おきたまラジオNPOセンター・ひとりごとダイアリー
2018年3月24日(土曜日)陸前高田の天気:晴れで午後少し雲浮かぶ 【陸前高田市滞在記:1日目】 “おらほアート展”とは、陸前高田市や隣りの大船渡市など気仙地域の手芸やクラフト好きな人たちの作品を展示するイベントです。今回が2回目です。主催は“Home of Wisdom”、共催は特定非営利活動法人福祉フォーラム・東北です。また、“朝日のあたる家”での開催は社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団も共催です。 ところで、東日本大震災後、私が岩手県に入るのは、今回が初めてです。 下の写真が“奇跡の一本松”(岩手県陸前高田市気仙町砂盛:気仙川の河口付近)です。現在は周囲が工事中ですので、地元産品を販売する観光物産施設(岩手県陸前高田市気仙町土手影)に駐車して、歩いていきます。1km近い距離があります。 写真左をご覧ください。海は見えません。巨大な堤防のためです。右は震災遺構として残されている陸前高田ユースホステルです。写真右は接近して撮影したものです。 続いて、陸前高田の中心部に向かいます。 上の写真右は陸前高田市気仙町土手影の国道340号です。奥が海方向です。ここでは作業員が道路の清掃をしています。 ここまでの紹介で、おわかりになったでしょうか。道路に迫る盛り土、土埃が舞って茶色っぽく見えるのは“かさ上げ”によるものです。津波から市街地を守るため、市街地があったところをチョー大量の土を盛って、かさ上げしているのです。その土からの大量の埃で、道路が汚れているのです。どれだけの土なのでしょうか、想像もつきません。さらに見てみます。 上の写真右は陸前高田市高田町です。道路が下り坂です。かさ上げしているところから下っています。ここでの下り坂は2段階です。 下の写真は“アパッセたかた”(陸前高田市高田町館の沖1番地)です。かさ上げ地の中心部(市街地の中心部)に完成した大型商業施設です。大駐車場を備えています。 下の写真は“アパッセたかた”に隣接する陸前高田市まちなか広場と商店街です。土曜日ということで大にぎわいです。 でも、整備されたのはこの一角だけで、周りは『かさ上げ大工事中』です。ここに来るには、工事地帯を通ります。道路が曲がりくねっているところもあります。 “おらほアート展”は、3月21日と22日は大船渡市で開かれ、3月24日と25日は陸前高田市で開かれています。陸前高田市は3ヵ所での開催です。その内のひとつが“アパッセたかた”です。専門店街の一角にある広場(パブリックスペース)です。隣りは陸前高田市立図書館です。 上の写真が“アパッセたかた”の会場です。たくさんの作品が展示されています。団地ごとに展示されています。途中からはワークショップも行われました。手芸やクラフトを通じて交流を深めます。 2つ目の会場は“陸前高田市コミュニティホール”(陸前高田市高田町字栃ヶ沢210番地3)です。“アパッセたかた”からは北北西へ約1.2kmです。ここがメイン会場と言えそうです。Iさんはここにいました。 エントランスホールにはたくさんの作品が展示されています。凄い数ですし、一つひとつの作品に心が込められています。
注目の作品とは、神戸市のMさんの作品です。それはまるでおせち料理です。あまりの見事さに食欲をそそられてしまいます。多くの人が感心しながら見入っています。 さらに十段重ねにしますと、側面に“奇跡の一本松”(下の写真左)が現れます。写真がIさんです。地元新聞の記者による取材で、十段重ねを実演しました。 ほかにも神戸市からの展示(下の写真右)があります。“おかんアート”とは「おかあさんのアート」という意味だそうです。 “おらほアート展”のきっかけは神戸です。阪神・淡路大震災を経験した神戸の人たち(アートに取り組んでいる人たち)が、東日本大震災に心を痛め、陸前高田との交流が始まりました。神戸大学の学生さんも2011年7月から関わりました。それがきっかけで輪が広がりました。今回の“おらほアート展”では神戸から2名が参加し、ワークショップで手芸を教えたりしています。 下の写真はKさんの作品です。手前の赤い服がKさんです。津波でご主人を亡くされた方です。Iさんの紹介で、Kさんとしばらく話しました。言うまでもなく、私などは想像できないほど辛い思いをされたでしょう。Kさんは「北海道から個人ボランティアで来られた人からの支えがありました」と言います。それで自身の体験を話すことができるようになったそうです。人とのつながりの大切さを再認識しました。 Kさんの思いを冊子“海の見える丘から”にまとめたのが北海道の人です。第2集は今日中に届くことになっているそうです。 3つ目の会場である“朝日のあたる家”(陸前高田市米崎町松峰)に行きます。“アパッセたかた”からは東へ約2.5kmです。 中に入りますと、2人のスタッフさんが応対してくださいました。中ではワークショップ(上の写真右)が行われていました。この中に神戸から来られた方(2人)がいます。ここにもたくさんの作品が展示されています。“朝日のあたる家”の脇には公園(下の写真右)もあります。一組の親子が遊んでいました。 3ヵ所の会場を巡って、“おらほアート展”の規模の大きさに脱帽しました。数多くの人の、数多くの作品が展示されていたからです。それも震災後の輪の広がりで作られたものです。3ヵ所とも多くの人が見学に訪れていたことも印象的です。まさに人々が集う場になっていました。 “陸前高田市コミュニティホール”では、作品を出展した地域の人たちとたっぷり交流できました。会場のコミュニティホールに隣接する栃ケ沢アパート(災害公営住宅:下の写真右)に住んでいる人たちです。 会場の和室で「お茶っこ」したり、本日の終了時間である午後4時をすぎても、おしゃべりが続きました。私からは、陸前高田へ来ることになった経緯や“だがしや楽校”などを紹介しました。また、米沢での避難者支援についても紹介しました。 夕方5時頃、みなさん帰宅します。その時「山口さん!明日も来ますね」と声をかけられます。私は「ハイ!」と言います。すると「でしたら、明日の朝9時に集会所へ来てください。あそこの丸い建物です。そこでラジオ体操をしますので、いっしょにいかがですか」と紹介されます。私は「ハイ!」と言います。 では、また明日・・・ 2018年3月25日(日曜日)陸前高田の天気:晴れも 朝は雲多く 日中は薄雲や雲浮かぶ 一時ごく弱い雨 午後3時以降は晴れ 【陸前高田市滞在記:2日目】 上の写真右は、陸前高田市高田町本宿です。ここは土がならされました。道路も真っ直ぐになっています。将来はここにいろんなものが建設されるのでしょう。ここもきょうは静かです。 上の写真右が“陸前高田市コミュニティホール”です。栃ケ沢アパート集会所からの撮影です。立派な建物です。施設内には800人収容のホール(シンガポールホール)があります。コミュニティホールはシンガポール政府からの支援があって建てられたからです。陸前高田市のホームページによりますと、2011年8月、シンガポール赤十字社が創設した“ジャパン・ディザスターファンド2011”から、市内のコミュニティ施設等の整備に向けた支援の申し出を受け、駐日シンガポール大使、達増岩手県知事、戸羽市長の3者間で7億円の建設費用支援に関する覚書を締結したことが始まりです。 下の写真左が栃ケ沢アパート集会所です。丸い建物です。下の写真右は集会所近くから撮影した栃ケ沢アパートです。 午前9時前、住民の人たちが集まってきました。ラジオ体操です。下の写真がその様子です。いくつかの体操をしたあと、ラジオ体操の第一と第二をしました。私も久しぶりにラジオ体操しました。なんとなく元気が出ます。なんでも、ラジオ体操は毎日朝の9時からしているそうです。もっと暖かくなれば、屋外で行うそうです。
ラジオ体操が終わり、“陸前高田市コミュニティホール”へ移動します。 上の写真右と下の写真左は、震災前の風景です。地元のおかあさんの一人が描きました。上の写真右では、海岸の左に高田松原が見えます。下の写真左が高田松原です。 午前9時30分前には、はやくも数多くの人たちが訪れていました。(上の写真右)
引き続き、作品をご紹介します。下の写真左は豪雨災害があった岩泉町の方の作品、下の写真右は神奈川県の方の作品です。 “アパッセたかた”もにぎわっています。下の写真左の右側の人が愛称:ピンクさんです。元気いっぱいの人です。
買い物ついでに見てまわる人もいます。お子さん連れのおかあさんもいます。 午後訪問した“朝日のあたる家”は静かでした。それでも数人の方がいました。 “朝日のあたる家”には上の写真左のようにピアノが設置されています。ちょっとしたコンサートも開催できます。立派な建物と設備です。社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団からの助成を受けて運営しているそうです。その助成がいつまで続くか、ちょっと気になりました。 そんなこんなで、3ヵ所を駆け巡っている内、陸前高田に溶け込んだ感じがします。 そういうしている内、午後3時を過ぎました。撤収が始まりました。私も僅かですが、高い所の展示品を外したり、テーブルの移動などを手伝いました。本音を言えば、もう少し早く陸前高田を発ちたかったのですが、ここまで来たら、最後までご一緒したくなりました。皆さん、本当に良い人たちです。お友だちになった気分です。感謝の言葉しかありません。 またいつか来ることを誓いながら陸前高田市を後にしました。それは、みなさんと再会したいからです。そして、まだまだ復興途上の陸前高田を見つめたい、という思いもあります。 午後5時前、日が長くなったとは言え、夕暮れが近い陸前高田を発ちました。
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