。私も僅かですが、高い所の展示品を外したり、テーブルの移動などを手伝いました。本音を言えば、もう少し早く陸前高田を発ちたかったのですが、ここまで来たら、最後までご一緒したくなりました。皆さん、本当に良い人たちです。お友だちになった気分です。感謝の言葉しかありません。

 またいつか来ることを誓いながら陸前高田市を後にしました。それは、みなさんと再会したいからです。そして、まだまだ復興途上の陸前高田を見つめたい、という思いもあります。

 午後5時前、日が長くなったとは言え、夕暮れが近い陸前高田を発ちました。

 

HOME